未公開写真 2

ここでお目にかけるのは昨年末に改めて取材をした史実の地の画像である。
以前に掲載したものがあまりにも暗すぎるため再取材となったものである。

【幼少を過ごした地】

このエリアは島流し以前を過ごした地であるが、敵一味の陰謀による陰湿な嫌がらせを受けるなど決して印象のいい地ではない。
しかし、それでもなお島流しはあってはならなかったことであり、遠くに流されたことがその後の人生に大きく暗い影を落としている。
従って本土への復員は当時の悲願であり、どのような形にせよそれが成されたことは一家としての必然である。

【大山アーケード】

大山アーケードには多くの商店が軒を連ね、専ら復員後において生活資材の購入に大いに活用されていた経緯がある。
その意味では復員後の一家を支えた重要な商店街であった。
なお、かつては鉄道模型店も存在した。

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ツイッターでも流したとおりウォークマンが延期になる見込みである。
まずは稼いでから、というごく当たり前の論理によるものである。
先に買わないことの徹底という見地からも、ごく当たり前のことである。
ごく当たり前の論理をてめえらの都合で捩じ曲げようとする宗団とは断固戦わねばならない。

未公開写真

最近の記事で貼ることが出来なかった未公開写真をお目にかける。


2017.1.13 電研坂上


2017.1.13 近隣のターミナル駅前


2017.1.13 同上


2017.1.10 脱退記念日の晴れやかな空


2017.2.3 最近増えているコンビニ併設のスタンド。
価格吊り上げても矛先を向けるところが無いようにするためとしか思えん。
辺境の地。

以下余談

最近は周知の通り厳しい情勢下であり、写真活動もネタが無い状態である。
しかも透析事情から使用頻度の増しているウォークマンが電池の劣化など老朽化が著しく、代替を迫られている状況である。
このウォークマンは2013年に導入したものであり、約3年半が経過している。
物の入れ替わりが激しかった当時としては珍しく持った一品ではあったが、導入当時との情勢の違いから来る容量不足もあり、選抜で入れざるを得ない状況にもなっていて問題視されている。
これまで8GBでも問題にならず容量に余裕のある状況が長く続いたのであるが、昨年の音楽大転換が大量の楽曲を呼び込む事となり、更に機材のハイレゾ化によってファイル容量が増大するなど情勢が一変してしまった。
PCに関しては昔の写真ファイルを入れていないこともあり容量に余裕がある状況だが、ウォークマンはPCのようにストレージを換えて自由に容量を増やすことが出来ない。
新しいウォークマンは安くとも3万はする。ハイレゾ対応で価格が吊り上ってしまったのだ。ただ、新型はマイクロSDカードで容量を増加させられるので、楽曲が増えてもSDカードの追加投入で対応することが出来る。
予定では本年前半ということになってはいるが、既に旧機が騙し騙し使っている状態であり、4時間持つか持たないかという状況である。
充電池を入れ替えるとなるとそれだけで8千円以上することもあり、いつ使えなくなるかも分からないものにかけられる金額ではない。
ということは、ギリギリまで使って限界がきたら代替するのが規定路線ということになる。
持つのが4時間では1日の外出さえ満足にカバー出来ないということであり、積み立てを取り崩さないという条件付であるが代替を前倒しせざるを得ない可能性が高い状況である。現在日程を調整中であり、用意が整い次第代替ということになる。(ただし今月中の代替は無い。)

カメラ関係についてはウォークマン問題のあおりをもろに受けることになり、確定情報が無いこともあり大幅な遅れが出る見通しである。つまり、カメラ関係は当面現状の機材で推移することになる見通しだということである。
レンズについては予算にもよるが、タムロンの新型も検討の選択肢に入ってくる。
いずれにせよボディが決まらないことにはレンズも決めようがない訳で、一層の検討が必要なところである。

東坂戸

失敗移住地として「三馬鹿」の一つに挙げられることの多い東坂戸の記憶を辿る。


街並み。


当時私が住んでいた建物。
なお、目の前に団地センターがありスーパーもあるので生活に困ることは無かったと思われる。


実質的なターミナルだった若葉駅。
バスは川越と若葉から出ているが、後者のほうが本数が多く、また池袋へも後者のほうが安くて早い。


若葉駅前には大型のショッピングモールが。

実を言うと、若葉駅前にも団地はあった。
しかし、そちらは単身者の入れないという制約があったのだ。
また、URの住宅は所得に制限がありある程度稼いでないと入居審査で刎ねられてしまうのだ。
この制限については物件ごとに最低所得額に差がある。
当時であればもう少しまともな選択の余地もあったと思われるが、当時は敵一味による洗脳の影響下であり、真実を追究しようとしてもスピンネタを捩じ込まれたりとやりたい放題だったのだ。その上宗教による洗脳と騙しにやられてはなす術も無かったのであるが、それにしても親に相談するなりしてもう少し何とかなったはずである。それをさせなかったのは他ならぬ敵一味だったのであるが。
それでも当時の状況を言えば、勤めてさえいれば安泰であったであろうといえ、それをぶち壊しにして安定を妨げた敵一味がやはりここでも100%、且つ一方的に悪いということになる。
安定を妨げるというのは敵一味の「敵対者対策マニュアル」に基づくものである。
とどのつまり、この20年前の時点で既に「敵扱い」だったわけであり、しかもほんの些細な理由で敵認定されたことになる。
もしここで安定できていれば今頃、の思いは当然ある訳だ。

どちらにせよ、こんな人生をお世辞にもこれが自分の人生だなんて云えたもんじゃない。
何度も途中でぶち壊しにされ、挙句の果てに最低の境涯にまで追い込まれた者の気持ちが誰にわかるというのか。
そんなものを誰が認められるというのか。
てめえがなってみないとわかんねえんだろうがな。

宗門人のような下等動物にこの気持ちはわかるまいよ。

桶川の記憶

先日失敗移住地として槍玉に上がった桶川の画像をお目にかかる。
殆どが後年の撮影である。

桶川駅東口
桶川駅東口。こちら側が旧来の市街である。
駅前にロッテリアがあったが、20年経ってもロッテリアだった。

東口駅前
東口駅前。

東口駅前の道路
東口駅前の道路。

筆者が住んでいたのはそちらではなく、新たに拓かれたほうの西口であった。

駅西口
駅西口。

後年に殺人事件のあったショッピングセンターに通じる橋
後年に殺人事件のあったショッピングセンターに通じる橋。

ショッピングセンター
ショッピングセンター。

西口駅前
西口駅前。

当時住んでいた高層住宅
私が住んでいたのはこの高層住宅の14階だった。
ここには約2年住んでいた。

若かりし頃の筆者
若かりし頃の筆者。
写真からもわかるように、物件だけいえば歴代でもぶっちぎりの格を誇った。
この頃は収入も十分あり、あまり問題にはなっていなかった。
しかし、後年のことを考えるならば低廉な物件に住んでカネを貯め、将来に備えるべきであったといえる。
その意味ではこの後移り住むことになる東坂戸のほうが身の丈にも合っており適していたのではないかと思えた。

当時は大宮が近く、そこが遊び場になっていたがこれが災いしたのかとも云える。

上野の影

史実の地、上野の影を今月撮影した画像を中心にご覧いただく。

黒門公園
黒門公園を別アングルから

上野二丁目の夜
上野二丁目

上野広小路交差点付近
上野広小路

中央通り
中央通り

さくらテラス駅側
さくらテラス駅側

さくらテラス裏側
さくらテラスの裏側

上野公園ライトアップ
何故この時期に桜色なのか?

以上、今月撮影

上野中央通り
この右側が当時の担当エリアだった。

上野一丁目
SG現場のあったエリアの入口付近

一方通行路
エリア内を横切る道路。
左側が千ラシ裏女のテリトリーだった

恥辱の跡地
SG現場が嘗てあった付近。
撮影時点で既に更地であり、少し離れた場所で細々とやっていたようだ。

以上、2015年4月撮影

この上野の地は、2005年から2009年にかけて隷属させられた、通称「SG現場」の担当エリアだった。
このSG現場で私は苛烈なハラスメントの数々により心身ともに疲弊しきってしまいその多大なストレスの影響で後の大病につながる一因を作ることとなった嘗ての恥辱の地である。
私の人生に少しの光と大きな影を落とした、これが史実の舞台である。
かの地におけるハラスメントは、敵一味が裏で根回しをした結果惹起したものだ。
何度か、抜けられそうなチャンスはあった。
しかし、それを妨げていたものがある。
その一つが敵一味の焚き付けた鉄道趣味であり、当時はこれがマキシマムに煽られていた状態であり抜け出す余裕を奪う大きな原因となっていたのである。
しかし、もう一つが少しの光と大きな幻影であったとはいえないか。
いずれにせよ、何があっても早くに抜け出さなければならなかったものであり、鉄道趣味と宗教に煽られたことが今でも許し難い。
それと、SG現場の前に居た現場で私に対する嫌がらせをしていた男が法華講員だというではないか。
龍神と醜い内ゲバをしていたようだが、そんなことは関係なく、この事実は大きい。

このSG現場への誘導の前には薄汚い辺境の地への誘導があり、その前には移住強要の為の下地作りがあったのだ。
敵宗門が私を引きずりこんで最初にやったのが、一家の財政を崩壊させることだった。
それは、信心の名の下に行われた薄汚い謀略だったのだ。
それは、杉並の地に安住することを妨げ悪辣な誘導に引きずり込むために行われ、杉並に残るという選択肢を奪うものだった。
当時の状況を考えれば、鉄道趣味どころではなかったはずであり一家財政を立て直すことが先決だったはずである。
それをさせなかった悪辣な策謀は何があっても言い訳できるものではなく、許されざるものだ。
その意味においても鉄道趣味を一度でも破却したことは大英断であり、負の連鎖を止めるには絶対に必要なことだったのである。

今日、これまでに誘導先のうちH悦院とTクリニックの二つからは既に脱出を果たしているが、これをガス抜きで終わらせてはなるまい。
というのも、最後の一つがまだ残っているからだ。
それが、この恥辱の薄汚い辺境の地なのである。
ここからは、「自分が間違えない」ということがとても重要になってくる。
そのためにもこの先足手まといになりそうな者は切る必要があった訳である。
当家としては、財政再建と移住へ力を蓄えることが何よりも第一であるのだ。
現実の運営として、一家運営が他に優先することは当たり前すぎるほど当たり前なのであり、それを尤もらしい理由付けで切り崩そうとする輩は当然に一家の敵となるのである。

-完-

浅草地下街

浅草地下街というのは銀座線浅草駅とつながっている小さな地下街である。
いつかその姿を記録したいと思っていたところこのたび機会を得て撮影が叶ったものである。

浅草地下街1

浅草地下街2

浅草地下街3

浅草地下街4

浅草地下街5

浅草地下街6

改札口そばの焼きそば屋はあいにく休業日であった。
次に機会があれば食べてきたいものである。
その隣にATMが出来ていたところに時代の流れを感じずにはいられなかった。

国営昭和

11月に立川市の国営昭和に行って写真活動をしてきた訳であるが、これまで諸事情により公開が遅れている。
2年以内に移住を果たしている可能性が70%ということで、今行っておかないと移住後は二度と関東に戻ってこないため行けなくなるということで企画されたものであり、いわば思い出作りである。

国営昭和記念公園 1

国営昭和記念公園 2

国営昭和記念公園 3

国営昭和記念公園 4

国営昭和記念公園 5

国営昭和記念公園 6

国営昭和記念公園 7

国営昭和記念公園 8

近い将来関東地方に住めなくなる可能性もあるので、関東近県の人は今のうちに行っておいたほうがいい。

Canon EOS M3 Digital、15-45mm、22mmF2、55-250STM
一部レタッチ済み

移住計画と三馬鹿について

先日私は砦チャンネルにおいて下記のツイートを投げた。


移住計画とは、新天地計画の中核をなす計画であり、現在の薄汚い辺境の地を捨てて新しい定住の地を得る計画である。
しかし、過去の移住においては三馬鹿とも謂われている様に失敗移住地というものがあり、また敵一味にとって都合の悪い移住は潰されてきたという過去がある。

移住計画について

現在の移住計画については原子力事故による放射能の影響から可能な限り逃れること、及び現在の薄汚い辺境の地から逃れ以って孤立と屈辱を解消することを目的として計画されており、移住先について検討を重ねてきているものである。

しかし、原発事故から約6年になろうとする現在彼の地から190キロほど離れている当地において人が倒れたとかいう話を殆ど聞かない。また、当地において葬祭場が混雑しているという話も聞いたことが無い。
あれだけの大ごとであったので勿論影響が出ることは避けられないが、騒いでいる連中に不審な点があること、ネタとしか思えない画像が出回っていることから、まだ騒がれているほどには深刻な事態になっておらず、まだ時間的猶予があると見ている。
実際問題、先日東京に定期的な所用で出た際も急病人や街で人が倒れているなどの現象は終に見ることができなかった。
ただ、武田教授の言うとおり1000人に1人の影響が出るのであれば日本全土で約13万人に影響が出て病死や就労不能などに陥る計算になる。
また、若い人ほど放射能被爆の影響を受けやすいといわれているのでこの点には注意を要する。
ただし、福島県内や近県など1Fに近い地区ではさすがに汚染が桁違いに酷く、これらの地区からは早々に避難移住をするべきである。
尤も13万人程度では恐らく今の権力三兄弟は腰を上げることは無かろう。

下記は、冒頭のツイートの前に投げたツイートである。

こちらにもあるとおり、私は現在敵対勢力の首魁である宗門側との闘争を抱えており、形の上では離壇して切り離しているものの執拗で凄まじい妨害を受けており、奴らの妨害によって人縁を遮断されている状態にある。先日もツイッターメインチャンネルにおいて敵一味が風評を流布したとみられ何人かがこれに引っ掛かってしまい身に覚えの無いブロックを受けるという被害が発生している。恐らく短時間のうちにブロックを稼いで凍結に追い込もうとしたのであろう。
工作員に問い詰めれば馬鹿の一つ覚えで罰だの罪障だの謂って逃げおおそうとするだろうが、そんなありもしないもので騙せるほど私だって馬鹿ではない。
奴らが罰だ罪障だと謂っている物の正体は単なるこじつけであるか、或いは奴等自身が裏で手を回した奴ら自身によるマッチポンプの産物であるかのどちらかであるから騙されてはいけない。

いずれにしても、現状のまま問題を放置して移住を強行したところで現状が改善する可能性は限りなく低く、従って移住の計画については対宗門問題が脱退の貫徹で成功裏に終わり完全な解決を見るまでは凍結とし、その間に力を蓄えて、解決の暁に改めて諸事情を勘案して決定することとした。
放棄ではなくあくまで凍結なので、凍結中も移住に備えて力を蓄えることに違いはないし問題の解決を見れば移住に動き出すということである。また、凍結中も移住先の選定にかかる調査及び検討は引き続き行っていく。
まずは敵宗門による汚い手口での妨害を振り払い闘争に終止符を打たねばならないということであり、また冒頭のツイートにもあるとおりもし移住しても行った先で原発が破局すればまた元の木阿弥であり何の意味も無いということになってしまう。だから性急な移住は危険だということである。したがって当家としては、当面は敵宗門との戦いにリソースを集中し、まずはこの問題を解決するのが当面の方針である。

当家における移住史と三馬鹿について

当家における移住の歴史は絶海の孤島から解放を見て本土に復員(ポータルの回顧録参照のこと)して程無く始まっている。
しかし、何故移住が始まったかは不明のままであり、恐らく洗脳の産物であろうという結論に達しつつある。
これまでに当家で移住が行われたその移住地は下記の通りである。
なお、寮や寮的な借り上げ社宅など強制的性格を持つものはここでは除外する。
練馬区・中部(生地から目と鼻の先)練馬駅からバス
埼玉・桶川 桶川駅至近
坂戸・東坂戸 若葉駅か川越駅からバス
杉並・上井草 井荻駅か上井草駅、徒歩
茨城・取手 取手駅から徒歩
ここまでくればどれが三馬鹿であるか大体わかるとは思うが、もう少し説明させてほしい。
このうち、都内の二つは親元からの独立が目的であり、なお且つ職住近接にも配慮した選択である。
練馬には約3年、杉並には約4年の間居住していた。
そうなると問題は残る3つということになる。

まずは桶川。ストーカー殺人事件が後年に起きるなど問題の多い土地柄であり、また在住中にも地元有力家の者による追突事故の被害、ならびにこの者が今日まで逃げおおせているという問題が起きている。
この地には約2年住んでいたが、職場まで遠いのに家賃が高く(つまり高級物件)、現実に根付いていない、まして地縁も無いなど問題の多い移住であり、いわば物件ありきの選択であり「馬鹿」の部類に属するといえる。移住当時は実入りが多かったため問題にならなかったが、いずれ終焉を迎えるべき愚かな選択であったといえる。
「馬鹿」の中でも一番の馬鹿である。

次の東坂戸は、物件ありきで高家賃に悩まされていた桶川に比べれば家賃が格段に安く、まだ現実的な選択であったといえる。しかし、にも拘らず長続きしなかったのは職場からの距離が相変わらずであったことがあったが、敵一味の運命操作による側面があり、適切な間取りを持っていたことなどにより物件として扱い易いなどまともなら長続きした可能性はあるものの、職場から遠い、地縁が無いという欠点は同じであり、更に駅まで遠いという致命的欠点があって、ベストであったとは言い難い。したがって、これも「馬鹿」の部類に属するといえる。この地には約4ヶ月の居住に終わった。

問題は次の取手である。
当家は、今日もこの不本意な地に居留を余儀なくされており、移住から12年になろうとしている。
問題の起こりは、杉並時代の転職で職場が遠くなってしまっていたことにあった。都内とは謂うものの山手線を通り越して反対方面であり、かなりの距離があったのだ。各駅停車ということもありほぼ1時間かかる有様であった。
このことが、職住近接を前提に杉並が選ばれたという意義を反故にしてしまい、これが誘導の足がかりを作ってしまった。というのはその職場までの距離、所要時間が杉並でも取手でも大して変わらない(ただし、電車賃は杉並にいたほうが安かった。)からである。
このことと敵一味による洗脳犯罪が重なり合った結果この不本意な移住は発生したといえる。
その後の変遷によって職場までの距離は縮まったものの、これが問題の多いあのSG現場であり、ここでの軋轢で心身ともに疲弊しきってしまい後の大病の一因を作ってしまったとも言える。SG現場については後述する。急ぐ人はポータルブログの記事に断片的にではあるが記述が残っている。
その後再起を図ったときにはまだ騙されたことに気付いておらず、比較的近い職場で再起が図られたことにより、却ってこの問題は有耶無耶となってしまった。
この地においても地縁人縁がないという欠点があり、今日の孤立状態を招いている。
この地には、後に誘導されることとなる忌まわしき「場所」が3つも含まれていた。
それがH悦院であり、K病院であり、Tクリニックであったのだ。
このうちの後ろ2つは透析にいたる原因となった施設とそこからバトンを渡された施設であるので、専ら後者を誘導先と見做すべきであろう。
つまりH悦院とTクリニックが誘導先だったという事になる。
なお、前者は宗門からの脱退によって、後者は転院によって脱出を果たし、脱出すべきは最後の一つである薄汚い辺境の地ということになる。
この2つの脱出をガス抜きにされないよう、最後まで闘争を貫徹してゆく所存である。

桶川を第一位にしたが、こちらも負けず劣らずの「馬鹿」なわけであり、当時の情勢であれば杉並に残って再起を図るのが正しかったであろうというのが正論である。

ということは、桶川・東坂戸・取手の3つが当家における失敗移住地であり、三馬鹿であるということが出来るのである。

今後の移住に当たって

今後の移住に当たっては、考慮するべき事項がいくつかある。
一つは被曝の問題。
様々な情報が飛び交って入るが、実のところどれも決定打を欠き、実際の深刻度はどの程度なのかが判断できかねる状態である。また先述のとおり移住したとしても移住先で近くの原発が破局してしまえばそれで努力が水の泡となる訳である。
この他、他の災害の発生の可能性とその予想規模が一つの指標となるだろう。
もう一つは地域性。
もし行った先が取手のような閉鎖的な地域であったなら、その移住は直ちに失敗であるということになる。また、当然のことだが人口の多い地域のほうが出会いも多いということにもなる。この点はよく精査して選定する必要がある。
過去の三馬鹿で問題になっている地縁人縁については、既に絶滅してしまっていることから今更問題にしても意味は無い。元々関東外に地縁は無い訳だから。
いずれにしても、移住までは現住地を動かないこと、まずはここで敵一味の粘着を完全に断ち切ることの二つが肝要であり、東葛県南エリア内での小移動はただのガス抜きにしかならないので煽りに乗らないことが肝心である。
敵が煽るものには必ず裏がある。
恥辱の地ではあっても生活は比較的安定しており、それを意味もなく易々と手放させられてしまうことの無い様にしなければならない。「自分が間違えない」という言葉はここでこそ活きるし意味があるというものだ。
辺境の地を出る時は関東を出る時である。
被曝被害が無ければ東京近郊に戻るのが本来の姿であるが、残念ながら東京も汚染地域となってしまっているのが現状である。

SG現場について

このSG現場という言葉は以前のシングスピールウェブの流れを汲むポータルブログに於いて前身となるブログの一つから引き継いだ記事に頻出するのでわかる人もいるかもしれないが、当ブログにおいては初出であるので少し説明する。
このSG現場というのは、かつて上野地区にあった某大手運送企業のSCである。
1年ほど前までは場所を変えて現存していたが、終に閉鎖となり当時の担当エリアからSCが姿を消している。
当該エリアに4つあったSCのうち、残る3つが現存しており、そのうちの一つにエリアが統合されたと見ている。
一個の大口顧客で持っていたようなSCであり、それを失ったか或いは目と鼻の先にあるが担当営業所の違う拠点から出荷するようになった可能性が高い。
その辺は当ウェブの追及事項ではないので詳細は省くが、私はこのSG現場に2005年~2009年の約4年間隷属させられており、その間に実父を失うという事態に追い込まれている。
要を以って云えば、SCそのものよりもSCに居た連中(社員・バイト)が問題だったわけである。
つまり先述のとおり奴らによる苛烈なモラハラによって心身とも疲弊しきってしまう事態となり、その後の大病の一因を作ってしまっているわけで、当家における一大汚点にもなっている。
現在ではここには主導的立場の者は置かれていなかったことが判明しているが、特に通称千ラシ裏女が問題視され、専ら追及の俎上に上げられていたわけである。
その後しばらくSCは現存していたが、エリア内に長時間居座っていても見かけないなど衰退のさまが明らかであった。
もしかすると当時のメンバーの中に主導者が居たのかもしれないが、どの説も決定打を欠き、結局解らずじまいになっている。
しかし、奴等の所業が許されないことだけは確かなわけで、今でも復讐の念は強く持っている。
その中に写真展を開いている奴がいるのだが、ブログもツイッターも無く足がつかめずじまいになっている。

いずれにせよ、これまでツイッターでも再三云っているように敵一味の絡まないトラブルというものは私に関しては全くの皆無であるから、宗門と創価が裏で繋がっていることから云っても敵一味が手を回してその結果惹起したものであるというべきである。カルト員の多い業界柄、BMIによる洗脳説は奴らには当てはまらないのではないかと見ている。恐らく奴らは鶴丸系のカルトに属しているか、そのような者になびいて腰巾着となっているということだろう。

SG現場の至近にあった公園
Photo:SG現場の至近にあった公園。現在はリニューアルされている。

-終-

日本橋

先日所用の際に立ち寄った日本橋の写真を公開する。
日本橋は日本道路元標のある場所で、いわば日本の道路の元締めとも言えるような場所である。

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上を通るのは首都高速。

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現在の橋は明治44年に完成している。

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重要文化財・日本橋のプレート(銅板)。

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画像のほぼ中央の路面に埋め込まれているのが日本国道路元標。

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麒麟の像の塔。
写真は無いが、北詰にある元標はレプリカだそうである。
北詰の写真はまた今度行ったときにでも。

隅田川

全休日に隅田川まで出かけてきた。
隅田川に整備されている隅田川テラスの隅田公園が目的地である。

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この場所は桜橋の付近である。
初めて来た場所ではあるが、やはり故郷を感じる。

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この付近は自転車もよく走っている

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この時期は葉が色づいて綺麗である

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整備が進み都民の憩いの場に。

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先日掲載した写真の同じ場所を写した図。
当時は無かったスカイツリーが傍らに映る。

住んでいた地区とは違ってもやはり東京は東京であり、故郷なのである。
かつて東京全域をエリアとして仕事をしていたせいだろうが。
今後東京に戻ることはまず無いが、どこに行こうと私はやはり東京人なのだ。
あくまでも、どこまでも東京人なのであって薄汚い県人などでは決して無いということである。