
2001年に移住。将来を嘱望されながら敵宗門一味の陰謀で2005年に不本意に去らせられた杉並の地。
恐らくこれが最後になるであろう巡回を6月に実施した記録をご覧いただく。
最近薄汚い辺境の役所が何とか実態をひた隠しにしようと必死に悪あがきしているのでそれを粉砕する。 続きを読む
新しい哨戒機EOS Mはかねてから高感度性能に定評があり、そのことが哨戒機として採用された大きな理由である。 続きを読む
まずは未公開画像から少しご覧いただこう。
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恐らく来年限りになるであろう関東での日々。
現状どうしてもここが一番近いこともあって上野公園の画像が多くなるのだ。
ただ、来年は別のところでやると決めているので恐らくこれが最後になるだろう。
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面影橋近くの神田川は桜の名所となっている。
今回は敢えて夜桜に的を絞って撮影を行ってきた。
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2015年以来となる、都内での桜活動が行われた。
今回は、趣向を変えて初となる飛鳥山公園で行われた。
早速、撮影画像をご覧いただこう。 続きを読む
ここでお目にかけるのは昨年末に改めて取材をした史実の地の画像である。
以前に掲載したものがあまりにも暗すぎるため再取材となったものである。
このエリアは島流し以前を過ごした地であるが、敵一味の陰謀による陰湿な嫌がらせを受けるなど決して印象のいい地ではない。
しかし、それでもなお島流しはあってはならなかったことであり、遠くに流されたことがその後の人生に大きく暗い影を落としている。
従って本土への復員は当時の悲願であり、どのような形にせよそれが成されたことは一家としての必然である。
大山アーケードには多くの商店が軒を連ね、専ら復員後において生活資材の購入に大いに活用されていた経緯がある。
その意味では復員後の一家を支えた重要な商店街であった。
なお、かつては鉄道模型店も存在した。
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ツイッターでも流したとおりウォークマンが延期になる見込みである。
まずは稼いでから、というごく当たり前の論理によるものである。
先に買わないことの徹底という見地からも、ごく当たり前のことである。
ごく当たり前の論理をてめえらの都合で捩じ曲げようとする宗団とは断固戦わねばならない。
最近の記事で貼ることが出来なかった未公開写真をお目にかける。
2017.2.3 最近増えているコンビニ併設のスタンド。
価格吊り上げても矛先を向けるところが無いようにするためとしか思えん。
辺境の地。
以下余談
最近は周知の通り厳しい情勢下であり、写真活動もネタが無い状態である。
しかも透析事情から使用頻度の増しているウォークマンが電池の劣化など老朽化が著しく、代替を迫られている状況である。
このウォークマンは2013年に導入したものであり、約3年半が経過している。
物の入れ替わりが激しかった当時としては珍しく持った一品ではあったが、導入当時との情勢の違いから来る容量不足もあり、選抜で入れざるを得ない状況にもなっていて問題視されている。
これまで8GBでも問題にならず容量に余裕のある状況が長く続いたのであるが、昨年の音楽大転換が大量の楽曲を呼び込む事となり、更に機材のハイレゾ化によってファイル容量が増大するなど情勢が一変してしまった。
PCに関しては昔の写真ファイルを入れていないこともあり容量に余裕がある状況だが、ウォークマンはPCのようにストレージを換えて自由に容量を増やすことが出来ない。
新しいウォークマンは安くとも3万はする。ハイレゾ対応で価格が吊り上ってしまったのだ。ただ、新型はマイクロSDカードで容量を増加させられるので、楽曲が増えてもSDカードの追加投入で対応することが出来る。
予定では本年前半ということになってはいるが、既に旧機が騙し騙し使っている状態であり、4時間持つか持たないかという状況である。
充電池を入れ替えるとなるとそれだけで8千円以上することもあり、いつ使えなくなるかも分からないものにかけられる金額ではない。
ということは、ギリギリまで使って限界がきたら代替するのが規定路線ということになる。
持つのが4時間では1日の外出さえ満足にカバー出来ないということであり、積み立てを取り崩さないという条件付であるが代替を前倒しせざるを得ない可能性が高い状況である。現在日程を調整中であり、用意が整い次第代替ということになる。(ただし今月中の代替は無い。)
カメラ関係についてはウォークマン問題のあおりをもろに受けることになり、確定情報が無いこともあり大幅な遅れが出る見通しである。つまり、カメラ関係は当面現状の機材で推移することになる見通しだということである。
レンズについては予算にもよるが、タムロンの新型も検討の選択肢に入ってくる。
いずれにせよボディが決まらないことにはレンズも決めようがない訳で、一層の検討が必要なところである。
失敗移住地として「三馬鹿」の一つに挙げられることの多い東坂戸の記憶を辿る。
当時私が住んでいた建物。
なお、目の前に団地センターがありスーパーもあるので生活に困ることは無かったと思われる。
実質的なターミナルだった若葉駅。
バスは川越と若葉から出ているが、後者のほうが本数が多く、また池袋へも後者のほうが安くて早い。
実を言うと、若葉駅前にも団地はあった。
しかし、そちらは単身者の入れないという制約があったのだ。
また、URの住宅は所得に制限がありある程度稼いでないと入居審査で刎ねられてしまうのだ。
この制限については物件ごとに最低所得額に差がある。
当時であればもう少しまともな選択の余地もあったと思われるが、当時は敵一味による洗脳の影響下であり、真実を追究しようとしてもスピンネタを捩じ込まれたりとやりたい放題だったのだ。その上宗教による洗脳と騙しにやられてはなす術も無かったのであるが、それにしても親に相談するなりしてもう少し何とかなったはずである。それをさせなかったのは他ならぬ敵一味だったのであるが。
それでも当時の状況を言えば、勤めてさえいれば安泰であったであろうといえ、それをぶち壊しにして安定を妨げた敵一味がやはりここでも100%、且つ一方的に悪いということになる。
安定を妨げるというのは敵一味の「敵対者対策マニュアル」に基づくものである。
とどのつまり、この20年前の時点で既に「敵扱い」だったわけであり、しかもほんの些細な理由で敵認定されたことになる。
もしここで安定できていれば今頃、の思いは当然ある訳だ。
どちらにせよ、こんな人生をお世辞にもこれが自分の人生だなんて云えたもんじゃない。
何度も途中でぶち壊しにされ、挙句の果てに最低の境涯にまで追い込まれた者の気持ちが誰にわかるというのか。
そんなものを誰が認められるというのか。
てめえがなってみないとわかんねえんだろうがな。
宗門人のような下等動物にこの気持ちはわかるまいよ。