忌まわしの事件から10年が経過

今回は脱退10年の特集である
また、脱退騒動のさ中で発生した言論弾圧迫害事件からも10年が経過しており、両者を併せて特集する
敵宗門日有宗が脱退に逆上して惹起した事件の影響は今も尾を引いており、許し難い
では見て行こう

敵宗門からの脱退

2003年に隷属させられた忌々しいにも程がありすぎる敵宗門・日有宗(通称は日蓮正宗)
2014年夏、絶望的な現実に直面した吾輩は自らの関わる総てを見直す、所謂「聖域なき見直し」を行うこととした
その結果として、同年11月にやらされていたサイトを閉鎖の上で某ヲタ趣味を破却(1回目)し、脱退への準備を進めた
年が明けた15年1月10日を正式な脱退日として宗教活動を廃止し、敵宗門からの脱退を果たすこととなった
本来、脱退届は「所属する寺」に「郵送」で行うべきである(可能なら内容証明郵便がよい)
しかし、脱退を妨害する気満々の敵宗門はこれを汚い手段で改変し、わざわざバスで無駄足させて宗務院に来させ、そこで脱退届の受け取りを拒否(違法)して他の寺に誘導しようなどとしやがったのである
通常であればただの末端信徒にそこまでするとは思えず、ターゲット講員に逃げられたくないがための姑息で狡猾な改変だったといえる
なお脱退の際であるが、間違っても寺や講役員、講員などに直接会っては絶対にダメで、郵送で(可能なら弁護士を介せ)やるべきである

脱退から2つの事件発生、そして脱退確定まで

そのような最中、3月頃から阿呆悦院の輩どもに不穏な動きが見え、また敵宗務院が誘導しようとした阿呆道院で極めて不誠実な対応を受けた事により脱退(の支持)が決定的となる
また、4月中旬には冤罪未遂事件が惹起、糞束とショリデに対する決定的な評価悪化の大きな要因となると共にその後の人生に今も暗い影を落としている
こうした情勢だった2015年6月14日、史上最悪ともいえる事件が発生する、所謂言論弾圧迫害事件である
結託した、過去に隷属させられていた二つの寺の輩が徒党を組んで襲来し不当な要求とサイトの閉鎖を強迫してきた
この事件は明らかに敵宗門自身に不都合な情報の圧殺と共に引き戻して再洗脳し総てを有耶無耶にして再び隷属させようとしたものである
通常、信者レベルで寺をまたいで何かが行われることはない、何故ならそれはタテの筋目を重んじることに反するからである
つまり、複数寺院の者が徒党を組んだ時点でそれは上(坊主サイド)からの指示によると決まったようなものである

(写真)言論弾圧迫害事件で襲来した敵宗門二寺院の輩ども

その後、更にとあるストーカー疑惑の発覚があったものの、同疑惑が敵宗門の自作自演であったことを吾輩は看破
2015年9月22日、同年1月10日付脱退を確定とする裁決に署名し敵宗門からの脱退は確定となった。以後既成宗教は関与禁止としている
なお、敵宗門に関係する物品の処分は遅れ、翌2016年3月までずれ込んでいる
この遅れも、縁が完全に切れることを恐れた敵宗門による不当な引き延ばしによるものであると断定している
その後、旧本部は仮庁舎に格下げされ、これが移転まで続くことになる

(写真)2016年以降仮庁舎に格下げとなった、旧新東京庁舎
退去後、取り壊し前の姿

なお、旧東京本部だった建物は脱退騒動の最中2015年4月に取り壊しが判明、永久に姿を消しており現在は全く無関係の家屋が建っている
その為近くの徳丸望郷公園を彼の地における拠点としている

(写真)2015年4月に取り壊された、旧東京本部跡地

脱退確定後

脱退確定後の失地回復は、敵宗門や陰で結託する輩どもの謀略などもあって遅々として進まなかった
また、冤罪未遂事件の悪影響も長く尾を引いたうえ、上階のカルト爺(のちに強制退去)の嫌がらせなどが多発し、また真実もいまだ見えぬままであった
敵宗門一味が裏で手を回した大魚封殺事件、また薄汚い辺境の地の悪弊などもあって失地回復は遅々として進まず
なお「薄汚い辺境の地」は脱退確定後の戦後処理が終わってしばらくしてその実態が白日に。旧新東京庁舎は戦後処理からしばらくして仮庁舎に格下げとなっている
その後、脱退5周年を迎えた直ぐ後に偽コロナ禍(通称偽禍)があり、またそのさ中運営の行き詰まりから再出発を図るため債務整理を行い完了している
その後、仮庁舎に格下げとなって久しかった新東京庁舎の退去が決まり、現在の暫定守谷庁舎(守谷総合基地)へ移転を果たしている
現在は、上記の守谷総合基地(暫定守谷庁舎)にて業務を行い失地回復・然地帰還を果たすべく闘争を戦っている

(写真)旧新東京庁舎(仮庁舎)は2024年秋に取り壊された
2025年6月現在、未だ更地のままである

この先の10年へ

失地回復・然地帰還によって迎えるべき豊かな老後、そこまで残された時間は決して多くはない
この後も戻れない戦いは続いていくのである
まず、この秋には脱退確定10年を迎えることになる、その頃までには今後の闘争を戦うための基盤を確立せねばなるまい
終の住まいとすべきは間違っても1741市区町村の下から2番目という屈辱的な薄汚い辺境の地ではない
また、屈辱のPhase区域で足下の儚い夢に躓くようなことは間違ってもあってはならず、失地回復・然地帰還の為には死んでも革命防衛を貫く必要があるのだ
この先の10年は、失地回復・然地帰還後の豊かな老後を確定させるための闘争を戦うためのものであって間違っても目先の足下に転がる儚い夢の為のものではないということを嫌でもわからせる必要があるのである

参考リンク

雑感 2016.12.4

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