史実の地、上野の影を今月撮影した画像を中心にご覧いただく。
以上、今月撮影
SG現場が嘗てあった付近。
撮影時点で既に更地であり、少し離れた場所で細々とやっていたようだ。
以上、2015年4月撮影
この上野の地は、2005年から2009年にかけて隷属させられた、通称「SG現場」の担当エリアだった。
このSG現場で私は苛烈なハラスメントの数々により心身ともに疲弊しきってしまいその多大なストレスの影響で後の大病につながる一因を作ることとなった嘗ての恥辱の地である。
私の人生に少しの光と大きな影を落とした、これが史実の舞台である。
かの地におけるハラスメントは、敵一味が裏で根回しをした結果惹起したものだ。
何度か、抜けられそうなチャンスはあった。
しかし、それを妨げていたものがある。
その一つが敵一味の焚き付けた鉄道趣味であり、当時はこれがマキシマムに煽られていた状態であり抜け出す余裕を奪う大きな原因となっていたのである。
しかし、もう一つが少しの光と大きな幻影であったとはいえないか。
いずれにせよ、何があっても早くに抜け出さなければならなかったものであり、鉄道趣味と宗教に煽られたことが今でも許し難い。
それと、SG現場の前に居た現場で私に対する嫌がらせをしていた男が法華講員だというではないか。
龍神と醜い内ゲバをしていたようだが、そんなことは関係なく、この事実は大きい。
このSG現場への誘導の前には薄汚い辺境の地への誘導があり、その前には移住強要の為の下地作りがあったのだ。
敵宗門が私を引きずりこんで最初にやったのが、一家の財政を崩壊させることだった。
それは、信心の名の下に行われた薄汚い謀略だったのだ。
それは、杉並の地に安住することを妨げ悪辣な誘導に引きずり込むために行われ、杉並に残るという選択肢を奪うものだった。
当時の状況を考えれば、鉄道趣味どころではなかったはずであり一家財政を立て直すことが先決だったはずである。
それをさせなかった悪辣な策謀は何があっても言い訳できるものではなく、許されざるものだ。
その意味においても鉄道趣味を一度でも破却したことは大英断であり、負の連鎖を止めるには絶対に必要なことだったのである。
今日、これまでに誘導先のうちH悦院とTクリニックの二つからは既に脱出を果たしているが、これをガス抜きで終わらせてはなるまい。
というのも、最後の一つがまだ残っているからだ。
それが、この恥辱の薄汚い辺境の地なのである。
ここからは、「自分が間違えない」ということがとても重要になってくる。
そのためにもこの先足手まといになりそうな者は切る必要があった訳である。
当家としては、財政再建と移住へ力を蓄えることが何よりも第一であるのだ。
現実の運営として、一家運営が他に優先することは当たり前すぎるほど当たり前なのであり、それを尤もらしい理由付けで切り崩そうとする輩は当然に一家の敵となるのである。
-完-