上野の影

史実の地、上野の影を今月撮影した画像を中心にご覧いただく。

黒門公園
黒門公園を別アングルから

上野二丁目の夜
上野二丁目

上野広小路交差点付近
上野広小路

中央通り
中央通り

さくらテラス駅側
さくらテラス駅側

さくらテラス裏側
さくらテラスの裏側

上野公園ライトアップ
何故この時期に桜色なのか?

以上、今月撮影

上野中央通り
この右側が当時の担当エリアだった。

上野一丁目
SG現場のあったエリアの入口付近

一方通行路
エリア内を横切る道路。
左側が千ラシ裏女のテリトリーだった

恥辱の跡地
SG現場が嘗てあった付近。
撮影時点で既に更地であり、少し離れた場所で細々とやっていたようだ。

以上、2015年4月撮影

この上野の地は、2005年から2009年にかけて隷属させられた、通称「SG現場」の担当エリアだった。
このSG現場で私は苛烈なハラスメントの数々により心身ともに疲弊しきってしまいその多大なストレスの影響で後の大病につながる一因を作ることとなった嘗ての恥辱の地である。
私の人生に少しの光と大きな影を落とした、これが史実の舞台である。
かの地におけるハラスメントは、敵一味が裏で根回しをした結果惹起したものだ。
何度か、抜けられそうなチャンスはあった。
しかし、それを妨げていたものがある。
その一つが敵一味の焚き付けた鉄道趣味であり、当時はこれがマキシマムに煽られていた状態であり抜け出す余裕を奪う大きな原因となっていたのである。
しかし、もう一つが少しの光と大きな幻影であったとはいえないか。
いずれにせよ、何があっても早くに抜け出さなければならなかったものであり、鉄道趣味と宗教に煽られたことが今でも許し難い。
それと、SG現場の前に居た現場で私に対する嫌がらせをしていた男が法華講員だというではないか。
龍神と醜い内ゲバをしていたようだが、そんなことは関係なく、この事実は大きい。

このSG現場への誘導の前には薄汚い辺境の地への誘導があり、その前には移住強要の為の下地作りがあったのだ。
敵宗門が私を引きずりこんで最初にやったのが、一家の財政を崩壊させることだった。
それは、信心の名の下に行われた薄汚い謀略だったのだ。
それは、杉並の地に安住することを妨げ悪辣な誘導に引きずり込むために行われ、杉並に残るという選択肢を奪うものだった。
当時の状況を考えれば、鉄道趣味どころではなかったはずであり一家財政を立て直すことが先決だったはずである。
それをさせなかった悪辣な策謀は何があっても言い訳できるものではなく、許されざるものだ。
その意味においても鉄道趣味を一度でも破却したことは大英断であり、負の連鎖を止めるには絶対に必要なことだったのである。

今日、これまでに誘導先のうちH悦院とTクリニックの二つからは既に脱出を果たしているが、これをガス抜きで終わらせてはなるまい。
というのも、最後の一つがまだ残っているからだ。
それが、この恥辱の薄汚い辺境の地なのである。
ここからは、「自分が間違えない」ということがとても重要になってくる。
そのためにもこの先足手まといになりそうな者は切る必要があった訳である。
当家としては、財政再建と移住へ力を蓄えることが何よりも第一であるのだ。
現実の運営として、一家運営が他に優先することは当たり前すぎるほど当たり前なのであり、それを尤もらしい理由付けで切り崩そうとする輩は当然に一家の敵となるのである。

-完-

最終四半期に向けて

現体制に移行してから初めてとなる四半期が終わろうとしている。
しかし、的ずらしや煽動を行う者共の影響により、計画の一部が達せられずに終わってしまった。
しかも年末には偽陰謀論者との連携で余計なカネを使わせる事件まで惹起し、敵一味とこれに連なる者どもの邪悪さを改めて浮き彫りにしている。
恐らく力を蓄えられることが敵一味にとって余程都合が悪いのだろう。
被害を出すような陰謀論者がまともな訳はなく、即座に切るべきだという判断が働いたのは云うまでもない。

過去のハタカセ策動においては「欲しい」を「必要」にスリカエる手口が使用されてきた。
これは御用メディアも使う手口であるが、私に対するケースの多くでは御用メディアではなく、敵一味の仕業である。
今般惹起したハタカセ策動においては、これとは違う全く新しい手口が使われた。
それは、何も無いところから「必要」を創造するという手口である。
何もないというのは、欲しいとも思っていないということである。
そのために、ヒモ付き陰謀論者が起用されたということであるが、それに引っ掛かるように誘導したのは敵一味である。
影響力の大きい陰謀論者なので、被害者は私以外にも多数居ると思われる。
偽陰謀論者は真実に気付いた人を再洗脳するためにあると云った張本人が同じことをしているのである。
この、何も無いところから「必要」を創造する手口も御用メディアが普通に使う手口でもあり、日ごろから注意警戒が必要である。
御用メディアと同じ手口を使うのは御用陰謀論者であるということである。
敵一味がこれまで使ってこなかった手口であることについては、ハタカセるための方策が尽きた時の切り札として隠していたということであろうと推定する。そのため、過去にもこの手口が使われた可能性があり、今後精査する。

最終四半期においては、改めて当初に取り決めたことを確認・徹底し斯様の事態が惹起されないよう取り組んでいく。
なお、計画の未達成に対するペナルティを課されるため、第4四半期において新たな物品の購入等は一切なされない見通しである。
今後においては「先に買うな・先に殖やせ」の大原則を貫き、不要不急のものに関してはびた1円たりとも出さない。
ハタカサれない環境づくりには予てから取り組んできたわけであるが、必要最低限以外の物は買わないことが、特に何か大きな目標を持っている時には非常に肝要であるということができる。

電球については、消費電力の兼ね合いから電球型蛍光灯の電球色を使うことになる見込みで、現在予算の折衝をしている。1個数百円のものなので、全部替えても二千円程度にしかならず、2ヶ月程度で代替できる見込みである。
試作品1個を投入して様子を見ることになると思う。
そのほかに認可された購入品は無い。
現在ノミネートされている増強及び代替候補については、配当金で買うこととしているので本予算からは出さない。

私は特別の事情を抱えており、一発逆転を必要としている。したがってこれを妨げる輩は何人であっても敵となるということをはっきりさせておく必要がある。
他に手段があれば、当の昔にやっているということだ。

年末年始も当家は通常体制であり、週末に競馬がないだけであり、特別なことは一切認可しない。
また当家ではキリスト教の祝日である元日を祝うことは一切禁止である。
伝統と謂うなら江戸時代までは立春を以て新年としていたので、これに従うべきである。
よって新年の挨拶の類いは年始に於いては一切固辞させていただく。

スタートダッシュは3ヶ月遅れで改めて仕切り直しということになる。
稼がせないためのハタカセであると云え、兎に角ハタカサレないことが最も肝要である。
本来ならば今頃成果を出していなければならなかったのであり、これを妨げた連中を絶対に許さない。
今度こそはしっかりスタートダッシュを決めて、未来の礎をしっかり築いていけるようにする。

浅草地下街

浅草地下街というのは銀座線浅草駅とつながっている小さな地下街である。
いつかその姿を記録したいと思っていたところこのたび機会を得て撮影が叶ったものである。

浅草地下街1

浅草地下街2

浅草地下街3

浅草地下街4

浅草地下街5

浅草地下街6

改札口そばの焼きそば屋はあいにく休業日であった。
次に機会があれば食べてきたいものである。
その隣にATMが出来ていたところに時代の流れを感じずにはいられなかった。

敵宗門の動向について 2016.12.24

敵宗門における人事において、不倶戴天の敵人ふたりが日蓮正宗の管長たる早瀬日如から幹事に認証されていたことが判明した。
幹事に認証されるということは工作員の中でも精鋭であると認められたことを意味することで、当家としては予想の範囲内であるもののその持つ意味は決して小さくない。

2016年11月1日付録事

また、この録事からこれまた不倶戴天の敵人である山崎が講頭職を降り、傀儡である秋山が講頭になったことが判明。
秋山は直接の敵人でこそないものの、石之坊講員である時点で私にとっては敵であるので、ここでも敵として扱う。
講頭を降りた山崎がかなりの高齢であり、Xデーに備えた人事であるとも取れるが、いまだ役員として認証されている状態であり、実質的には山崎による院政であると見ていい。
ここで謂う不倶戴天の敵人ふたりとは、謂うまでもなく龍神と門外漢女のことである。
門外漢女は実権こそ持たないものの石之坊における謀略の鍵を握る人物であり、山根、山崎らの命によって私に対する謀略の実行に当たったと当家では見ている。
私が引きずり込まれたよりも後から来た人物であるので、それ以前は山崎が直接手がけていたもの、山崎では出来ない交際類似行為などをこの門外漢女にやらせるようになったのであろう。
いずれにしても、これらの者が認証されたということ自体が日蓮正宗という宗教の謀略性を雄弁に物語るものであり、脱退の判断が正しいものであることをも証明するものである。

もう一つこの録事で重要なのは、龍神の本名が載っていること、および龍神のウソが白日の下にさらされたことである。
龍神はあの忌まわしき迫害の日、偽名を使って迫害を行い更に門外漢女が幹部でないとウソをついたのであった。
幹事に認証されるということは単なる役職とは意味が異なる。つまり、長いこと役職になければ幹事としては認証されないからである。つまり、門外漢女は2010年4月1日に横浜支区長に任ぜられて以来今日まで石之坊で役職の座にあったということであり、龍神はあの日ウソを使って私を脅したことになるのである。
なお、石川と中村については私の知らない人物でありここで語れることは無い。

門外漢女は私に対する謀略の功によって役職に任じられたというのが私の見方であり、石之坊脱退の日私が門外漢女の証人喚問を要求したにも拘らず石之坊サイドがこれに応ぜず、結論だけを押し付けて紙切れ1枚で追い出し門外漢女に証言をさせずこれを守った理由に通ずるものである。
つまり、石之坊におけるすべての事件は決して個人では起こされておらず、そのすべてが寺ぐるみ、講ぐるみ、宗門ぐるみであったということである。門外漢女が威迫によって真実をポロッとしゃべってしまうという事態を石之坊は恐れていたということになる。つまり、この真実がわかってしまえば直ちに石之坊のみならず日蓮正宗からの脱退につながってしまうからであり、2010年4月の時点での(宗門からの)脱退は何としても防ぎたかったというのが宗門側の偽らざる意向であったということになる。翻って当家の視点から見れば、この時点で宗門からの脱退を果たせていれば今日のような惨状は無かったし以後に惹き起こされた交際類似事犯も無かったということになる。
龍神による迫害が石之坊サイドの狼狽を表しており、石之坊サイドが私の筆に狼狽するということは私の推測が図星であることの表われであり、決して私の類推が的外れではないということになる。
それと、門外漢女は工作の任に任ぜられた時点で私から追及の矛先を向けられる危険性を承知していたはずであり、また石之坊サイドからいざという時には守ってもらうという約束を取り付けていたはずである。そうでなければ、あとから追及の矛先を向けられるようなリスクのある任務を易々とは引き受けないはずである。また、宗門に追及の矛先を向けられないためのデコイとして利用することを予め承知していたはずで、したがって門外漢女は決して傷ついてもいない。何故なら最初から謀略のための色仕掛け、交際類似事犯であり、相応の報酬、キックバックを受け取っていたに違いないからである。傷ついた振りをして涙で支配するのは悪いハラサーのやり口だ。
無論門外漢らは加担者や与同者の類であり首謀者ではない。また、門外漢女は全体構図から見れば最下級の戦闘員、ザコでしかない。龍神でやっと中ボスクラスである。
首謀者は宗務院の中にいるのではないかというのが当家では専らの見立てとなっている。

問題の旧回顧録ブログの内容は、敵宗門による創作であり、これを汚い手段で思い込ませて書き急がせたものである。再三に亘って見直しが行われ、一度は内容に疑義ありとして削除が敢行されたが、敵一味は再度焚き付けてこれを書かせ、これがあとで敵工作員の龍神によってカモにされたということである。
いまだ宗門に隷属する間は宗門に矛先が向かないための的ずらしとして最下級のザコをデコイとして叩かせることでガス抜きとしてこれを利用していたものであり、また(宗門にとって)不本意にも脱退された際には迫害の理由作りとしてこれを利用することが予め予定されていたものであると見られている。
他にもヒモ付きの偽被害者などによる的ずらしのための情報が当時はまかり通っており、これも併せて敵一味のために利用されていたということである。
実際問題、いまだ宗門に隷属させられていた間には宗門も石之坊も問題のブログに対してアクションを起こすことは無く、宗門の意に反して私が脱退してからそれが行われた訳でもある。
なお、迫害事件の詳細については追ってポータルにて扱う予定である。
したがって、旧回顧録ブログについては公益に適わないばかりか私にとって害悪でしかないとして、永久に削除することになったものである。
その後の新しい回顧録についてはその後に判明した最新の史実によるものとして鋭意執筆中である。

話を録事に戻すと、この録事を見る限り龍神は石之坊においてナンバー4かそれ以上の地位にあるということになり、会計職が大した意味を持たないことと併せても現在の石之坊における中心的人物になっているということになる。
したがって、このこと一つ取っても石之坊、しいては宗門そのものが私にとっては相容れない輩であり敵であるということを意味するものである。
よって、あの日石之坊が取った龍神を派遣して脅迫し強引に引き戻しを謀るという手段は私の心に消えようの無い大きな傷を付けたという点で大失敗であったと言わざるを得ない。少なくとも功徳なる物がただのまやかしであることを知った人物に対して取るべき手段ではなかった。
石之坊は後々大きな代償を払うことになるであろうから覚悟しておけ。

いずれにせよ、すべてを遮断し分断し潰えさせていたのは宗門を首魁とする敵一味であり敵一味の外に責任はないということである。勿論加担者や与同者どもはそれと同罪であり今でもそれらに対して強い憎悪の念を持っていることは書いておかねばなるまい。特に自分を守るために迎合し私を見捨てた連中が特に許せない。それは宗門隷属時代の加担者や与同者にも同じことが云える。勇気を持って間違いを正すことをせず自分の保身のために迎合して村八分を恐れた者は例外なく苛烈な憎悪の対象になるということをここではっきりさせておかねばならない。これら加担者や与同者に限っては敵一味と同じであり共犯者としての責任を負う者であるということをだ。

奴らが罰だ罪障だとしているものの正体は単なるこじつけであるか、或いは奴等自身が裏で手を回したことによる奴ら自身による自作自演、マッチポンプの産物でしかないから騙されてはいけない。
そもそもが罰論を先としている時点で罰だ罪障だといってありもしないもので脅しをかけて煽る脅しの宗教であり、キリスト教とやっていることが違わないのである。
その宗門はキリスト教的価値観をいくつも受け入れており、代替キリスト教であるといって差し支えない。
キリスト教の祝日である1月1日を祝っている時点でキリスト教に与しているものであり、宗門刊行の破折書(つまりディベート指南書)にキリスト教の破折が載っていないことが、キリスト教の子分であることを雄弁に物語っているのである。

国営昭和

11月に立川市の国営昭和に行って写真活動をしてきた訳であるが、これまで諸事情により公開が遅れている。
2年以内に移住を果たしている可能性が70%ということで、今行っておかないと移住後は二度と関東に戻ってこないため行けなくなるということで企画されたものであり、いわば思い出作りである。

国営昭和記念公園 1

国営昭和記念公園 2

国営昭和記念公園 3

国営昭和記念公園 4

国営昭和記念公園 5

国営昭和記念公園 6

国営昭和記念公園 7

国営昭和記念公園 8

近い将来関東地方に住めなくなる可能性もあるので、関東近県の人は今のうちに行っておいたほうがいい。

Canon EOS M3 Digital、15-45mm、22mmF2、55-250STM
一部レタッチ済み

移住計画と三馬鹿について

先日私は砦チャンネルにおいて下記のツイートを投げた。


移住計画とは、新天地計画の中核をなす計画であり、現在の薄汚い辺境の地を捨てて新しい定住の地を得る計画である。
しかし、過去の移住においては三馬鹿とも謂われている様に失敗移住地というものがあり、また敵一味にとって都合の悪い移住は潰されてきたという過去がある。

移住計画について

現在の移住計画については原子力事故による放射能の影響から可能な限り逃れること、及び現在の薄汚い辺境の地から逃れ以って孤立と屈辱を解消することを目的として計画されており、移住先について検討を重ねてきているものである。

しかし、原発事故から約6年になろうとする現在彼の地から190キロほど離れている当地において人が倒れたとかいう話を殆ど聞かない。また、当地において葬祭場が混雑しているという話も聞いたことが無い。
あれだけの大ごとであったので勿論影響が出ることは避けられないが、騒いでいる連中に不審な点があること、ネタとしか思えない画像が出回っていることから、まだ騒がれているほどには深刻な事態になっておらず、まだ時間的猶予があると見ている。
実際問題、先日東京に定期的な所用で出た際も急病人や街で人が倒れているなどの現象は終に見ることができなかった。
ただ、武田教授の言うとおり1000人に1人の影響が出るのであれば日本全土で約13万人に影響が出て病死や就労不能などに陥る計算になる。
また、若い人ほど放射能被爆の影響を受けやすいといわれているのでこの点には注意を要する。
ただし、福島県内や近県など1Fに近い地区ではさすがに汚染が桁違いに酷く、これらの地区からは早々に避難移住をするべきである。
尤も13万人程度では恐らく今の権力三兄弟は腰を上げることは無かろう。

下記は、冒頭のツイートの前に投げたツイートである。

こちらにもあるとおり、私は現在敵対勢力の首魁である宗門側との闘争を抱えており、形の上では離壇して切り離しているものの執拗で凄まじい妨害を受けており、奴らの妨害によって人縁を遮断されている状態にある。先日もツイッターメインチャンネルにおいて敵一味が風評を流布したとみられ何人かがこれに引っ掛かってしまい身に覚えの無いブロックを受けるという被害が発生している。恐らく短時間のうちにブロックを稼いで凍結に追い込もうとしたのであろう。
工作員に問い詰めれば馬鹿の一つ覚えで罰だの罪障だの謂って逃げおおそうとするだろうが、そんなありもしないもので騙せるほど私だって馬鹿ではない。
奴らが罰だ罪障だと謂っている物の正体は単なるこじつけであるか、或いは奴等自身が裏で手を回した奴ら自身によるマッチポンプの産物であるかのどちらかであるから騙されてはいけない。

いずれにしても、現状のまま問題を放置して移住を強行したところで現状が改善する可能性は限りなく低く、従って移住の計画については対宗門問題が脱退の貫徹で成功裏に終わり完全な解決を見るまでは凍結とし、その間に力を蓄えて、解決の暁に改めて諸事情を勘案して決定することとした。
放棄ではなくあくまで凍結なので、凍結中も移住に備えて力を蓄えることに違いはないし問題の解決を見れば移住に動き出すということである。また、凍結中も移住先の選定にかかる調査及び検討は引き続き行っていく。
まずは敵宗門による汚い手口での妨害を振り払い闘争に終止符を打たねばならないということであり、また冒頭のツイートにもあるとおりもし移住しても行った先で原発が破局すればまた元の木阿弥であり何の意味も無いということになってしまう。だから性急な移住は危険だということである。したがって当家としては、当面は敵宗門との戦いにリソースを集中し、まずはこの問題を解決するのが当面の方針である。

当家における移住史と三馬鹿について

当家における移住の歴史は絶海の孤島から解放を見て本土に復員(ポータルの回顧録参照のこと)して程無く始まっている。
しかし、何故移住が始まったかは不明のままであり、恐らく洗脳の産物であろうという結論に達しつつある。
これまでに当家で移住が行われたその移住地は下記の通りである。
なお、寮や寮的な借り上げ社宅など強制的性格を持つものはここでは除外する。
練馬区・中部(生地から目と鼻の先)練馬駅からバス
埼玉・桶川 桶川駅至近
坂戸・東坂戸 若葉駅か川越駅からバス
杉並・上井草 井荻駅か上井草駅、徒歩
茨城・取手 取手駅から徒歩
ここまでくればどれが三馬鹿であるか大体わかるとは思うが、もう少し説明させてほしい。
このうち、都内の二つは親元からの独立が目的であり、なお且つ職住近接にも配慮した選択である。
練馬には約3年、杉並には約4年の間居住していた。
そうなると問題は残る3つということになる。

まずは桶川。ストーカー殺人事件が後年に起きるなど問題の多い土地柄であり、また在住中にも地元有力家の者による追突事故の被害、ならびにこの者が今日まで逃げおおせているという問題が起きている。
この地には約2年住んでいたが、職場まで遠いのに家賃が高く(つまり高級物件)、現実に根付いていない、まして地縁も無いなど問題の多い移住であり、いわば物件ありきの選択であり「馬鹿」の部類に属するといえる。移住当時は実入りが多かったため問題にならなかったが、いずれ終焉を迎えるべき愚かな選択であったといえる。
「馬鹿」の中でも一番の馬鹿である。

次の東坂戸は、物件ありきで高家賃に悩まされていた桶川に比べれば家賃が格段に安く、まだ現実的な選択であったといえる。しかし、にも拘らず長続きしなかったのは職場からの距離が相変わらずであったことがあったが、敵一味の運命操作による側面があり、適切な間取りを持っていたことなどにより物件として扱い易いなどまともなら長続きした可能性はあるものの、職場から遠い、地縁が無いという欠点は同じであり、更に駅まで遠いという致命的欠点があって、ベストであったとは言い難い。したがって、これも「馬鹿」の部類に属するといえる。この地には約4ヶ月の居住に終わった。

問題は次の取手である。
当家は、今日もこの不本意な地に居留を余儀なくされており、移住から12年になろうとしている。
問題の起こりは、杉並時代の転職で職場が遠くなってしまっていたことにあった。都内とは謂うものの山手線を通り越して反対方面であり、かなりの距離があったのだ。各駅停車ということもありほぼ1時間かかる有様であった。
このことが、職住近接を前提に杉並が選ばれたという意義を反故にしてしまい、これが誘導の足がかりを作ってしまった。というのはその職場までの距離、所要時間が杉並でも取手でも大して変わらない(ただし、電車賃は杉並にいたほうが安かった。)からである。
このことと敵一味による洗脳犯罪が重なり合った結果この不本意な移住は発生したといえる。
その後の変遷によって職場までの距離は縮まったものの、これが問題の多いあのSG現場であり、ここでの軋轢で心身ともに疲弊しきってしまい後の大病の一因を作ってしまったとも言える。SG現場については後述する。急ぐ人はポータルブログの記事に断片的にではあるが記述が残っている。
その後再起を図ったときにはまだ騙されたことに気付いておらず、比較的近い職場で再起が図られたことにより、却ってこの問題は有耶無耶となってしまった。
この地においても地縁人縁がないという欠点があり、今日の孤立状態を招いている。
この地には、後に誘導されることとなる忌まわしき「場所」が3つも含まれていた。
それがH悦院であり、K病院であり、Tクリニックであったのだ。
このうちの後ろ2つは透析にいたる原因となった施設とそこからバトンを渡された施設であるので、専ら後者を誘導先と見做すべきであろう。
つまりH悦院とTクリニックが誘導先だったという事になる。
なお、前者は宗門からの脱退によって、後者は転院によって脱出を果たし、脱出すべきは最後の一つである薄汚い辺境の地ということになる。
この2つの脱出をガス抜きにされないよう、最後まで闘争を貫徹してゆく所存である。

桶川を第一位にしたが、こちらも負けず劣らずの「馬鹿」なわけであり、当時の情勢であれば杉並に残って再起を図るのが正しかったであろうというのが正論である。

ということは、桶川・東坂戸・取手の3つが当家における失敗移住地であり、三馬鹿であるということが出来るのである。

今後の移住に当たって

今後の移住に当たっては、考慮するべき事項がいくつかある。
一つは被曝の問題。
様々な情報が飛び交って入るが、実のところどれも決定打を欠き、実際の深刻度はどの程度なのかが判断できかねる状態である。また先述のとおり移住したとしても移住先で近くの原発が破局してしまえばそれで努力が水の泡となる訳である。
この他、他の災害の発生の可能性とその予想規模が一つの指標となるだろう。
もう一つは地域性。
もし行った先が取手のような閉鎖的な地域であったなら、その移住は直ちに失敗であるということになる。また、当然のことだが人口の多い地域のほうが出会いも多いということにもなる。この点はよく精査して選定する必要がある。
過去の三馬鹿で問題になっている地縁人縁については、既に絶滅してしまっていることから今更問題にしても意味は無い。元々関東外に地縁は無い訳だから。
いずれにしても、移住までは現住地を動かないこと、まずはここで敵一味の粘着を完全に断ち切ることの二つが肝要であり、東葛県南エリア内での小移動はただのガス抜きにしかならないので煽りに乗らないことが肝心である。
敵が煽るものには必ず裏がある。
恥辱の地ではあっても生活は比較的安定しており、それを意味もなく易々と手放させられてしまうことの無い様にしなければならない。「自分が間違えない」という言葉はここでこそ活きるし意味があるというものだ。
辺境の地を出る時は関東を出る時である。
被曝被害が無ければ東京近郊に戻るのが本来の姿であるが、残念ながら東京も汚染地域となってしまっているのが現状である。

SG現場について

このSG現場という言葉は以前のシングスピールウェブの流れを汲むポータルブログに於いて前身となるブログの一つから引き継いだ記事に頻出するのでわかる人もいるかもしれないが、当ブログにおいては初出であるので少し説明する。
このSG現場というのは、かつて上野地区にあった某大手運送企業のSCである。
1年ほど前までは場所を変えて現存していたが、終に閉鎖となり当時の担当エリアからSCが姿を消している。
当該エリアに4つあったSCのうち、残る3つが現存しており、そのうちの一つにエリアが統合されたと見ている。
一個の大口顧客で持っていたようなSCであり、それを失ったか或いは目と鼻の先にあるが担当営業所の違う拠点から出荷するようになった可能性が高い。
その辺は当ウェブの追及事項ではないので詳細は省くが、私はこのSG現場に2005年~2009年の約4年間隷属させられており、その間に実父を失うという事態に追い込まれている。
要を以って云えば、SCそのものよりもSCに居た連中(社員・バイト)が問題だったわけである。
つまり先述のとおり奴らによる苛烈なモラハラによって心身とも疲弊しきってしまう事態となり、その後の大病の一因を作ってしまっているわけで、当家における一大汚点にもなっている。
現在ではここには主導的立場の者は置かれていなかったことが判明しているが、特に通称千ラシ裏女が問題視され、専ら追及の俎上に上げられていたわけである。
その後しばらくSCは現存していたが、エリア内に長時間居座っていても見かけないなど衰退のさまが明らかであった。
もしかすると当時のメンバーの中に主導者が居たのかもしれないが、どの説も決定打を欠き、結局解らずじまいになっている。
しかし、奴等の所業が許されないことだけは確かなわけで、今でも復讐の念は強く持っている。
その中に写真展を開いている奴がいるのだが、ブログもツイッターも無く足がつかめずじまいになっている。

いずれにせよ、これまでツイッターでも再三云っているように敵一味の絡まないトラブルというものは私に関しては全くの皆無であるから、宗門と創価が裏で繋がっていることから云っても敵一味が手を回してその結果惹起したものであるというべきである。カルト員の多い業界柄、BMIによる洗脳説は奴らには当てはまらないのではないかと見ている。恐らく奴らは鶴丸系のカルトに属しているか、そのような者になびいて腰巾着となっているということだろう。

SG現場の至近にあった公園
Photo:SG現場の至近にあった公園。現在はリニューアルされている。

-終-

雑感 2016.12.4

昨年1月にあの忌まわしき宗門を脱退してからもうすぐ2年になろうとしている。
形の上では既に事後処理を行うなどして切り離しているが、敵一味は今もあの手この手で生活やプロジェクトに対する妨害や嫌がらせを仕掛けてくる有様である。
しかし、今大切なのは復興と未来への準備である。

あまりにも厳しすぎる現実に目が覚めたのは14年8月のことであった。
03年に引きずり込まれて以来11年にも及んだ忌まわしき宗門での日々。
その11年で良くなるどころか逆に取り返しの付かない状況にまで追い込まれていたという現実に疑問を感じた訳である。
そしてそこから「聖域なき見直し」が始まって参詣をやめた。
聖域なき見直しの結果、同年11月に鉄道趣味を破却。
これが最初からあったのか敵一味によるスリコミの産物なのかは今も不透明で今後も解明は難しいが、真実の追究からスピンするために焚き付けられ利用されたことを重大視したものである。
この時敵一味は激しく激昂したのか、もう一つの問題であった宗教問題についてあらぬ結論「だけ」を押し付けようとしたのだ。あまりにも急な押し付けは、私の推理があまりにも図星であったために敵側がこのままでは宗門からの脱退につながると狼狽したことの現れであったのだろう。しかしこれは破られ、翌15年1月10日に宗門からの脱退が決定したのであった。

そこから今日に至るまでの過程は決して平坦ではなかった。
脱退(離壇)に当たっては宗門か寺院に文書で通告するのであるが、これを郵送とするべきところを行動を改変されて本山まで無駄足を運ばされたことが更なる軋轢を生んだ。
郵送されてはそれで離壇の手続が終わってしまい引き戻しが利かなくなるので、行動を改変したのだ。
敵宗務院は脱退通告を受け取らず、私を別の寺にたらい回しにしようと画策したのである。しかし、どこに行っても同じになるという思いが私の中では既に支配的であり、これを真実追及の絶好機と見て真実を問いただす姿勢を見せた。
すると敵側は態度を一変させ、それが極めて不誠実な態度に現れたのである。
恐らく敵宗務院は法道院に誘導し、そこで前の寺(法悦院)と同じように巧みに追い込もうという腹積もりだったのであろう。それが却って真実を追及する姿勢を見せられたことは、敵にとって今までのやり方では騙せなくなったこと、それと同時にこれまで重ねてきた敵側のウソが風前の灯であること、そしてこのままでは全てが暴かれる日が近いことを意味したのである。
この時点で敵宗務院は法道院での再洗脳を諦め、強引な手段で法悦院に引き戻すという決定を下したようである。

そこで敵宗門が取ったやり方は極めて邪悪なものであった。

同年6月14日、寺院をまたいだ敵側構成員数名(少なくとも4名以上。監視カメラ画像による)が、自ら捩じ込んだウソである門外漢女主導説をネタにブログ記事の訂正ではなくネット、ブログ、ツイッターなどからの引き離しを目的として脅迫のために押し掛けてきたのである。
これにより当該ブログは閉鎖させられたが、残るメインサイトや当ブログ、ツイッターなどは身命を賭して守り抜いた。
その後問題のブログの内容は敵一味が汚い手段を使って捩じ込んだウソでたらめであり、真相の発覚を防ぐために汚い手段で思い込ませて書き急がせた物である事が発覚した。
押し掛け事件の以前にも何度も見直しをかけていたが、閉鎖も訂正も妨害されていたのである。
更に、一度は閉鎖を敢行していたが再度書き急がされていたものである事も発覚している。
つまり一家執行部でも度々疑問視されるような代物であったということである。
そのような流れの中で、敵一味は私が未だ宗門に隷属させられていた時には一切手を付けなかった。それは、このウソの内容が私を宗門にとどまらせておく為に作られた物であり、それが破られて脱退を図られた際には脅しのネタとしてこれを使い暴力的手段で引き戻すことが当初から考えられていたのである。つまり、私が宗門にいる間は宗門に留めておくためにそれを保持させる必要があったということである。

敵工作員は、(法悦院に)「戻ったほうがいい」などと嘯いていたが、私はそれを拒んだ。
しかし敵は、敵一味自らが行った風評工作をネタにしてまで、「宗門には戻らない」という決定を見直させようとしたのである。更には近隣の別寺院への誘導を、汚い手段を持って画策しようなどという企みもあった。
しかし、結局は6月の脅迫事件が問題視されたことにより、同年9月22日に宗門からの脱退が確定したのである。

脱退に伴う事後処理は遅々として進まず、それに手が付いたのは年が明けて16年の2月になってからであった。
事後処理に先立って、足手まといとなっていた宗門書籍を処分した。
本尊、過去帳や(偽書だらけの)御書などの一部は小包で寺に送り返し、脱退済通告書を寺に郵送して離脱の正式な手続とした。同時に押し付けられた古い仏壇と壊れかけていたブラウン管の処分の計画を進め、これらを同年3月に実施した。
聖域なき見直しの開始からここまでで既に1年7ヶ月の歳月を要しているが、これは明らかに敵一味の妨害による産物であろう。

漸く隷属にピリオドを打ったが、永きに亘る隷属生活で一家本部内は荒廃が著しかった。
この8ヶ月余りその立て直しに注力してきたわけであるが、それは最終目標ではない。
立て直しはしても薄汚い地は薄汚い地。恥辱の地は恥辱の地に過ぎないのだ。
やはり移住を果たさなければそれは復興したとは言わないのである。
従って、新天地プロジェクトはこれからが本番であるといわねばならない。
幸いにして、整備するべきものは既に終了しておりレンズについては稼ぐまで凍結の措置を取っているが一応の体制は整っており当面の活動に支障は無い。
よって、2017年は新天地事業を確立し移住を決定付ける戦いの年であるということになる。
そしてここ2年ほどの不本意を雪辱しなければならない年でもある。
同時に2018年の移住に向けての勝負の年ということにもなる。
移住を達成するためには手段を選んでいてはいけない。
そのため、第二第三の手段を考えているのは云うまでも無い。
尤も移住先についてはまだ構想が固まらず、現在も検討中である。
宗門に壊された自分の人生を取り戻す戦いはまだまだこれからなのである。
邪魔したら最後、消されるだけ。

年の瀬なので触れておくが、一家には新年を祝うという概念が無い。
何故なら新年を祝うというのはキリスト教の考え方だからである。
1月1日を新年として祝っている宗教は漏れなく代替キリスト教であるといって差し支えないと思う。
この半生はキリスト教的価値観に苦しめられてきた人生でもあった。故に一家ではキリスト教的なものを徹底して嫌うのである。
一方、昨年より一家では4月始まりの年度制を採用しており、4月からと10月からのそれぞれ半期ごとに戦略を定め計画を練って物事を進めている。
従って、いま年の瀬であってもそれは形だけで、半期ごとの計画に沿って進めているゆえ新年は単なるキロポストでしかないということになる。
よって新年の挨拶の類は今後とも一切ご遠慮願うことをご諒承いただく。

なお、移住に賛同しない者との交際交流については規制対象となり厳しく取り締まるのでそのつもりで。