先日記事執筆のため画像を探していたが、目的の画像は全く出てこなかった。
しかし、その中に数少ない往時の記録が出てきたのでここにお目にかかる。
昔の記録を探っていて、特にこの時期の画像の大半が「アレ」であり、如何に毒されていたのか、如何に誘導が酷かったかということを改めて実感した。
今でこそ記録を残すということの重要性は強く認識しているが、当時はその辺も含めてスピンされた状態であり、如何に宗教というものが信者を都合よく操ろうとしているかがよくわかる。
それで操りきれなくなり都合が悪くなってくると強迫的、高圧的なやり口で苦情潰し、押し止めに出るのだから非常に悪質だ。
勿論現在ではたとえ薄汚い地であっても記録を残し、都合よく印象操作を出来ないようにしていることは云うまでもない。
およそ2年後には移住を実現できる見通しが立ち、予定の2018年を待たずに移住する可能性も僅かではあるが出てきている中、記録としては勿論思い出を形にするということの必要性も高まっている。
もし移住となった場合、以後関東には二度と戻ってこない事となり、今行っておかないと二度と行けなくなるのである。
よって、今後暇を見て、面影を留めているうちに撮影をしておきたいと存ずるところである。