風化させない 1

2007年5月、当時隷属させられていた糞寺でバス代恐喝事件が発生し、その影響で8km離れた最寄り駅まで2時間半あまりも歩かされるという事件があった。
後年そのとき歩いた道を辿るツアーが開催された時に収めた写真を2回に分けてご覧いただく。
敵宗門の本山からほど近い場所に北山本門寺という日蓮宗(興統法縁会)の大きな寺がある。
そのすぐ近くの本門寺入り口交差点の付近からツアーは始まった。

門外漢女による最後の仄めかしがあった場所
本門寺交差点からカルト本山方向を望む。
この場所では糞寺脱退の日に門外漢女による最後の仄めかし事件が惹起している。

北山郵便局
本門寺入口交差点角には北山郵便局がある。

朝霧高原方より交差点を望む
朝霧高原方より交差点方向を望む。
このちょうど左側手前に富士宮行きのバス停がある。

本門寺入口バス停
バス停の名前も「本門寺入口」。

ツアーはここから西駅方向(富士宮市街方向)に進むことになる。

北山交差点より南進
交差点から西駅方向に進み始める。

北山にあったコンビニ
十数分歩いたところにあったコンビニ。
ここでなけなしのカネでパンとドリンクを買ったことが昨日のように思い出される。

外神付近
外神付近、カルト本山への抜け道の交差点を過ぎた辺り。

ツアーはまだまだ続く。

このあと富士宮市街まで延々と歩かされた昔日の経緯があったのであるが、一方的な下り道であるにも拘らず駅までは2時間半を要した。
事件当日は5月にも拘らずかなりの暑さでもあり、暑さに弱い筆者には殊更に応えてしまったのであった。
ツアーのときはバイクで下ったのであるが、市街までは15分ほどに過ぎなかった。
しかも、当該ルートはかなりの遠回りであり、最短ルートだと6.6kmで歩けたことがわかっている。
これに対して当時のルートは8.2kmもあり、事の重大さがわかろうというものだ。
これは当時予定がバス前提で組まれており、突然襲い掛かってきた災難であったが故に知りえぬ道では対応が出来なかったのに加え、当時はスマートフォンもタブレットも存在せずナビも持ってなかったため出先で調べることが出来なかったことによる側面が大きい。

以後の写真は次の記事で。

2014年11月 若洲

2年前に若洲に行ったときの未公開写真を掲載する。

東京ゲートブリッジ
東京ゲートブリッジ
何枚か撮ったがこれが一番出来がよかった。

貨物船
貨物船

おまけ
おまけ
付近で。

これらは「聖域なき見直し」が行われていた最中に撮ったものである。
ちょうど鉄道趣味の破却が決定し、機材を換えたときに当時のEOS M2で撮影したものであった。
その後の変遷については省くが、結果として現在EOS M3が稼動していることが当時の機材選択の正しさを証明しているように思う。
その後「聖域なき見直し」はご存知の通り宗門からの脱退、そして宗教の禁制化という結末を迎えて完結した訳である。
鉄道趣味については、当時は全面禁制としたが記録目的及び本来の地元などごく一部については例外が存在する。しかし、部分的解禁があったとしても全面解禁というものは将来に亘ってあり得ない。
このことの解釈については、当時と現在では見解が異なる。
当時は鉄道趣味そのものが元凶とされたが、現在はそうではなくそれを利用したカルト宗門の策略こそが問題であり元凶であるというのが最新の見解である。
しかしながら鉄道を趣味の対象とすることの是非については、一部JRなど悪徳企業の存在などにより不適当とするべきところもある。
鉄道のみならず、趣味ごとは全て煽りネタになり得るものであり、夢の世界にどっぷり浸かった脳内お花畑=思考停止状態ほど支配者にとって都合のよいものは無い。
趣味ごと全般に言えることだが、煽りにノセられて人生の一大事を見失うようなことがあってはならないのであり、かといって娯楽が全く無いのも精神衛生上問題がある。
一時の息抜きとして娯楽も必要ではあるが、それに現を抜かすようなことがあってはならないのである。

足場固めは着々と

将来に向けた足場固めは着々と進んでいる。

新型プリンター
既に結構前のことなのだが、プリンターを新型機に代替している。
前機は動くには動くが、既にサポート切れで印刷結果が思わしくなく、インクもヘッド付きの為高くつくので今後を考えて代替と相成った。
新機は無線LANに対応しているが、無線ではなく有線LANでシステムに組み込んでいる。
LAN接続により、2台あるPCのどちらからでも印刷が出来るため事故でオフィスソフトのライセンスが飛んだ際も他のPCから印刷の対応が出来たため余計なカネを出さずに対応できたという優れものである。
その後ライセンスのほうは無事回復済みであり余計なカネを出させられる最悪の事態は回避している。
新機は6色インクでヘッドがプリンター側に付いているため減った色だけ取り替えれば済み経済性が向上している。
また、スキャナー付きでコピーにも対応しているため片面コピーが自室で対応できるようになって使い勝手が向上している。

復活した腕時計
敵一味による工作などの影響で遅々として進んでいない腕時計の更新だが、暫定的に在籍機を復活させる措置を取っている。
ベルトの写真写りが若干悪いが、実際ある程度の経年は見られるものの本体はきれいで、ベルトも写りほどには悪くない。
電池を入れ替えただけで復活したので費用的には微々たるものである。問題があるようならベルトを換えれば済む。
腕時計に関しては今後ザコ戦用のデジタル機を代替予定で、代替後はアナログに戻る予定で既に見当をつけるなど計画を進めている。
また、以前の記事で明らかにしたように音源購入の凍結に伴う措置として再レンタルなどによるFLAC化を実施し、予定の数量を完了している。これにより移住までの間の音楽環境を担保している。
このほか被服などの生活整備とウイルス対策の長期契約などの足場固めを行っている。

脱退者の安定が敵は気に食わないようで敵一味は姑息な策略を仕掛けてきてもいるが、当家は既に生活の基盤が運営制度の面からも固まっており、それらは大きな影響を与えるには至っていない。
宗教関係の訪問に関しては既に一切対応しないで無視を貫くということで統一しており、同じ手口は二度通用しない。
敵一味のようなキチガイカルトの人間を更生することは不可能であり、モラハラの土俵からは下りて離れること、関わらない様にすることが肝要である。
余計な、無用のアクションを起こすことを敵は期待しているわけで、その意味でも対応しないことが最良の対応であると謂うのである。

移住までの時間の過ごし方というものが今後の人生に与える影響は大きいので、我慢する一方にならないようにすることは極めて重要である。
移住までの時間を我慢で過ごすのではなく、むしろ移住までの時間を楽しみながら過ごしていきたいというのが願いである。
既に足場固めはほぼ完成の域に達しており、転覆は不可能であるからカルト講員どもはよく肝に銘じておけ。
牢屋に入りたくなければ二度と干渉してくるなということである。

We Fly,Toward the Sky!

食品の導入先を変更

最近一部の食品の導入先を変えた。
その成果

京都の豆腐
dscn0982

広島の卵
dscn1028

これらはコスト的には当然だがお高いものにはなる。
コストが上がるということはその分をどこかで吸収しなければならない。
しかし、吸収可能なコストであることが解析でわかり食生活の更なる改善とセットで導入に踏み切った。
このほか、未購入だが兵庫の醤油とかも置いてあり次回からこれに切り替えることにしている他野菜の一部を切り替えている。
また豚肉を長崎・雲仙産に切り替え、「国内」としか書かれていない産地隠蔽品を追放している。
北海道産についてはまあ許容範囲であろうから使用している。
要するに関東・南東北の食品は危ないということなのである。
以前だと産地を偽装したり、国内としか書かなかったりなどの例が目立っていたが、最近では関東産でも開き直ってそのまま置いている店がある始末である。
最早安いだけでは物を選べない時代になっているということであり、安物買いは命まで安くすることにつながることなのである。

食生活の改善については食べる量の問題があり、敵に規定された多すぎる量からの脱却が急務であったことからそのすべてにおいて分量を減らす取り組みにつながっており、安物からの脱却が却って健康の回復には資するということになる。食べたいだけ食べていてはダメなのである。
食べる分量を適正化して適度な運動を取り入れることにより、これ以上の病気を背負わないように、また悪化する一方の生活環境にあっても耐えていける抵抗力を身につけることにも資する。

マスゴミなどのメディアが流す健康や医療に関する情報は医療利権によって都合よく改ざんされており、それを鵜呑みにした人がカネヅルにされているのが現実であり、それらのウソを見抜き敵が煽るブームなどに踊らされないようにすることが重要である。
たとえば、減塩のウソであるが塩というのは人間の生存にとって非常に重要な物質であり、向こうの言いなりになって減塩に乗せられれば人体に必須の塩分が不足する事態となり却って様々な病気を呼び込むことになってしまうのである。
関連して血圧のウソが減塩に利用されているということも上げておかねばならず、かつては「180以上」であった高血圧の基準が二度に亘って「160以上」終いには「130以上」という風にでっち上げられ、多くの人が高血圧ということにされてしまい罠にかかることとなってしまったということは決して忘れてはならない。
こうした真実の追究は実生活にフィードバックしてこそ初めて意味を持つものであり、PCにへばり付いて戯れているだけではダメなのである。

ゆくゆくは関東外へ移住することになるとは存ずるが、それまでには今しばらく時間がかかる見通しであり、では移住すればそれで終わるかといえばそうではなく、汚染食品を流通させる悪質業者との戦いは移住後も続いていくということでもあるのでこうした取り組みは重要である。

辺境の地 2

薄汚い辺境の地

dscn0838
駅に続く道は寂しさを感じさせる

dscn0855
ここを上がっていくと未来に続く橋に出る
反対方向には行かない

dscn0853
駅の至近だがここも衰退著しく…

dscn0929
駅の反対側に抜ける
近年整備された道だが却って物寂しさを感じるように

dscn0917
国道に出る
数年前に比べて通行量が著しく減少…

dscn0946
ツタヤだった建物
利用者の著しい減少で閉店。
最近はこのような空き倉庫的建物が目立ち町の衰退を如実に物語る

未来へと続く橋

辺境の町は川の左岸にある。
当家の仮本部から目と鼻の先に、未来へと続くべき橋が架かる。

dscn1005
未来にかかる橋を見上げる

dscn1012
国境方面を望む

dscn1021
対岸からの眺望

近い将来に予定している辺境の町からの脱出・移住に際しては必ずこの橋を渡って新天地へ向かうことになる。鉄道橋ではない。

将来予定している移住に向けた枠組みは既に固まっており、今後はそれに基づいて下準備と資金調達を行っていくことになる。
新しい枠組みにより、2年後までにはほぼ確実に移住できるように計画を策定し、そのために運営の根幹から改革を行った。
凡そ貧窮化の時代に何か新しいことをしようとするには緻密な戦略と立案が必要になってくる。
今回より、1ヶ月毎に戦略と立案を行っているが、半期で戦略をまとめた上で6か月分の行動計画と予定表を予め作成してある。
したがって、この予定表にないことは原則として出来ないということになる。
勿論辺境の町住民との交際交流など論外であるのは云うまでもない。なぜならそのようなことは移住の妨げ、移住の足を引っ張る結果にしかならないからである。
今までには無かったことではあるが、敵が私をコントロールできなくなっている今日に於いては今までに無かったようなことに対しても予想して警戒してゆかねばなるまい。
なぜなら、これまでがそうだった様に、敵一味は私を辺境の地から逃さないようにするためにはあらゆる手段で押し止めてきたからに他ならない。
それは、今まで散々煽っておきながら実際には行われることの無かった、交際型交際事犯であり、それは交際類似行為とは異なる。
他のあらゆる手段が通用しなくなったときには、敵一味と雖も孤立化の崩壊というリスクを犯してでも交際型交際事犯によって移住を押し止めなくてはならなくなるのだ。それは利権勢力間というより敵一味の内部においてそのような取り決めがあるからに他ならない。
現に、当家の状況としてはプロジェクトの開始に先立つ足場固めが行われ、一家内においてほぼすべての環境整備が終わり、今後に関する取り決めも行い煽りネタと呼べるものがほとんど無い状況にまでなっている。音源購入は新譜を除いて凍結が決定し、それに伴う緊急整備も終わった。唯一残っているカメラレンズ問題についても、既に枠組みを定めた上で織り込み済みであり、それにしたがって行うまでである。

同じ失敗を何度も繰り返すと思ったら大間違いである、なぜなら体は同じでも中身が入れ替わっているからである。それを理解しない謀略の類は、死んだ人間に対してムキになって狼狽しているのと同じであるから良く覚えておけ。

対岸の町

幾分きれいな対岸の町

dscn1022

dscn1024
幾分と書いたが、薄汚い辺境の町との違いは火を見るより明らかである。
敵一味は当初から現在の薄汚い辺境の地に誘導する計画で事を進めていたようだが、当家としてはそういう計画ではなく、杉並に残るという選択肢も取れたし、茨城など眼中にも無かったのが本当のところであり、実際に当初行動に移したときには別の地で探して申し込みまでしていたという経緯がある。勿論この話は今日まで公開をはばかられていた話であり本邦初公開である。
なお、杉並に残るという選択肢が潰されたのは敵一味の手回しによる不動産会社社員の恫喝行為の影響であり、これによって心理的反発及び心理的外傷を負わせて再起不能にしてしまおうという小汚い謀略であった。仮にこの者が少しでも誠意ある態度で話をしていたなら、何とか挽回して再起を図ろうという気持ちが湧いていたはずであり、それをさせずに都合の良い誘導を行うための環境整備であったというべきなのである。

敵一味の謀略により最初の候補地が潰され今日の薄汚い辺境の町へと誘導された経緯があったが、敵は事もあろうに汚い手段で私の行動を改編し、書かなくてもいい事を申込書に書かされたことが大きく影響している。
裏を返せば、それほどまでに日蓮正宗は世間一般からも嫌われているということに他ならず、謀略でしか教勢を拡大できない正真正銘のカルト教団であることの証左に他ならない。
かつて敵工作員故・岩下容疑者の工作によって入信の話が来たときにも、当然調査はしていた。しかし、敵一味の誘導によって都合の悪い情報は隠蔽され、相談するべき親とも当時疎遠にさせられておりそのような情報を記載したサイトも無かった(設立は後年のことであった)ために引きずり込まれてしまったという経緯があったのだ。
杉並移住後に親と疎遠にさせたのも、宗教に引きずり込んで私の人生を破壊するためであり、それをやり易くするための薄汚い環境整備だったのである。入信前に親に相談することが出来ていれば拒むことが出来、こんな人生にはならなかったはずである。何故なら、父は創価が宗門の傘下団体であることを理解しており、断固として入信を拒んでいたからである。そのプロセスを踏ませないための薄汚い謀略を宗門はやっていたのだ。

いずれにしても、移り住んだのがこちらであれば、こんな悲惨な結末ではなく違ったものになっていたであろうことは明白なのであり、人の人生を平然と食い物にした日蓮正宗を決して許してはならないということであるし法華講員どもを許さないことには相応の意義が存ずるのである。

ふたつ前の記事でも明らかにした通り、当家はごく近い将来に移住を敢行する計画を進めており、現在はその前段階として足場固めを進めているところである。
移住後は関東人ですらなくなり、二度と関東には戻ってこないため都合の良し悪しを度外視して現状の記録に励んでいる訳である。

なお、シングスピールの砦サイトでは法華講工作員による不当干渉や引き戻し工作に対しては一の例外も無く刑事対応するからよく覚えておけ。

おことわり
本記事においては、現在最新の思想信条と異なるものを一部に含んでいます。予めご了承下さい。

最後の定期巡回

9月13日に、最後となる定期巡回を挙行した。
既に前回の巡回において元本営がおかれ、実父の逝去後も長く往時の姿を留めていた建物が取り壊されていたため巡回を実施する予定はなかったが、その後の顛末を確認するため再度、現地を訪れたものである。
取り壊しから5カ月余りではあったが、既に現地には新しい建売とみられる戸建て住宅が完成し、入居者も決まっているとのことであった。

最後なので、現地近くにある、島流し前に筆者や兄弟が通っていた学校の画像を貼り付けておく。

Dscn0246
筆者や兄弟が通っていた小学校

Dscn0240
生家近くの商店街

Dscn0250
筆者が中2まで通っていた中学校

これによって、当家と当地との縁が完全に切れたことを意味するものあるので、これを以って定期巡回は終了とする。

今後、新天地計画の施行によって1,000kmを越える距離の隔たりができることもあり当地を訪れることは困難となる見込みである。

旧実家の取り壊しについて

4月の定期巡回において、2007年まで当家の本営が置かれていた建物が取り壊されているのが発見されました。
この建物は、現代表の実父が居住していたもので2007年の逝去後は、無人となっていました。
2月の定期巡回では往時の姿をとどめていましたが、時の流れには勝てず今回の事態となりました。

Img_1934
4月9日撮影 すでに更地となっています。
近隣の人の話だと、3月中旬頃に取り壊された、との話でした。

P2100003
2月10日の定期巡回では、往時の姿をとどめていました。
当家の旧本営は、階段を上がった2階にありました。

1960年代の築と推定され、既に50年を経過していましたが、貸主サイドの都合があり放置されておりまだ取り壊しにはならないだろうと見られていましたが、問題が解決したのか?今回の取り壊しとなりました。

当家関係の旧建築物では、旧杉並庁舎の入っていた建物がまだ往時の姿をとどめています。

今年の桜遠征の写真

4月2日に帰京祈念の桜遠征が行われました。
首都圏の桜は既にほとんど終わってしまっていますが、この時にはほぼ満開でした。

上野公園
P4020024
上野公園
P4020054
杉並区内
P4020094
杉並区内
P4020112
中野通り
P4020119

おまけ
P4020062
上野公園にて

なお、SP100EEはこの時が最後の使用となりました。

おことわり

帰京祈念は当時の情勢下のものであり、現在の計画とは異なります。
あらかじめご諒承ください。