日本橋

先日所用の際に立ち寄った日本橋の写真を公開する。
日本橋は日本道路元標のある場所で、いわば日本の道路の元締めとも言えるような場所である。

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上を通るのは首都高速。

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現在の橋は明治44年に完成している。

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重要文化財・日本橋のプレート(銅板)。

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画像のほぼ中央の路面に埋め込まれているのが日本国道路元標。

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麒麟の像の塔。
写真は無いが、北詰にある元標はレプリカだそうである。
北詰の写真はまた今度行ったときにでも。

雑感 2016.11.23

ここ数年ほど、敵一味によってグルグル思考にさせられた影響で正常な判断が出来なかったことが多く、そんな中で解放聖戦を戦わねばならない状況が続いていた。
これまた敵一味によって偽陰謀論なんぞというものに誘導されていた影響による思考停止もある。
真実の追究においては偽陰謀論を偽物と見抜くことから始まっているという側面があり、偽陰謀論からの脱却は一つの重要課題だったのである。

真実の追究が進んだことにより、ここにきて漸くグルグル思考から抜け出す事となり、過去の闘争に対する正当な評価が出来るようになってきた。
過去の闘争においては敵一味によって真実の追及からスピンされていた影響や姑息なスリカエの影響もあり、かなり遠回りさせられていた節も多分にある。
しかし、そんな最中でも過去の闘争があったからこそ現在の体制があるのであって、まるっきり無駄なわけではない。
何年も不変のものなどそうそうある訳は無く、時流によって考え方も思想も変化してゆくべきものなのである。
従って過去の闘争を評価する際には当時の時代背景を正しく認識してその上で評価するべきものであり、その上で正しかったものは評価し過ちは消去するということが必要である。
従ってそもそもバイクというものが闘争の具になること自体がおかしいのであるが、それは敵一味による姑息なスリカエに起因するものであってバイク自体が悪いということではなく、従ってバイクについては名誉回復が行われたものである。

そもそも闘争が始まった原因は敵一味のほうにのみ一方的にあるのであって、奴らが絡んでこなければ必要の無かったものである。
あの忌まわしき宗教に引きずり込まれて以来、搾取と軋轢にまみれた日々が十年余りに亘って続いてきた。
それはいわれの無い迫害であり、敵はその真の画策者を隠蔽するために闘争の焦点をずらしスリカエてきたのであった。その結果、闘争の真の目的であるべき支配者からの解放つまり宗門からの脱退は長年に亘って遠ざけられてきた。
今日でも形の上では切り離しているものの敵一味は有形無形の策謀を以って不当に粘着を続けており、復興の大きな妨げとなっている。

そもそもグルグル思考を持ち込んできたのも敵一味であり、それは私が再び力を付けないようにという奸計によって、悪辣な思考誘導を繰り返しその度に違う方向に誘導することで無意味に売り買いを繰り返させて殊更にハタカセていたのがその正体であった。
ハタカセるだけでなく、生活の安定をさせないという側面もこの奸計にはあった。
生活が安定することは、敵宗門の存在が不要になることをそのまま意味していたからである。故に、敵一味は私の生活が安定することを殊更に嫌っていたのである。
実際、今月奪還したばかりのレンズに対しても敵はあらぬ吹聴を仕掛け揺さぶりをかけてくる始末である。しかし、そのやり口がいつまでも通用すると思ったら大間違いである。
成り行きはともかく、一度買ったものは基本的にはそのまま使い続けるべきという考え方が一家には既に定着しているので無駄である。

グルグル思考によって失わされた物の中には、持っていればそれなりに役に立っていた物が多く、後に買い直させられる羽目になった物もある。
そのまま取り返すのが適当でない物や不要な物もあるが、基本的には復興の進展に従って取り返すべきものが多い。
時代や情勢の変化によってそのまま取り返すのが適当でないものは形を変えて奪還することになるのは云うまでもない。
今後は復興の進展に従って時流に合った形で奪還を行うことになろう。

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皮肉にも、東日本大震災はその真実追究への扉を開くこととなり、そこから今日に至る、真の闘争の歴史が始まっている。
初期の追究の中で私は、企業社会主義による民衆支配を見抜くに至っていた。
しかし、偽陰謀論に誘導されたことによって思考は停止させられ、真の目的は妨げられることとなった。
敵一味にとっては、企業社会主義を見抜いたことが殊更都合が悪かったようである。
元から民主主義などというものはこの国には無かったということであり、民主主義の偽装によって支配者がその正体を隠していたということを私は見抜いている。
敵宗門も支配勢力の一員であり、そのことを暴かれるのは勿論それを広められてしまうことが殊更に都合が悪いようである。
ただでさえ敵宗門は布教が行き詰ってその打開に躍起になって坊主の締め付けなんぞに走ってるようだからな。

しかし、敵宗門にとってもっと都合が悪かったのはその宗門こそが私にとって不倶戴天の敵であることを見抜かれたことではなかっただろうか。
そのためか、私が宗門に対して真実を追及する姿勢を見せると掌を返したように不誠実な対応をするようになり、昨年6月には寺院をまたいだ工作員集団が数名で押し掛ける脅迫事件まで惹起している。
敵宗門にとってはネットやブログというものが殊更に都合が悪いようである。
そのため、当該工作員から「ネット辞めろ」「ツイッター辞めろ」などと脅された挙句「精神科行け」などと暴言を吐かれたという事実がある。
このまま抜けられては人物破壊工作の事実を広められて布教がままならなくなるので何とかバレる前に引き戻し、皆で言いくるめて精神科に誘導し抹殺してしまおうというのが敵・宗門の悪逆な企みだったのである。
しかし、その企みは真実追究の機運の前に潰えた。
悪評も何も、そもそも宗門内で私はれっきとした敵扱いだったのである。
だから、「本人に言ってはならない」という手口がまかり通ってしまうのだ。
逆説的に云えば、全ての宗門人は私にとっては不倶戴天の敵ということになる。
敵は、やたら「創価」を強調して真の画策者が宗門であることを隠蔽しようとしていたが、盗人猛々しいとも云われるようにやたら創価を持ち出すというのはやはり怪しかったのである。

まとめると以下のようになる。
・敵宗門が私を引きずり込んだのは、紛れもなく人物破壊工作のためである。従って、人を幸せに導こうなどという考えは微塵も持ち合わせていなかった。
・敵宗門は、宗門に引きずり込むために悪逆な環境整備や誘導などを行っていた。これについては既に別ブログで詳しく触れている。
・宗門隷属時における全ての事件&不祥事は全て寺ぐるみ、講ぐるみで仕組まれた悪逆な罠であって、講員個人で惹き起こされた事件は皆無である。
・宗門は、傘下団体などとも連携しながら私に対する人物破壊工作を行っていたものであり、汚い手口で私の行動を改変していたのもこの一味であった。
・宗門がやたら創価を持ち出し強調して創価のせいにしようとしていたが、仮に創価が関わっていたとしてもそれは宗門の手下としてであり、創価を強調する理由にはならない。
・その宗門は、すべてがウソでたらめで塗り固められたインチキ宗教そのものであり、伝統宗教の仮面を被った悪逆なカルト集団に他ならない。従って、日蓮教団の中でも超の付く異端でしかなく、間違っても「正しい」宗教などではない。

宗門が人物破壊工作をしていたということははっきりと伝えていかねばならないと思っている。

当家では、不倶戴天の敵である宗門とその手先によって破壊された生活を立て直し復興していく新たな戦いに入っている。
薄汚い辺境の地にいては復興も解放も無い。
そのため、移住によって復興を図るのが新しい新天地計画である。
事後処理を行って以降の環境整備によって見た目は荒廃から立ち直ったように見えるが、実際にはまだ敵一味による策謀の影響により大魚を逃す事態があったり、復興事業において結構な無駄が出ていたりする。
そこまでしても、私が再び力をつける事態を敵は恐れているということなのか。

未だ安定に至っていないので詳しくは書けないが、ついに敵一味による誘導先の一から脱出を図ることができた。
しかし、これに対しても余程都合が悪かったのか敵一味は汚い手口で破壊を謀ったのである。
しかもその影響で大魚を逃す事態にまで発展したが、すべては敵一味のせいによって「のみ」起きているということはわかっているぞ。

勿論、そういう態度を続けるのであれば私にも覚悟がある。
私にとっては宗門も信者もただの厄介な邪魔者に過ぎないからである。
私には、何があっても宗門にも宗教にも絶対に戻らないという確固たる意志を持っており、最早引き戻すことも戻るように誘導することも不可能であるから宗門人どもはよく肝に銘じておけ。
なお、突撃してきた宗門人は一の例外もなく永代追放であり名誉回復は不可能、子孫代々に亘って汚名を受け続けることになるからな。
更に、しつこく居座るなどして退去しない者は不退去罪で検挙させるのでそのつもりで。

立て直しと復興は一家にとって最重要課題であり、失敗は許されない。
従って、そのためなら私は手段を選ばない。
脅しではなく本当に選ばないので、そのつもりで。
邪魔したら最後、消されるだけ。

バイクについて

ご存知の方もいると思うが以前は自動二輪車に乗っていた。
しかし、自動二輪車に絡んで様々な不祥事が惹起して、手放させられてしまって以来すっかり離れてしまい、そのまま乗れなくなってしまっている現状がある。
その後真実の追究が進んで、敵一味による悪辣な誘導が有ったことがわかっている。
バイクを手放させられる一番の要因になったのが、不必要になることが目に見えていたクルマへの誘導であったのだが、これは敵宗門が仕組んだ交際類似事犯とセットで画策されたものであり、当時は未だ真実の追究からスピンされていたためにキリスト教的価値観に毒されている社会常識に気付いていなかったために敵一味の煽りにまんまとノセられてしまっていたことが敵の仕組んだ罠に嵌められる原因となっていた。

最後のツーリングの時に著しい疲労感が襲ったことは年齢的なものとされていたが実はそうではなく、当時既に抱えていた腎臓疾患に起因するものであった。
その三週間後には人工透析に陥らされているのであるが、透析でもバイクに乗っている人はいるしそこは問題ではなかった。
しかし、それでは誘導が出来ないために敵は原因を隠蔽し、クルマへの誘導を強行し殊更にハタカセたというのが当時の状況であった。
しかも、敵一味は既に私が人工透析に陥ることがほぼ確定していたこと、クルマを買っても維持できずに程無く手放さざるを得なくなることを知ってこの誘導を行っており、悪質極まりない。
その後の特に最初の1年が地獄のようであった。仕事は辞めざるを得なくなり、敵宗門が仕組んだ交際類似事犯、その後にはカメラを巡るスキャンダルがあり、更に医療関係者による不祥事があり、寺では孤立させられていた有様であった。
そして、これらのことが後に聖域なき見直しにつながり、敵宗門からの脱退につながっている。

特にここ3年ほどは敵に仕組まれたグルグル思考の影響と戦いながらの真実追究の旅路であった。
敵一味は、私が再び力を付けることを殊更に恐れているようであるが、そのためにグルグル思考に陥らせる誘導を仕組み、殊更にカネをハタカセていたことがわかっている。
このグルグル思考は、敵一味が悪辣な演出のために仕組んだものであったが、その後に敵は「聖域なき見直し」に対する対抗策としても利用してきたものであった。
ここにきて漸くそのグルグル思考からも抜け出すことが叶い、安定化への道を歩みだしたところである。
形の上では敵一味を切り離しているが、未だ悪辣な策謀が仕組まれ復興への道が妨げられている。

2013年当時のバイクの選定には確かに問題があったが、最近のブログでも書いたとおりそれでも一度買ったものは乗り続けられる限り乗っているべきであったのである。
最近の精査では、少なくとも15年春までは乗り続けられたであろうことが判明している。
従って、当該バイクについては名誉回復を行う必要があると判断した。
すべては敵一味に起因するものであり、全てのトラブルや不祥事は敵一味が絡んでこなければ起こりえなかったものだからである。
今後は、一度買ったものは可能な限り使い続けることを大原則とすることとしており、カメラやオーディオ機器などには既にこの原則を適用している。

一方で、当時は知り得なかったクルマ社会の問題というものが明らかにもなっており、公共交通への回帰、バイクや軽車両の活用の必要というものを痛感もしている。
クルマにはバイクとは比べ物にならないほどの電子機器や電装品が搭載されており、巨大な電磁波発生源でもあるのだ。
バイクに乗っていて眠気を感じることはあまり無かったが、車に乗っているとすぐに眠気を感じるのもこのためであり、このことはタブーとされてきたのだ。

従って、今後はクルマを禁制とし、バイクについては時の状況に応じて維持可能な範囲で認可する方針に変更する。
今後、復興の進行に応じてバイクの復活を計画しているが、車種についてはあくまでその時の状況次第での選択となるので現時点では明確な答えは出せない。
条件は、持続可能であることと他の大切なことを阻害しないこと、この二つが条件である。

今後の課題は、グルグル思考にさせられた影響で失ったものを取り戻すことと、敵一味に引き戻しを諦めさせることの2点にあると云っても過言でない。

敵宗門は今行っている重大なる挑発の代償を必ず払うことになるから宗門人どもはよく覚えておけ。

隅田川

全休日に隅田川まで出かけてきた。
隅田川に整備されている隅田川テラスの隅田公園が目的地である。

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この場所は桜橋の付近である。
初めて来た場所ではあるが、やはり故郷を感じる。

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この付近は自転車もよく走っている

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この時期は葉が色づいて綺麗である

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整備が進み都民の憩いの場に。

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先日掲載した写真の同じ場所を写した図。
当時は無かったスカイツリーが傍らに映る。

住んでいた地区とは違ってもやはり東京は東京であり、故郷なのである。
かつて東京全域をエリアとして仕事をしていたせいだろうが。
今後東京に戻ることはまず無いが、どこに行こうと私はやはり東京人なのだ。
あくまでも、どこまでも東京人なのであって薄汚い県人などでは決して無いということである。

雑感 2016.11.14

2015年1月10日に私は長年隷属させられていたカルト宗教から脱退した。
しかし、これに対して敵宗門一味は常人では考え難いほど執着してきた。
その後事後処理の実施によって形の上では切り離しているが、今なお敵一味はあの手この手で行く手を遮り、復興を妨害しているのが現状である。

先日私は以下のツイートを投げた。


敵一味はツイートを見ているはずであるが、これに対して敵一味は何ら誠意を見せないどころかますます妨害の限りを尽くす有様であり、償いをする気など微塵も無いことがはっきりしてきた。

敵を変えることは不可能であり、であればこちらが対応を変えるしかないということである。

宗教に囚われていた11年間は、荒廃してゆく一方であり、歴史には残してはいけない11年間だった。
これも全ては真実の追究からスピンした敵一味の謀略によってこのような状況になっているのであって、そこには最早情状酌量の余地など些かも無い。

しかも敵一味が絡んできたのは向こうの身勝手な都合だけであってこちらには絡まれるような覚えも筋合いも無いのだ。
真実の追究からスピンした挙句に引きずり込むようなことを向こうがしなければ、それ以上のことは起きないからである。
たかが勧誘を断られた程度のことで敵認定するというのはあまりに視野狭窄、杓子定規な考えである。
かつて門外漢女のことを視野狭窄、杓子定規と書いたが、こいつだけではなく宗団全体が視野狭窄であり杓子定規なのである。
勿論、傘下団体や下部組織も全て同じである。

よって、今後宗教関係の者の復権はまずあり得ないということである。
これを実体化するべく、全僧俗を対象とした排除命令を発布し、従わない者は即永代追放とすることとしたのである。

以前書いたように荒廃からは立ち直りつつあるが、経済的な復興が未だ成し遂げられておらず、新天地への移住も未だ実現していない。
これまで大目に見てきた事柄も、今後は厳しくしていかないといけないということであり、それは不要不急の物品には一切カネは出せないということを意味する。

経済的な復興と新天地への移住は何としても実現しなければならない、一家の至上命題である。
これを妨害する者は理由の如何、故意性の有無に関係なく一律に敵と見做さなければならない。
したがって処断においては故意性の有無、悪質性の有無、組織性等は一切考慮しない。
結果として一家の事業を妨害すれば直ちに敵性の者と見做すのが当家のやり方だということである。
このことをはっきりと行動として示さなければならない時が来たということである。

今後は一定の成果を残すまでは不要不急のあらゆる物品は一切購入できない事となり、カメラレンズも例外ではない。
全ては稼いできてから、というのが当家固定の方針だということである。
生活上必要な設備・物品は一通り揃っており、特に外出せずとも過ごせるようにそっち方面を充実させてきたのであるからそこは厳しくやる。
したがって、今後しばらく趣味ごとにカネは出せないということであり、各種の導入は滞ることとなるのでそこは承知いただく。

往時の記録

先日記事執筆のため画像を探していたが、目的の画像は全く出てこなかった。
しかし、その中に数少ない往時の記録が出てきたのでここにお目にかかる。

p9152179
2003.9.15 東京都墨田区

p9152177
2003.9.15 東京都墨田区

p3290466
2003.3.29 東京都江東区

pa192422
2004.10.19 東京都杉並区

pa192423
2004.10.19 東京都杉並区

昔の記録を探っていて、特にこの時期の画像の大半が「アレ」であり、如何に毒されていたのか、如何に誘導が酷かったかということを改めて実感した。
今でこそ記録を残すということの重要性は強く認識しているが、当時はその辺も含めてスピンされた状態であり、如何に宗教というものが信者を都合よく操ろうとしているかがよくわかる。
それで操りきれなくなり都合が悪くなってくると強迫的、高圧的なやり口で苦情潰し、押し止めに出るのだから非常に悪質だ。
勿論現在ではたとえ薄汚い地であっても記録を残し、都合よく印象操作を出来ないようにしていることは云うまでもない。

およそ2年後には移住を実現できる見通しが立ち、予定の2018年を待たずに移住する可能性も僅かではあるが出てきている中、記録としては勿論思い出を形にするということの必要性も高まっている。
もし移住となった場合、以後関東には二度と戻ってこない事となり、今行っておかないと二度と行けなくなるのである。
よって、今後暇を見て、面影を留めているうちに撮影をしておきたいと存ずるところである。

在りし日の追憶

薄汚い県に誘導される前に私が住んでいた杉並の風景
往時の記録が逸失しており、2015年に再訪して撮影したものである。

p4020091

p4020092

p4020096

p4020099

記事執筆にあたり改めて往時の画像を探したが、全く出てこなかった。
当時既にカメラを持っており、撮影していない訳は無い。
これはどういうことなのか。
つまり、それは作られた機器トラブルなどによって消されたということだ。
つまり、後年になってこうして振り返られることを嫌ったがため、また都合よく脚色するための悪辣な操作であり、決して許されない。

しかしながら、一家で薄汚い県を本部所在地と規定したことは一度も無く、規定の上では今でも杉並に本部を置く、という決まりになっているのだ。
尤も、今から杉並に戻るというのは諸事情を勘案すると賢明な選択ではない。

いずれにせよ、薄汚い辺境の地からの一日も早い脱出と移住が喫緊の課題である。

メンテナンス

先日復活させたQ&Qの腕時計だがベルトが本革製であることがわかった。
何故数千円クラスの時計に革を使ってくるのかわからんが、譲受品なのでどうにもならんのだ。

そこで革クリームによるメンテナンスを実施した。

Before
メンテナンス前

After
メンテナンス後

革クリームは格安で売られていたものを使用。
いずれにせよ、見栄えがだいぶ違うことがお分かりであろう。
メンテナンスで誤魔化しきれなくなったらベルトは代替だな。

このほか、同じく譲受品でエニカのかなり高価な腕時計を抱えているが、そちらの復活は稼いできてからになる。

ザコ戦用のデジタル時計は近々代替を考えており、代替は針の時計で数千円クラスを考えている。
その辺も稼ぎによって違ってくる。

雑感 2016.11.7

長期欠品中であった望遠レンズの整備は卸したての未使用品の出物が手に入るという最高の形で完結し、ミラーレス一眼システムの整備が未だ超広角を残しているとはいえ一通りのものは揃いシステムとしては一応の完成を見た。
これによって、カルト宗門からの脱退に伴う事後処理が終わってからというものの各方面で続けられてきた生活環境整備事業が一通り終わり、生活環境システムとしても一応の完成を見て、未だ細かいところを残してはいるが大局的には足場がほぼ固まったといえる状態まで持ってくることが出来た。

これら一連の事業は、カルト宗教による長年の悪影響と解放聖戦の過程でこうむった戦禍による荒廃からの戦災復旧事業そのものであった。
当家を取巻く不幸な境涯とこれらの荒廃のすべては、100%敵一味の陰謀に起因しているものであり、奴らが存在しなければ、否百歩譲って奴等が突っかかってきさえしなければ100%無かったことなのである。
したがって、書かれたくなかったらまず償いをして誠意を見せるのが筋なのであるが、それを故意に怠って脅しとこじ付けでどうにか繕おうとしている馬鹿者がまさにカルト宗門をはじめとする敵一味なのである。

一家は未だ解放聖戦のさなかにある。
形の上では追放としている敵一味だが、未だ引き戻しを諦め切れていないことが姑息な根回しや事業妨害などに現れており、今なお、これらとの対峙が続く情勢にある。
奴らはいまだに従前のやり方が通用するという重大な勘違いをしている状況であるが、最早これまでのやり方が全く通用していないことがわからないのであろうか。
或いは信心馬鹿だから何でも信心でゴリ押しすれば適うとでも思っているのか?
だとすれば、それはカルトの信者操縦法にまんまと嵌められているということであり、カルトの操り人形でしかない=人非人であるということに一般の視点で見ればなるのだが。

カルトの幹部は皆狂った思想に毒されており、そんな輩に相談などしたが最後、都合のいい御託を並べて「信心が足りない」などと言い放って門前払いにするに決まっているのだ。
だから、交際類似事犯に対して追及をしても言い訳にもならない御託を並べて被害を蒙った側の「信心が足りない」ということにして惹起者を守る暴挙に出たりするのだ。
「歳が離れているからあり得ない」というのは言い訳になってないからな、聞いてるか伊藤!

外圧でどうにもならないのであれば運命操作で内部から操って自分から戻るように仕向けようなどと敵一味は考えているようだが、日蓮正宗など所詮はこじつけとウソでたらめで成り立っている、伝統仏教の仮面を被ったカルト宗教であると看破しており、罰だ罪障だとありもしないものを使ってこじつけとアンカリングで納得させようとしても、最早そのやり方は見抜かれておりそうは問屋が卸さない。

なお、一家では日蓮正宗に現に所属する者すべてを対象とした排除命令を発令し、奴らを一家のあらゆるステージからつまみ出す措置を取ったから如何なるまやかしも、如何なるウソやこじつけも何ら意味を持たず、斯様の行動を取っただけで即、永代追放に出来る。
更に、要求をなそうとする輩に関する規定を整備し、何か要求をなそうとするのであれば要求者と関係するすべての団体とその責任者の個人情報を要求するように制度を改めたので要求を成そうとすればメールフォームと相俟って必ずその証拠が残るようになっている。
証拠を残さないように悪さをしておきながら追及されると「証拠、証拠!」と喚きたてるやり方は最早通用しないぞ。

最早如何なる手段であっても全て通用しないから敵講員どもはよく覚えておけ。

追記
償いをするのかしねえのか。
それによってこっちの対応はだいぶ違ってくるぞ。

雑感 2016.11.4

川を越えて土手沿いをずっと…

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多少のアップダウンがあるが非常に楽な道で、40キロ走ってもそれほど疲れを残さなかった。
6年前に神崎まで行ったときに走るべき道だったが、その時はここではなくわざわざアップダウンの激しい薄汚い県側を走らされるという不祥事があり、このときの疲れが必要以上に体を追い込んだ疑いが強い。
悪質な心理誘導によって楽な道を走らせないことで、化城の一要素であった「バイク」を必要以上に煽ったというのがその理由であり、そもそもその用事自体行かなくてもよいようなものであり、目眩ましをされた忌まわしい煽りネタが原因でもあり改めて敵一味に対する怒りと憎しみを新たにする。

以下余談

バイクについて
バイクとは本来実用品であるべき乗り物である。しかし、敵一味にとって絶好の煽りネタであったために必要以上に追求させられて、身の丈に合わない高価なものを買わされた挙句に心理誘導で早々に手放させられたという重大不祥事がかつてあった。
身の丈に合わないとは云っても買ったら買ったで乗れる限りにおいては多少のことを忍んでも乗り続けるべきであったのであるが、当時はまだ洗脳の影響下であったためにくだらない無駄使いによってカネをはたかされ、行き詰らされた挙句の心理誘導から敵講員による組織的交際類似事犯による誘導で必要がなくなることが明白だったクルマなどに手を出させられ殊更に叩かされたのであった。
しかも行き詰ったとはいっても多少のことを忍べば持ったままで越えられる程度のものであり、ここでも目眩ましが効いていたのである。
ほんの少し、走ることを我慢していれば斯様の事態にはならなかったことが後の検証で明らかになっている。
これらは全て敵一味の画策であり、私は敵宗門と連合軍を絶対に許さない。
現在、バイクについてはその時々によっても違ってくるが身の丈に合った、維持できる規模のものでなければ買ってはならないと一家では決している。

その藤代の敵講員の女は、完全な宗門工作員であり、敵対者に対する工作の任に当たっている人非人である。
石之坊工作員の男もそうであるが、奴らは宗門に飼われ工作を生業としている。
その龍神ひろしは宗門と同じくウソでたらめで塗り固めた暴論で批判や苦情を潰すこと、そして不都合者を抹殺することが任務だったのである。奴の言っていたことは後の検証で全てウソでたらめであることが白日の下にさらされている。
ウソで人を騙しておいてタダで済むと思うな。