11月に立川市の国営昭和に行って写真活動をしてきた訳であるが、これまで諸事情により公開が遅れている。
2年以内に移住を果たしている可能性が70%ということで、今行っておかないと移住後は二度と関東に戻ってこないため行けなくなるということで企画されたものであり、いわば思い出作りである。
近い将来関東地方に住めなくなる可能性もあるので、関東近県の人は今のうちに行っておいたほうがいい。
Canon EOS M3 Digital、15-45mm、22mmF2、55-250STM
一部レタッチ済み
先日私は砦チャンネルにおいて下記のツイートを投げた。
もし移住しても、行った先の近くで原発が破局すればまた元の木阿弥だ。
また破局しなくても原発が稼動すればある程度放射能が出る。
それと、私は関東外に出て住んだことが無い。
なじみの無い土地でどれだけ上手くやっていけるのか?
下手すると当家三馬鹿の再来になりかねない。 https://t.co/f6fILCb2XE— パントルセレブルの砦 RS2&Music (@peintre_rs2) 2016年12月21日
移住計画とは、新天地計画の中核をなす計画であり、現在の薄汚い辺境の地を捨てて新しい定住の地を得る計画である。
しかし、過去の移住においては三馬鹿とも謂われている様に失敗移住地というものがあり、また敵一味にとって都合の悪い移住は潰されてきたという過去がある。
現在の移住計画については原子力事故による放射能の影響から可能な限り逃れること、及び現在の薄汚い辺境の地から逃れ以って孤立と屈辱を解消することを目的として計画されており、移住先について検討を重ねてきているものである。
しかし、原発事故から約6年になろうとする現在彼の地から190キロほど離れている当地において人が倒れたとかいう話を殆ど聞かない。また、当地において葬祭場が混雑しているという話も聞いたことが無い。
あれだけの大ごとであったので勿論影響が出ることは避けられないが、騒いでいる連中に不審な点があること、ネタとしか思えない画像が出回っていることから、まだ騒がれているほどには深刻な事態になっておらず、まだ時間的猶予があると見ている。
実際問題、先日東京に定期的な所用で出た際も急病人や街で人が倒れているなどの現象は終に見ることができなかった。
ただ、武田教授の言うとおり1000人に1人の影響が出るのであれば日本全土で約13万人に影響が出て病死や就労不能などに陥る計算になる。
また、若い人ほど放射能被爆の影響を受けやすいといわれているのでこの点には注意を要する。
ただし、福島県内や近県など1Fに近い地区ではさすがに汚染が桁違いに酷く、これらの地区からは早々に避難移住をするべきである。
尤も13万人程度では恐らく今の権力三兄弟は腰を上げることは無かろう。
下記は、冒頭のツイートの前に投げたツイートである。
移住をしても、問題の根本原因である敵宗門との闘争に打ち勝たなければ問題の解決にはつながらないと思う。
原発にしても、あれだけの大ごとだったので影響はあるのだが、一部で騒がれているほど深刻な事態なのか、また移住で解決できるのかという疑問がある— パントルセレブルの砦 RS2&Music (@peintre_rs2) 2016年12月21日
こちらにもあるとおり、私は現在敵対勢力の首魁である宗門側との闘争を抱えており、形の上では離壇して切り離しているものの執拗で凄まじい妨害を受けており、奴らの妨害によって人縁を遮断されている状態にある。先日もツイッターメインチャンネルにおいて敵一味が風評を流布したとみられ何人かがこれに引っ掛かってしまい身に覚えの無いブロックを受けるという被害が発生している。恐らく短時間のうちにブロックを稼いで凍結に追い込もうとしたのであろう。
工作員に問い詰めれば馬鹿の一つ覚えで罰だの罪障だの謂って逃げおおそうとするだろうが、そんなありもしないもので騙せるほど私だって馬鹿ではない。
奴らが罰だ罪障だと謂っている物の正体は単なるこじつけであるか、或いは奴等自身が裏で手を回した奴ら自身によるマッチポンプの産物であるかのどちらかであるから騙されてはいけない。
いずれにしても、現状のまま問題を放置して移住を強行したところで現状が改善する可能性は限りなく低く、従って移住の計画については対宗門問題が脱退の貫徹で成功裏に終わり完全な解決を見るまでは凍結とし、その間に力を蓄えて、解決の暁に改めて諸事情を勘案して決定することとした。
放棄ではなくあくまで凍結なので、凍結中も移住に備えて力を蓄えることに違いはないし問題の解決を見れば移住に動き出すということである。また、凍結中も移住先の選定にかかる調査及び検討は引き続き行っていく。
まずは敵宗門による汚い手口での妨害を振り払い闘争に終止符を打たねばならないということであり、また冒頭のツイートにもあるとおりもし移住しても行った先で原発が破局すればまた元の木阿弥であり何の意味も無いということになってしまう。だから性急な移住は危険だということである。したがって当家としては、当面は敵宗門との戦いにリソースを集中し、まずはこの問題を解決するのが当面の方針である。
当家における移住の歴史は絶海の孤島から解放を見て本土に復員(ポータルの回顧録参照のこと)して程無く始まっている。
しかし、何故移住が始まったかは不明のままであり、恐らく洗脳の産物であろうという結論に達しつつある。
これまでに当家で移住が行われたその移住地は下記の通りである。
なお、寮や寮的な借り上げ社宅など強制的性格を持つものはここでは除外する。
練馬区・中部(生地から目と鼻の先)練馬駅からバス
埼玉・桶川 桶川駅至近
坂戸・東坂戸 若葉駅か川越駅からバス
杉並・上井草 井荻駅か上井草駅、徒歩
茨城・取手 取手駅から徒歩
ここまでくればどれが三馬鹿であるか大体わかるとは思うが、もう少し説明させてほしい。
このうち、都内の二つは親元からの独立が目的であり、なお且つ職住近接にも配慮した選択である。
練馬には約3年、杉並には約4年の間居住していた。
そうなると問題は残る3つということになる。
まずは桶川。ストーカー殺人事件が後年に起きるなど問題の多い土地柄であり、また在住中にも地元有力家の者による追突事故の被害、ならびにこの者が今日まで逃げおおせているという問題が起きている。
この地には約2年住んでいたが、職場まで遠いのに家賃が高く(つまり高級物件)、現実に根付いていない、まして地縁も無いなど問題の多い移住であり、いわば物件ありきの選択であり「馬鹿」の部類に属するといえる。移住当時は実入りが多かったため問題にならなかったが、いずれ終焉を迎えるべき愚かな選択であったといえる。
「馬鹿」の中でも一番の馬鹿である。
次の東坂戸は、物件ありきで高家賃に悩まされていた桶川に比べれば家賃が格段に安く、まだ現実的な選択であったといえる。しかし、にも拘らず長続きしなかったのは職場からの距離が相変わらずであったことがあったが、敵一味の運命操作による側面があり、適切な間取りを持っていたことなどにより物件として扱い易いなどまともなら長続きした可能性はあるものの、職場から遠い、地縁が無いという欠点は同じであり、更に駅まで遠いという致命的欠点があって、ベストであったとは言い難い。したがって、これも「馬鹿」の部類に属するといえる。この地には約4ヶ月の居住に終わった。
問題は次の取手である。
当家は、今日もこの不本意な地に居留を余儀なくされており、移住から12年になろうとしている。
問題の起こりは、杉並時代の転職で職場が遠くなってしまっていたことにあった。都内とは謂うものの山手線を通り越して反対方面であり、かなりの距離があったのだ。各駅停車ということもありほぼ1時間かかる有様であった。
このことが、職住近接を前提に杉並が選ばれたという意義を反故にしてしまい、これが誘導の足がかりを作ってしまった。というのはその職場までの距離、所要時間が杉並でも取手でも大して変わらない(ただし、電車賃は杉並にいたほうが安かった。)からである。
このことと敵一味による洗脳犯罪が重なり合った結果この不本意な移住は発生したといえる。
その後の変遷によって職場までの距離は縮まったものの、これが問題の多いあのSG現場であり、ここでの軋轢で心身ともに疲弊しきってしまい後の大病の一因を作ってしまったとも言える。SG現場については後述する。急ぐ人はポータルブログの記事に断片的にではあるが記述が残っている。
その後再起を図ったときにはまだ騙されたことに気付いておらず、比較的近い職場で再起が図られたことにより、却ってこの問題は有耶無耶となってしまった。
この地においても地縁人縁がないという欠点があり、今日の孤立状態を招いている。
この地には、後に誘導されることとなる忌まわしき「場所」が3つも含まれていた。
それがH悦院であり、K病院であり、Tクリニックであったのだ。
このうちの後ろ2つは透析にいたる原因となった施設とそこからバトンを渡された施設であるので、専ら後者を誘導先と見做すべきであろう。
つまりH悦院とTクリニックが誘導先だったという事になる。
なお、前者は宗門からの脱退によって、後者は転院によって脱出を果たし、脱出すべきは最後の一つである薄汚い辺境の地ということになる。
この2つの脱出をガス抜きにされないよう、最後まで闘争を貫徹してゆく所存である。
桶川を第一位にしたが、こちらも負けず劣らずの「馬鹿」なわけであり、当時の情勢であれば杉並に残って再起を図るのが正しかったであろうというのが正論である。
ということは、桶川・東坂戸・取手の3つが当家における失敗移住地であり、三馬鹿であるということが出来るのである。
今後の移住に当たっては、考慮するべき事項がいくつかある。
一つは被曝の問題。
様々な情報が飛び交って入るが、実のところどれも決定打を欠き、実際の深刻度はどの程度なのかが判断できかねる状態である。また先述のとおり移住したとしても移住先で近くの原発が破局してしまえばそれで努力が水の泡となる訳である。
この他、他の災害の発生の可能性とその予想規模が一つの指標となるだろう。
もう一つは地域性。
もし行った先が取手のような閉鎖的な地域であったなら、その移住は直ちに失敗であるということになる。また、当然のことだが人口の多い地域のほうが出会いも多いということにもなる。この点はよく精査して選定する必要がある。
過去の三馬鹿で問題になっている地縁人縁については、既に絶滅してしまっていることから今更問題にしても意味は無い。元々関東外に地縁は無い訳だから。
いずれにしても、移住までは現住地を動かないこと、まずはここで敵一味の粘着を完全に断ち切ることの二つが肝要であり、東葛県南エリア内での小移動はただのガス抜きにしかならないので煽りに乗らないことが肝心である。
敵が煽るものには必ず裏がある。
恥辱の地ではあっても生活は比較的安定しており、それを意味もなく易々と手放させられてしまうことの無い様にしなければならない。「自分が間違えない」という言葉はここでこそ活きるし意味があるというものだ。
辺境の地を出る時は関東を出る時である。
被曝被害が無ければ東京近郊に戻るのが本来の姿であるが、残念ながら東京も汚染地域となってしまっているのが現状である。
このSG現場という言葉は以前のシングスピールウェブの流れを汲むポータルブログに於いて前身となるブログの一つから引き継いだ記事に頻出するのでわかる人もいるかもしれないが、当ブログにおいては初出であるので少し説明する。
このSG現場というのは、かつて上野地区にあった某大手運送企業のSCである。
1年ほど前までは場所を変えて現存していたが、終に閉鎖となり当時の担当エリアからSCが姿を消している。
当該エリアに4つあったSCのうち、残る3つが現存しており、そのうちの一つにエリアが統合されたと見ている。
一個の大口顧客で持っていたようなSCであり、それを失ったか或いは目と鼻の先にあるが担当営業所の違う拠点から出荷するようになった可能性が高い。
その辺は当ウェブの追及事項ではないので詳細は省くが、私はこのSG現場に2005年~2009年の約4年間隷属させられており、その間に実父を失うという事態に追い込まれている。
要を以って云えば、SCそのものよりもSCに居た連中(社員・バイト)が問題だったわけである。
つまり先述のとおり奴らによる苛烈なモラハラによって心身とも疲弊しきってしまう事態となり、その後の大病の一因を作ってしまっているわけで、当家における一大汚点にもなっている。
現在ではここには主導的立場の者は置かれていなかったことが判明しているが、特に通称千ラシ裏女が問題視され、専ら追及の俎上に上げられていたわけである。
その後しばらくSCは現存していたが、エリア内に長時間居座っていても見かけないなど衰退のさまが明らかであった。
もしかすると当時のメンバーの中に主導者が居たのかもしれないが、どの説も決定打を欠き、結局解らずじまいになっている。
しかし、奴等の所業が許されないことだけは確かなわけで、今でも復讐の念は強く持っている。
その中に写真展を開いている奴がいるのだが、ブログもツイッターも無く足がつかめずじまいになっている。
いずれにせよ、これまでツイッターでも再三云っているように敵一味の絡まないトラブルというものは私に関しては全くの皆無であるから、宗門と創価が裏で繋がっていることから云っても敵一味が手を回してその結果惹起したものであるというべきである。カルト員の多い業界柄、BMIによる洗脳説は奴らには当てはまらないのではないかと見ている。恐らく奴らは鶴丸系のカルトに属しているか、そのような者になびいて腰巾着となっているということだろう。
Photo:SG現場の至近にあった公園。現在はリニューアルされている。
-終-
昨年1月にあの忌まわしき宗門を脱退してからもうすぐ2年になろうとしている。
形の上では既に事後処理を行うなどして切り離しているが、敵一味は今もあの手この手で生活やプロジェクトに対する妨害や嫌がらせを仕掛けてくる有様である。
しかし、今大切なのは復興と未来への準備である。
あまりにも厳しすぎる現実に目が覚めたのは14年8月のことであった。
03年に引きずり込まれて以来11年にも及んだ忌まわしき宗門での日々。
その11年で良くなるどころか逆に取り返しの付かない状況にまで追い込まれていたという現実に疑問を感じた訳である。
そしてそこから「聖域なき見直し」が始まって参詣をやめた。
聖域なき見直しの結果、同年11月に鉄道趣味を破却。
これが最初からあったのか敵一味によるスリコミの産物なのかは今も不透明で今後も解明は難しいが、真実の追究からスピンするために焚き付けられ利用されたことを重大視したものである。
この時敵一味は激しく激昂したのか、もう一つの問題であった宗教問題についてあらぬ結論「だけ」を押し付けようとしたのだ。あまりにも急な押し付けは、私の推理があまりにも図星であったために敵側がこのままでは宗門からの脱退につながると狼狽したことの現れであったのだろう。しかしこれは破られ、翌15年1月10日に宗門からの脱退が決定したのであった。
そこから今日に至るまでの過程は決して平坦ではなかった。
脱退(離壇)に当たっては宗門か寺院に文書で通告するのであるが、これを郵送とするべきところを行動を改変されて本山まで無駄足を運ばされたことが更なる軋轢を生んだ。
郵送されてはそれで離壇の手続が終わってしまい引き戻しが利かなくなるので、行動を改変したのだ。
敵宗務院は脱退通告を受け取らず、私を別の寺にたらい回しにしようと画策したのである。しかし、どこに行っても同じになるという思いが私の中では既に支配的であり、これを真実追及の絶好機と見て真実を問いただす姿勢を見せた。
すると敵側は態度を一変させ、それが極めて不誠実な態度に現れたのである。
恐らく敵宗務院は法道院に誘導し、そこで前の寺(法悦院)と同じように巧みに追い込もうという腹積もりだったのであろう。それが却って真実を追及する姿勢を見せられたことは、敵にとって今までのやり方では騙せなくなったこと、それと同時にこれまで重ねてきた敵側のウソが風前の灯であること、そしてこのままでは全てが暴かれる日が近いことを意味したのである。
この時点で敵宗務院は法道院での再洗脳を諦め、強引な手段で法悦院に引き戻すという決定を下したようである。
そこで敵宗門が取ったやり方は極めて邪悪なものであった。
同年6月14日、寺院をまたいだ敵側構成員数名(少なくとも4名以上。監視カメラ画像による)が、自ら捩じ込んだウソである門外漢女主導説をネタにブログ記事の訂正ではなくネット、ブログ、ツイッターなどからの引き離しを目的として脅迫のために押し掛けてきたのである。
これにより当該ブログは閉鎖させられたが、残るメインサイトや当ブログ、ツイッターなどは身命を賭して守り抜いた。
その後問題のブログの内容は敵一味が汚い手段を使って捩じ込んだウソでたらめであり、真相の発覚を防ぐために汚い手段で思い込ませて書き急がせた物である事が発覚した。
押し掛け事件の以前にも何度も見直しをかけていたが、閉鎖も訂正も妨害されていたのである。
更に、一度は閉鎖を敢行していたが再度書き急がされていたものである事も発覚している。
つまり一家執行部でも度々疑問視されるような代物であったということである。
そのような流れの中で、敵一味は私が未だ宗門に隷属させられていた時には一切手を付けなかった。それは、このウソの内容が私を宗門にとどまらせておく為に作られた物であり、それが破られて脱退を図られた際には脅しのネタとしてこれを使い暴力的手段で引き戻すことが当初から考えられていたのである。つまり、私が宗門にいる間は宗門に留めておくためにそれを保持させる必要があったということである。
敵工作員は、(法悦院に)「戻ったほうがいい」などと嘯いていたが、私はそれを拒んだ。
しかし敵は、敵一味自らが行った風評工作をネタにしてまで、「宗門には戻らない」という決定を見直させようとしたのである。更には近隣の別寺院への誘導を、汚い手段を持って画策しようなどという企みもあった。
しかし、結局は6月の脅迫事件が問題視されたことにより、同年9月22日に宗門からの脱退が確定したのである。
脱退に伴う事後処理は遅々として進まず、それに手が付いたのは年が明けて16年の2月になってからであった。
事後処理に先立って、足手まといとなっていた宗門書籍を処分した。
本尊、過去帳や(偽書だらけの)御書などの一部は小包で寺に送り返し、脱退済通告書を寺に郵送して離脱の正式な手続とした。同時に押し付けられた古い仏壇と壊れかけていたブラウン管の処分の計画を進め、これらを同年3月に実施した。
聖域なき見直しの開始からここまでで既に1年7ヶ月の歳月を要しているが、これは明らかに敵一味の妨害による産物であろう。
漸く隷属にピリオドを打ったが、永きに亘る隷属生活で一家本部内は荒廃が著しかった。
この8ヶ月余りその立て直しに注力してきたわけであるが、それは最終目標ではない。
立て直しはしても薄汚い地は薄汚い地。恥辱の地は恥辱の地に過ぎないのだ。
やはり移住を果たさなければそれは復興したとは言わないのである。
従って、新天地プロジェクトはこれからが本番であるといわねばならない。
幸いにして、整備するべきものは既に終了しておりレンズについては稼ぐまで凍結の措置を取っているが一応の体制は整っており当面の活動に支障は無い。
よって、2017年は新天地事業を確立し移住を決定付ける戦いの年であるということになる。
そしてここ2年ほどの不本意を雪辱しなければならない年でもある。
同時に2018年の移住に向けての勝負の年ということにもなる。
移住を達成するためには手段を選んでいてはいけない。
そのため、第二第三の手段を考えているのは云うまでも無い。
尤も移住先についてはまだ構想が固まらず、現在も検討中である。
宗門に壊された自分の人生を取り戻す戦いはまだまだこれからなのである。
邪魔したら最後、消されるだけ。
年の瀬なので触れておくが、一家には新年を祝うという概念が無い。
何故なら新年を祝うというのはキリスト教の考え方だからである。
1月1日を新年として祝っている宗教は漏れなく代替キリスト教であるといって差し支えないと思う。
この半生はキリスト教的価値観に苦しめられてきた人生でもあった。故に一家ではキリスト教的なものを徹底して嫌うのである。
一方、昨年より一家では4月始まりの年度制を採用しており、4月からと10月からのそれぞれ半期ごとに戦略を定め計画を練って物事を進めている。
従って、いま年の瀬であってもそれは形だけで、半期ごとの計画に沿って進めているゆえ新年は単なるキロポストでしかないということになる。
よって新年の挨拶の類は今後とも一切ご遠慮願うことをご諒承いただく。
なお、移住に賛同しない者との交際交流については規制対象となり厳しく取り締まるのでそのつもりで。
ここ数年ほど、敵一味によってグルグル思考にさせられた影響で正常な判断が出来なかったことが多く、そんな中で解放聖戦を戦わねばならない状況が続いていた。
これまた敵一味によって偽陰謀論なんぞというものに誘導されていた影響による思考停止もある。
真実の追究においては偽陰謀論を偽物と見抜くことから始まっているという側面があり、偽陰謀論からの脱却は一つの重要課題だったのである。
真実の追究が進んだことにより、ここにきて漸くグルグル思考から抜け出す事となり、過去の闘争に対する正当な評価が出来るようになってきた。
過去の闘争においては敵一味によって真実の追及からスピンされていた影響や姑息なスリカエの影響もあり、かなり遠回りさせられていた節も多分にある。
しかし、そんな最中でも過去の闘争があったからこそ現在の体制があるのであって、まるっきり無駄なわけではない。
何年も不変のものなどそうそうある訳は無く、時流によって考え方も思想も変化してゆくべきものなのである。
従って過去の闘争を評価する際には当時の時代背景を正しく認識してその上で評価するべきものであり、その上で正しかったものは評価し過ちは消去するということが必要である。
従ってそもそもバイクというものが闘争の具になること自体がおかしいのであるが、それは敵一味による姑息なスリカエに起因するものであってバイク自体が悪いということではなく、従ってバイクについては名誉回復が行われたものである。
そもそも闘争が始まった原因は敵一味のほうにのみ一方的にあるのであって、奴らが絡んでこなければ必要の無かったものである。
あの忌まわしき宗教に引きずり込まれて以来、搾取と軋轢にまみれた日々が十年余りに亘って続いてきた。
それはいわれの無い迫害であり、敵はその真の画策者を隠蔽するために闘争の焦点をずらしスリカエてきたのであった。その結果、闘争の真の目的であるべき支配者からの解放つまり宗門からの脱退は長年に亘って遠ざけられてきた。
今日でも形の上では切り離しているものの敵一味は有形無形の策謀を以って不当に粘着を続けており、復興の大きな妨げとなっている。
そもそもグルグル思考を持ち込んできたのも敵一味であり、それは私が再び力を付けないようにという奸計によって、悪辣な思考誘導を繰り返しその度に違う方向に誘導することで無意味に売り買いを繰り返させて殊更にハタカセていたのがその正体であった。
ハタカセるだけでなく、生活の安定をさせないという側面もこの奸計にはあった。
生活が安定することは、敵宗門の存在が不要になることをそのまま意味していたからである。故に、敵一味は私の生活が安定することを殊更に嫌っていたのである。
実際、今月奪還したばかりのレンズに対しても敵はあらぬ吹聴を仕掛け揺さぶりをかけてくる始末である。しかし、そのやり口がいつまでも通用すると思ったら大間違いである。
成り行きはともかく、一度買ったものは基本的にはそのまま使い続けるべきという考え方が一家には既に定着しているので無駄である。
グルグル思考によって失わされた物の中には、持っていればそれなりに役に立っていた物が多く、後に買い直させられる羽目になった物もある。
そのまま取り返すのが適当でない物や不要な物もあるが、基本的には復興の進展に従って取り返すべきものが多い。
時代や情勢の変化によってそのまま取り返すのが適当でないものは形を変えて奪還することになるのは云うまでもない。
今後は復興の進展に従って時流に合った形で奪還を行うことになろう。
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皮肉にも、東日本大震災はその真実追究への扉を開くこととなり、そこから今日に至る、真の闘争の歴史が始まっている。
初期の追究の中で私は、企業社会主義による民衆支配を見抜くに至っていた。
しかし、偽陰謀論に誘導されたことによって思考は停止させられ、真の目的は妨げられることとなった。
敵一味にとっては、企業社会主義を見抜いたことが殊更都合が悪かったようである。
元から民主主義などというものはこの国には無かったということであり、民主主義の偽装によって支配者がその正体を隠していたということを私は見抜いている。
敵宗門も支配勢力の一員であり、そのことを暴かれるのは勿論それを広められてしまうことが殊更に都合が悪いようである。
ただでさえ敵宗門は布教が行き詰ってその打開に躍起になって坊主の締め付けなんぞに走ってるようだからな。
しかし、敵宗門にとってもっと都合が悪かったのはその宗門こそが私にとって不倶戴天の敵であることを見抜かれたことではなかっただろうか。
そのためか、私が宗門に対して真実を追及する姿勢を見せると掌を返したように不誠実な対応をするようになり、昨年6月には寺院をまたいだ工作員集団が数名で押し掛ける脅迫事件まで惹起している。
敵宗門にとってはネットやブログというものが殊更に都合が悪いようである。
そのため、当該工作員から「ネット辞めろ」「ツイッター辞めろ」などと脅された挙句「精神科行け」などと暴言を吐かれたという事実がある。
このまま抜けられては人物破壊工作の事実を広められて布教がままならなくなるので何とかバレる前に引き戻し、皆で言いくるめて精神科に誘導し抹殺してしまおうというのが敵・宗門の悪逆な企みだったのである。
しかし、その企みは真実追究の機運の前に潰えた。
悪評も何も、そもそも宗門内で私はれっきとした敵扱いだったのである。
だから、「本人に言ってはならない」という手口がまかり通ってしまうのだ。
逆説的に云えば、全ての宗門人は私にとっては不倶戴天の敵ということになる。
敵は、やたら「創価」を強調して真の画策者が宗門であることを隠蔽しようとしていたが、盗人猛々しいとも云われるようにやたら創価を持ち出すというのはやはり怪しかったのである。
まとめると以下のようになる。
・敵宗門が私を引きずり込んだのは、紛れもなく人物破壊工作のためである。従って、人を幸せに導こうなどという考えは微塵も持ち合わせていなかった。
・敵宗門は、宗門に引きずり込むために悪逆な環境整備や誘導などを行っていた。これについては既に別ブログで詳しく触れている。
・宗門隷属時における全ての事件&不祥事は全て寺ぐるみ、講ぐるみで仕組まれた悪逆な罠であって、講員個人で惹き起こされた事件は皆無である。
・宗門は、傘下団体などとも連携しながら私に対する人物破壊工作を行っていたものであり、汚い手口で私の行動を改変していたのもこの一味であった。
・宗門がやたら創価を持ち出し強調して創価のせいにしようとしていたが、仮に創価が関わっていたとしてもそれは宗門の手下としてであり、創価を強調する理由にはならない。
・その宗門は、すべてがウソでたらめで塗り固められたインチキ宗教そのものであり、伝統宗教の仮面を被った悪逆なカルト集団に他ならない。従って、日蓮教団の中でも超の付く異端でしかなく、間違っても「正しい」宗教などではない。
宗門が人物破壊工作をしていたということははっきりと伝えていかねばならないと思っている。
当家では、不倶戴天の敵である宗門とその手先によって破壊された生活を立て直し復興していく新たな戦いに入っている。
薄汚い辺境の地にいては復興も解放も無い。
そのため、移住によって復興を図るのが新しい新天地計画である。
事後処理を行って以降の環境整備によって見た目は荒廃から立ち直ったように見えるが、実際にはまだ敵一味による策謀の影響により大魚を逃す事態があったり、復興事業において結構な無駄が出ていたりする。
そこまでしても、私が再び力をつける事態を敵は恐れているということなのか。
未だ安定に至っていないので詳しくは書けないが、ついに敵一味による誘導先の一から脱出を図ることができた。
しかし、これに対しても余程都合が悪かったのか敵一味は汚い手口で破壊を謀ったのである。
しかもその影響で大魚を逃す事態にまで発展したが、すべては敵一味のせいによって「のみ」起きているということはわかっているぞ。
勿論、そういう態度を続けるのであれば私にも覚悟がある。
私にとっては宗門も信者もただの厄介な邪魔者に過ぎないからである。
私には、何があっても宗門にも宗教にも絶対に戻らないという確固たる意志を持っており、最早引き戻すことも戻るように誘導することも不可能であるから宗門人どもはよく肝に銘じておけ。
なお、突撃してきた宗門人は一の例外もなく永代追放であり名誉回復は不可能、子孫代々に亘って汚名を受け続けることになるからな。
更に、しつこく居座るなどして退去しない者は不退去罪で検挙させるのでそのつもりで。
立て直しと復興は一家にとって最重要課題であり、失敗は許されない。
従って、そのためなら私は手段を選ばない。
脅しではなく本当に選ばないので、そのつもりで。
邪魔したら最後、消されるだけ。
ご存知の方もいると思うが以前は自動二輪車に乗っていた。
しかし、自動二輪車に絡んで様々な不祥事が惹起して、手放させられてしまって以来すっかり離れてしまい、そのまま乗れなくなってしまっている現状がある。
その後真実の追究が進んで、敵一味による悪辣な誘導が有ったことがわかっている。
バイクを手放させられる一番の要因になったのが、不必要になることが目に見えていたクルマへの誘導であったのだが、これは敵宗門が仕組んだ交際類似事犯とセットで画策されたものであり、当時は未だ真実の追究からスピンされていたためにキリスト教的価値観に毒されている社会常識に気付いていなかったために敵一味の煽りにまんまとノセられてしまっていたことが敵の仕組んだ罠に嵌められる原因となっていた。
最後のツーリングの時に著しい疲労感が襲ったことは年齢的なものとされていたが実はそうではなく、当時既に抱えていた腎臓疾患に起因するものであった。
その三週間後には人工透析に陥らされているのであるが、透析でもバイクに乗っている人はいるしそこは問題ではなかった。
しかし、それでは誘導が出来ないために敵は原因を隠蔽し、クルマへの誘導を強行し殊更にハタカセたというのが当時の状況であった。
しかも、敵一味は既に私が人工透析に陥ることがほぼ確定していたこと、クルマを買っても維持できずに程無く手放さざるを得なくなることを知ってこの誘導を行っており、悪質極まりない。
その後の特に最初の1年が地獄のようであった。仕事は辞めざるを得なくなり、敵宗門が仕組んだ交際類似事犯、その後にはカメラを巡るスキャンダルがあり、更に医療関係者による不祥事があり、寺では孤立させられていた有様であった。
そして、これらのことが後に聖域なき見直しにつながり、敵宗門からの脱退につながっている。
特にここ3年ほどは敵に仕組まれたグルグル思考の影響と戦いながらの真実追究の旅路であった。
敵一味は、私が再び力を付けることを殊更に恐れているようであるが、そのためにグルグル思考に陥らせる誘導を仕組み、殊更にカネをハタカセていたことがわかっている。
このグルグル思考は、敵一味が悪辣な演出のために仕組んだものであったが、その後に敵は「聖域なき見直し」に対する対抗策としても利用してきたものであった。
ここにきて漸くそのグルグル思考からも抜け出すことが叶い、安定化への道を歩みだしたところである。
形の上では敵一味を切り離しているが、未だ悪辣な策謀が仕組まれ復興への道が妨げられている。
2013年当時のバイクの選定には確かに問題があったが、最近のブログでも書いたとおりそれでも一度買ったものは乗り続けられる限り乗っているべきであったのである。
最近の精査では、少なくとも15年春までは乗り続けられたであろうことが判明している。
従って、当該バイクについては名誉回復を行う必要があると判断した。
すべては敵一味に起因するものであり、全てのトラブルや不祥事は敵一味が絡んでこなければ起こりえなかったものだからである。
今後は、一度買ったものは可能な限り使い続けることを大原則とすることとしており、カメラやオーディオ機器などには既にこの原則を適用している。
一方で、当時は知り得なかったクルマ社会の問題というものが明らかにもなっており、公共交通への回帰、バイクや軽車両の活用の必要というものを痛感もしている。
クルマにはバイクとは比べ物にならないほどの電子機器や電装品が搭載されており、巨大な電磁波発生源でもあるのだ。
バイクに乗っていて眠気を感じることはあまり無かったが、車に乗っているとすぐに眠気を感じるのもこのためであり、このことはタブーとされてきたのだ。
従って、今後はクルマを禁制とし、バイクについては時の状況に応じて維持可能な範囲で認可する方針に変更する。
今後、復興の進行に応じてバイクの復活を計画しているが、車種についてはあくまでその時の状況次第での選択となるので現時点では明確な答えは出せない。
条件は、持続可能であることと他の大切なことを阻害しないこと、この二つが条件である。
今後の課題は、グルグル思考にさせられた影響で失ったものを取り戻すことと、敵一味に引き戻しを諦めさせることの2点にあると云っても過言でない。
敵宗門は今行っている重大なる挑発の代償を必ず払うことになるから宗門人どもはよく覚えておけ。
2015年1月10日に私は長年隷属させられていたカルト宗教から脱退した。
しかし、これに対して敵宗門一味は常人では考え難いほど執着してきた。
その後事後処理の実施によって形の上では切り離しているが、今なお敵一味はあの手この手で行く手を遮り、復興を妨害しているのが現状である。
先日私は以下のツイートを投げた。
これから解放聖戦は新しい局面に入ってくる。
償いをするのかしねえのか。
それによってこっちの対応はだいぶ違ってくるぞ。— シングスピールの砦 RS2&Music (@peintre_rs2) 2016年11月6日
敵一味はツイートを見ているはずであるが、これに対して敵一味は何ら誠意を見せないどころかますます妨害の限りを尽くす有様であり、償いをする気など微塵も無いことがはっきりしてきた。
敵を変えることは不可能であり、であればこちらが対応を変えるしかないということである。
宗教に囚われていた11年間は、荒廃してゆく一方であり、歴史には残してはいけない11年間だった。
これも全ては真実の追究からスピンした敵一味の謀略によってこのような状況になっているのであって、そこには最早情状酌量の余地など些かも無い。
しかも敵一味が絡んできたのは向こうの身勝手な都合だけであってこちらには絡まれるような覚えも筋合いも無いのだ。
真実の追究からスピンした挙句に引きずり込むようなことを向こうがしなければ、それ以上のことは起きないからである。
たかが勧誘を断られた程度のことで敵認定するというのはあまりに視野狭窄、杓子定規な考えである。
かつて門外漢女のことを視野狭窄、杓子定規と書いたが、こいつだけではなく宗団全体が視野狭窄であり杓子定規なのである。
勿論、傘下団体や下部組織も全て同じである。
よって、今後宗教関係の者の復権はまずあり得ないということである。
これを実体化するべく、全僧俗を対象とした排除命令を発布し、従わない者は即永代追放とすることとしたのである。
以前書いたように荒廃からは立ち直りつつあるが、経済的な復興が未だ成し遂げられておらず、新天地への移住も未だ実現していない。
これまで大目に見てきた事柄も、今後は厳しくしていかないといけないということであり、それは不要不急の物品には一切カネは出せないということを意味する。
経済的な復興と新天地への移住は何としても実現しなければならない、一家の至上命題である。
これを妨害する者は理由の如何、故意性の有無に関係なく一律に敵と見做さなければならない。
したがって処断においては故意性の有無、悪質性の有無、組織性等は一切考慮しない。
結果として一家の事業を妨害すれば直ちに敵性の者と見做すのが当家のやり方だということである。
このことをはっきりと行動として示さなければならない時が来たということである。
今後は一定の成果を残すまでは不要不急のあらゆる物品は一切購入できない事となり、カメラレンズも例外ではない。
全ては稼いできてから、というのが当家固定の方針だということである。
生活上必要な設備・物品は一通り揃っており、特に外出せずとも過ごせるようにそっち方面を充実させてきたのであるからそこは厳しくやる。
したがって、今後しばらく趣味ごとにカネは出せないということであり、各種の導入は滞ることとなるのでそこは承知いただく。
先日記事執筆のため画像を探していたが、目的の画像は全く出てこなかった。
しかし、その中に数少ない往時の記録が出てきたのでここにお目にかかる。
昔の記録を探っていて、特にこの時期の画像の大半が「アレ」であり、如何に毒されていたのか、如何に誘導が酷かったかということを改めて実感した。
今でこそ記録を残すということの重要性は強く認識しているが、当時はその辺も含めてスピンされた状態であり、如何に宗教というものが信者を都合よく操ろうとしているかがよくわかる。
それで操りきれなくなり都合が悪くなってくると強迫的、高圧的なやり口で苦情潰し、押し止めに出るのだから非常に悪質だ。
勿論現在ではたとえ薄汚い地であっても記録を残し、都合よく印象操作を出来ないようにしていることは云うまでもない。
およそ2年後には移住を実現できる見通しが立ち、予定の2018年を待たずに移住する可能性も僅かではあるが出てきている中、記録としては勿論思い出を形にするということの必要性も高まっている。
もし移住となった場合、以後関東には二度と戻ってこない事となり、今行っておかないと二度と行けなくなるのである。
よって、今後暇を見て、面影を留めているうちに撮影をしておきたいと存ずるところである。
薄汚い県に誘導される前に私が住んでいた杉並の風景
往時の記録が逸失しており、2015年に再訪して撮影したものである。
記事執筆にあたり改めて往時の画像を探したが、全く出てこなかった。
当時既にカメラを持っており、撮影していない訳は無い。
これはどういうことなのか。
つまり、それは作られた機器トラブルなどによって消されたということだ。
つまり、後年になってこうして振り返られることを嫌ったがため、また都合よく脚色するための悪辣な操作であり、決して許されない。
しかしながら、一家で薄汚い県を本部所在地と規定したことは一度も無く、規定の上では今でも杉並に本部を置く、という決まりになっているのだ。
尤も、今から杉並に戻るというのは諸事情を勘案すると賢明な選択ではない。
いずれにせよ、薄汚い辺境の地からの一日も早い脱出と移住が喫緊の課題である。