脱退2周年に寄せて

一昨年の1月10日に忌まわしき宗門を脱退して漸く2年が経過した。
脱退してからこれまでの間敵宗門の凄まじい妨害や嫌がらせは筆舌に尽くし難いものがあった。
そしてそれは今もまだ続いているのが現状である。

アンチ日蓮正宗では離壇から5年は様子見期間とする旨仰せられているが、それだけ妨害や嫌がらせに屈して戻ってしまう者が多いこと、また結局カルト依存体質から脱却できずに系列のカルト教団を渡り歩く、所謂カルトサーフィンの者が多いことに鑑みてそのように仰せられているのだろう。
一度カルトに嵌って失った信頼を取り戻すのにはそれだけの年月が必要であるという意味でもあり、まだ2年しか経過していない現時点では道半ばであるということになる。そしてあと3年は戦いが続くということにもなり、マイルストーンを重ねていくことに勝る闘争はない。

当家では当然に幾多の対策を重ねて敵工作員の撃退に努めてきたが、突撃が出来ないと見るや裏に回っての陰湿且つ卑怯な嫌がらせを激化させており、改めて敵宗門の者共が社会不適合者の集団であることが浮き彫りになっている。

本来であれば21世紀の幕開けとともに始まっていなければいけなかった真実の追究を汚い洗脳による焚き付けでスピンしたのは敵一味であり、その後も再三押し止めやスピンを行い真実の究明を妨害してきたのである。その目的が社会的抹殺にあったことは明白であり、それも些細な理由で勝手に敵認定したことが端緒となっている。
しかし、敵一味が最も知られたくなかった真相とは「宗門が敵」であること、私を騙して引きずり込んだ宗門自体が主導者であり画策者であったことではなかったか。がためにいち実行犯でしかない門外漢女を「首謀者」としてでっち上げ、デコイとして叩かせることで真の首謀者を隠蔽していたのが宗門だということである。
このでっち上げは汚い洗脳で刷り込まれ、これまた汚い洗脳によって徒に書き急がされ、内容に疑義ありとして消しても再度書かされたことは以前にも書いた。

敵宗門の者共は安心できるウソで「必ずよくなる」と私を騙してきた。
しかし、忌まわしき宗門に引きずり込まれてから脱退までの11年でちっともよくならないどころか実際には悪くなる一方であり、一家は離散し崩壊させられ、私は屈辱の境涯に突き落とされた。
しかも講内では常に孤立状態で、敵扱いされてきたのである。

敵宗門は、「罰」や「罪障」という言葉で誤魔化し、或いはこれらの言葉を使って貶め、私を悪者扱いしてきた。
そして、暗殺や離間工作で孤立化を行い、以って他に頼ることのできる者を奪い、宗門に依存させるような工作をしていたのである。
そして宗門に依存せざるを得ない状況を意図的に作り出すことで脱退を長年に亘って妨げてきたのである。
それを破ったのが、2014年に行われた「聖域なき見直し」である。

前にも書いたように、脱退するチャンスは以前にもあった。
石之坊からの脱退の砌である。
このときに宗門自体から脱退していればここまでの惨状はなかったはずである。
しかし、石之坊サイドは一方的に結論だけを押し付け、真相の追及を妨げた。
而してそのことが真実を物語るものであり、全ては寺ぐるみ・講ぐるみで行われた組織的犯罪だったのである。
そして、日有の贋作である「日蓮=仏」のまやかしに騙されていたことが脱退を妨げた。
結果、それ以後の4年半で私は全てを失わされ、屈辱の境涯にまで貶められた。
そのことに漸く気付いたのが、2014年の8月だった。
そして「聖域なき見直し」の結果宗門から脱退を決めたのが2015年の1月だったということになる。

脱退決定後、直ちに離壇の手続を取ることを決めたが、敵一味は汚い手段で行動を改変し、正式な手続を妨げてきた。
宗門と関係のない外部の者ということになると如何なる処分や懲戒も意味を成さず、脅してやり込めることが出来なくなる。そのために正式な手続を取られないように行動を改変し、その結果向かわされた宗務院でも離壇の受理を拒んで違う寺院へたらい回しにしようとしたのである。これは基本的人権である宗教からの離脱の自由を侵害する不当行為であり、断じて許されるものではない。
しかし、確実な離壇という観点から見れば離壇届は末寺に郵送で出すのが本来のあり方であり、それをされないように敵は汚い手段で行動を改変したのである。

そして敵一味は、私が力をつけることの無いようにと、事あるたびに殊更にハタカセて、買わされた物の売却で手元に取り戻してもいつの間にか使わされて失わされたのである。
力をつけることは選択肢を得ることにつながる。その選択肢を奪いたいということなのか。全くどこまで邪悪な宗団なのか。
離壇によって宗門にカネを落とさなくなったことが余程気に入らないのか。尤も私はそれほどカネを持っていたわけではないのでそこまでして引き戻しても利益など大して生み出さないはずである。

ハタカサレたカネが仮に全部残っていれば、今頃とっくに移住を果たしていた話であり、殊更にハタカセた敵一味が物凄く許せない。
然るに敵一味は失わせたものを全く償わないばかりか却って逆ギレして執拗な迫害を繰り返すばかりで全く反省が見られない。
このような宗団の者に反省を期待をすることは全くの無駄であり、邪魔者は殲滅する以外に方途がない。

敵一味による妨害の理由は他にもある。
脱退者(敵的には「退転者」)がその後幸せになられては信心に意味がないことが明白になってしまい脱退が後を絶たなくなり、収奪が出来なくなるからということなのである。つまり運命操作によって意図的に脱退者の幸福を妨げ収奪システムを守っているということなのである。
運命操作という汚いやり口を持ち込んだのは間違いなく敵宗門であり、その傘下の団体らはこれを流用しているに過ぎない。
しかし、「宗門無しで」幸せになれること、また逆にどんなに信心しても幸せになれないことを証明し、敵一味のたくらみを阻止しなければならない。
そもそも敵宗門の教義自体怪僧日有による贋作であり、「日蓮=仏」もそれ以前には無かったものであり偽仏による収奪システムは糾弾されなければならない。

大して宗門にカネも落とさなかった私に多大な費用をかけて引き戻しや遮断の工作をしたところで何の利益も生み出さないはずであり、「付きまとって何の利益があるのか」と謂いながら付きまとっていたことと併せそれは自家撞着の産物に他ならない。
以前敵工作員がのたまった「折伏の妨げは潰さねばならない」という極めて自己中心的且つ独善的な思想は全体主義、ファシズムのものであり、「世界平和」などとは到底相容れない。

ともかく、以前の記事でも書いたとおり「今年1年ハタカサレないために」を制定し、「先に買わない」「取らせないなら買わない」を徹底することとした。
失わされた物の中には、敵が洗脳犯罪を行ったために逃させられた大魚が含まれており、そのことに対する報復でもある。
逃させられた大魚だけでもとっくに移住を果たせていた話であり、絶対に許せない。
先に買うことは、敵の意向に従うことをも意味するものであり、買ってしまったがために失ったチャンスも多かったことから「先に買わない」は来ているのである。
先日書いたように前進を果たす最終期限でもあり、不退転の決意で臨む。
「買う」ことには無駄な外出でカネを使うことも含まれるというのが当家の見解であり、遠出をしないことが達成の近道でもあるということである。
従って、不要不急の遠出を避け、外出時であっても余計なカネを使わないことが肝要であるといえる。
これ以上ハタカサレる訳には絶対にいかないのが現在の一家事情であり、今度は厳しくやる。
過去の惹起事件から気をつけるべきポイントは心得ている。
汚い洗脳によるハタカセ、そしてそれが出来ないと水商売や風俗、そして交際類似事犯が来るのが敵一味の攻撃パターンだ。
最早それらに惑わされることは無いしラ・チーカ事件のような強引なやり方も通用しないからな。

たとえこのまま幸福な人生を取り戻せないで終わったとしても、私の人生を潰した宿敵であるカルト日蓮正宗宗門に戻ることは皆目あり得ないのであり、それが私の矜持であるということははっきり謂っておかねばなるまい。
従って如何なる理由や事情があったとしても宗門に籍を置く者は全て敵となるのであり、如何なる例外もそこには認められないのである。
それが解ったなら何の利益も生み出さない妨害や遮断の策謀からは早く撤退したほうが貴殿らのためだということを宗門、宗門人どもにこの場で通告しておく。

漸く脱退から2年を迎えることが出来たが、「失わされた14年間」を取り返すための戦いは始まったばかりである。
そして、「脱退から5年」を目途にするならばそこまではまだ3年ある。
移住を果たすこと自体、解放を果たすための第一段階でしかなく、敵一味が償いをしないどころか未だに遮断を続けている現状では厳格無慈悲に邪魔者を殲滅する以外に方途は無いということである。

必ずや解放聖戦を脱退貫徹による完全解決で勝利し、自分の人生を自分の手に取り戻す。
それが脱退2周年の新たな決意であるということである。

照明問題の顛末について

照明問題については、結局電球型蛍光灯の電球色を採用することとして決着とした。
照明の代替については「殖やす」が実現するまでお預けとする。
たかが数千円だが、その数千円が命取りとなりかねないだけにここは自重する。
少し様子を見て出しても問題なさそうなら執行する。

事の発端が例の陰謀論者の糞動画だったのであまり面白くはないのであるが、元々リビング兼事務所の照明が出力過大で明るすぎるという問題を抱えていたことは確かである。
一方で今頃白熱球というのは通常ではありえない選択であり、信頼性を要求される業務用途ならまだしも家庭用としての役割は終えたと判断した。

60Wタイプの電球型蛍光灯は消費電力が11~12W程度である。40型なら8Wである。
白熱球は40型が38W、60型が57Wだからどえらい違いである。

とんだ洗脳禍となってしまった電球型ペンダントであるが、捨てるわけにもいかないので活用することとし、電球型蛍光灯を装着して復活させることにした。
60型の電球型蛍光灯・電球色ボール型を2基装着しているが、通常は1灯で十分である。
電球型蛍光灯はその構造上明るさが立ち上がるまでに若干時間がかかるので、長時間点灯するような場所で運用することとそれを見込んだ出力にすることが運用上のポイントである。
従って、点灯が短時間且つ即答性が求められる洗面所とお手洗いはLED電球のままとする。

以前にもご覧いただいたように、現在の高周波型のシーリングライトは室内面積に比して出力が過大であり、減灯でも60Wの出力があり明る過ぎるという問題があった。
結果、電球型ペンダントは先述のとおり電球型蛍光灯を装着してリビングに転用し、出力過大だったシーリングを廃した。スタンドはリビングからダイニングへ転任し、テーブルスタンドとして運用する。
これによってリビングは出力24W(60型2灯、フル出力時)とし、2灯点灯でも従前の半分以下という省エネ化を実現した。思わぬ怪我の功名ではある。
今後はダイニングに1灯形のペンダントを60型のボール型蛍光灯を装着して導入し、蛍光灯ペンダントを廃する予定としている。
余剰となった白熱灯は球切れ等の代替用として保有する。
一箇所どうにもならない場所(浴室)があり、そこは白熱灯を使うしかないのである。

今回廃することとなったシーリングライトは2015年3月に中古で導入していた。
しかし、特に最近その過大な出力が問題となっており、減灯しても60Wの消費電力を要することが問題化していた。
結果約2年で廃止となり、購入したばかりだった電球色のFHL蛍光灯はふいとなってしまった。
よくよく問題点を洗い出してからであればそのような事態は起きないのであるが、それをさせずにそのようなものを買い急がせるなど敵一味の仕業以外に何があるというのか。
これだからやたらに物を買ってはいけないのである。
先に買ってしまうからこのような事態が起きるのでもあり、改めて「先に買わない」ことの重要性が浮き彫りになった訳である。
今回の改編で問題点は解決したので、今後は「先に買わない」ことの再徹底を徹底し、「今年一年ハタカサレないために」を毎日復唱し、徹底した水際作戦で謀略を退ける。

あの陰謀論者は何故今更白熱球を持ち出してきたのか?
それは、消費電力を増大させることが目的ではないかと推定する。
家庭での消費電力増大は原発利権の延命につながる。
元から被曝被害はおろか原発のゲの字にも触れないような糞陰謀論者だから、原発推進側なんだろう。
そして、消費電力の増大は電気料金の伸長つまり経費が膨らむことにつながる。
つまり、敵一味は電気料金を伸長させ経費を増大させることを狙っていたのであり、それによって移住計画やその実現につながる財政基盤の確立を妨げようとしていたということである。
そのような謀略的なやり口に加担する陰謀論者がまともな訳はなく、切った判断がやはり正しかったことを雄弁に物語っている。

当家の運営に対する妨害と嫌がらせに精を出すキチガイどもに対しては厳格無慈悲な対応と処断を以ってこれに臨み、殲滅することになるから覚悟しておけ。

今後の構想について 2017

不退転の決意を以って始まった2017年。
これまでのしがらみを断ち切り、前進を果たす最終期限であるとも云える。
既にフクシマの事故から6年、そろそろ影響が出てもおかしくない時期だからである。
私はそこそこ年令を重ねていることもありそこまでの影響は出ていないが、若い人ほど注意が必要なことは云うまでも無い。
敵一味もこれまで以上に巧妙な妨害を企ててくるだろうが、これを乗り越えなければ未来は拓けない。

既に今年前半までの概算要求を締め切ったが、昨年多くの費用を費やした分今年は非常に厳しい回答を出しており、多くはゼロ回答である。つまり「取らせなければ買わない」ということである。

そして、今年は以下のようなものを定めた。

これは要約であり、実際にはもっと多くの項目がある。
いずれにしても、予定にないカネは絶対に出さないということであり、今年絶対にやらなければならないことである。
これにより、1月2月の活動費ゼロが確定。
3月以降の予算に活動費が盛り込まれているが、これは積み立てが目標割れを起こした場合には剥奪されることになっている。

年明け早々悪質な嫌がらせ事犯を敵一味が惹起した。
恐らくは調達計画における厳冬回答とハタカサレないために定めた施策が気に入らないがための攻撃であったということだろう。
しかし、当家には攻撃に屈する理由など無く全ては決められたとおりに運ぶことになる。

今年の目標は財政基盤の確立である。
そのためにはハタカサレないことが第一であり、これに勝る施策はない。
昨年には陰謀論者が敵一味の要請に応えた動画で我々を愚弄し、これによって繰り越し予定費をハタカサレるという事件が惹起した。
所詮陰謀論は陰謀論であり、我々を愚弄する物に過ぎない。そのような陰謀論者は切り、二次被害を出さないようにするのが一家運営としても当たり前すぎるほど当たり前である。

今後の目標としては、来春以降いつでも移住を敢行できる態勢を作ることである。
本来の目標から言えば既に2年以上遅れており、本来ならば今頃移住を果たしていなければいけなかったのであり、これ以上遅らせる訳には行かない。
折角の二つの脱出を、決してガス抜きで終わらせてはなるまい。
これまで以上に激しい迫害があるであろう事は百も承知である。それでも達成しなければならないものがこっちにはあるということだ。

今年やるべきことは、まずカネを出さないようにすることである。
使える物は使える限り使い続け、余計なものを買わないこと。
余計な活動は控え、最小限にすること。
そのためにこれまで設備を充実させてきたこともあり、今年は厳しくやる。

・写真活動は、現行機材でやる。
・今年の写真活動は、年3~4回程度とする。
・音源は、新譜は年3本まで。レンタルは極力まとめてやる。
・ライブについては、定例会各1回限りとする。(計2回)
・オーディオ、照明、家具、家電等については今のものを使える限り使い続ける。
・積み立てを優先し、余裕あらば一発を狙っていく。
・食費も徹底削減、外食等の抑制。
・趣味ごと、外出の抑制。余計な出費を抑える
・軌道に乗るまで交際統制。違反者は一発追放!
・買いたいものは配当金で買え。「取らせないなら買わない」!
・徹底した水際作戦によってカネを無駄遣いさせるための不当要求を撃退する。

以上が今後の方針である。

今後は、敵一味との戦いに並行して移住候補地の検討を進めていく。
突然道が開ける可能性もある訳で、いつ移住となっても慌てずに済むよう怠らず準備を進めていく。
一家方針として、2018年度までで移住を達成する方針であるので、それまでに敵一味の粘着を切っておく必要があるのだ。

今年の目標としては、決められたとおりに積み立てを達成することと、あわよくば一発逆転を掴むことである。
財政基盤の確立が第一であり、余事は二の次だということである。

・決められたとおりに積み立てを達成すること。
・来春以降いつでも移住を達成できる態勢を作ること。
・敵一味の粘着を何としても切ること。

以上を今年の目標とする。

同じ手口に二度はかからないことぐらい敵だって考えてるはずで、つまるところ敵一味がいよいよ最後のカードを切ってくる可能性があると考える。
勿論その辺はこちらも織り込み済みで、当家としてはいつでもそれを踏みにじる用意がある。
どうせ敵一味の女など色仕掛けで宗教に引きずり込むような最低女だとわかっているので、容赦はしない。

これまでは揺さぶりに対する対策が杜撰であったと云わざるを得ず、新たな切り札を投入した。
封印シール
開封防止シール、早い話が封印である。
そもそもこれまではきちんと封をしていなかったのが付け狙われたともいえる。
封をしなければ駄々漏れになるのは当然の話で、それでも対策を講ずるのが遅すぎるのであるが、これまではそれをされると都合が悪いので封をさせなかった可能性が高い。
やはり使った、ではなく使わされたと言ったほうが正しく、ここでも敵一味だけが100%、且つ一方的に悪いことになる。
はっきり云って余りにも遅すぎるのであるが、これ以上は絶対に駄々もれさせるわけにはいかない。
磐石の対策によって駄々漏れを防ぎ、必ず計画通りに軌道に乗せる。

先日惹起の嫌がらせ事犯に対する対策も打った。
先日の事犯は曜日の記憶をスリカエられたことによる誘導事犯であり、例の工作員の都合に合わせて行われたと見られている。
これまでカレンダーを配置していた3箇所のうち、ダイニングのカレンダーを経費節減の趣旨で省いていたことが狙われ、曜日の確認を妨げ洗脳による事犯惹起を防げなかった。
このため従前どおりカレンダーを配置することに改め、併せて日付曜日の確認が容易な日めくりカレンダーを配置することとした。
日めくりカレンダー
毎日日めくりするタイプなので、嫌でも毎日曜日と日付を確認するようになり勘違い、或いはスリカエ洗脳による事犯惹起を防げるというわけである。

以前どんなに計画を立てても必ず打ち砕かれるという趣旨の記事があったが、あれは御用メディアの記事であり、洗脳誘導事犯を隠蔽するための御用記事であるから惑わされてはいけない。
殊更にハタカセるために「ほしい」と「必要」をスリカエて、或いは「必要」を創造する手口を以って洗脳誘導してきたのが御用メディアであり、また敵一味も同じ手口を汚い手段で使ってきたのだ。

どちらにせよ私の人生をめちゃくちゃにし今も執拗に妨害と攻撃を続ける宗門はじめ敵一味を私は絶対に許さない。
不幸の無いところに不幸を作り出しこれを奇貨に搾取と収奪を謀り安心できるウソで騙すのが宗教屋だからその巧言には絶対に騙されてはいけない。

間違っても薄汚い辺境の地で死ぬつもりは無いので、必ずや移住を果たし恥辱の歴史に終止符を打つ。

東坂戸

失敗移住地として「三馬鹿」の一つに挙げられることの多い東坂戸の記憶を辿る。


街並み。


当時私が住んでいた建物。
なお、目の前に団地センターがありスーパーもあるので生活に困ることは無かったと思われる。


実質的なターミナルだった若葉駅。
バスは川越と若葉から出ているが、後者のほうが本数が多く、また池袋へも後者のほうが安くて早い。


若葉駅前には大型のショッピングモールが。

実を言うと、若葉駅前にも団地はあった。
しかし、そちらは単身者の入れないという制約があったのだ。
また、URの住宅は所得に制限がありある程度稼いでないと入居審査で刎ねられてしまうのだ。
この制限については物件ごとに最低所得額に差がある。
当時であればもう少しまともな選択の余地もあったと思われるが、当時は敵一味による洗脳の影響下であり、真実を追究しようとしてもスピンネタを捩じ込まれたりとやりたい放題だったのだ。その上宗教による洗脳と騙しにやられてはなす術も無かったのであるが、それにしても親に相談するなりしてもう少し何とかなったはずである。それをさせなかったのは他ならぬ敵一味だったのであるが。
それでも当時の状況を言えば、勤めてさえいれば安泰であったであろうといえ、それをぶち壊しにして安定を妨げた敵一味がやはりここでも100%、且つ一方的に悪いということになる。
安定を妨げるというのは敵一味の「敵対者対策マニュアル」に基づくものである。
とどのつまり、この20年前の時点で既に「敵扱い」だったわけであり、しかもほんの些細な理由で敵認定されたことになる。
もしここで安定できていれば今頃、の思いは当然ある訳だ。

どちらにせよ、こんな人生をお世辞にもこれが自分の人生だなんて云えたもんじゃない。
何度も途中でぶち壊しにされ、挙句の果てに最低の境涯にまで追い込まれた者の気持ちが誰にわかるというのか。
そんなものを誰が認められるというのか。
てめえがなってみないとわかんねえんだろうがな。

宗門人のような下等動物にこの気持ちはわかるまいよ。

ゴーストライター

昨年は特に音楽・オーディオの面で変革の激しい年であった。
その一方で敵一味による捩じ込み策動の激しさも目立った年であった。
しかし、もっと大きかったのはJPOPの殆どにキリスト教的価値観が投影されていたことが発覚したという点であり、これによって嘗て自分で選んだ者であっても淘汰の対象となったことが特に大きい。
代わって当家の思想に適した音楽としてジャズ・フュージョン系の音楽が大躍進を果たし、すっかりJPOPに取って代わったのであった。

これと前後して本格的なオーディオの整備が十数年ぶりに行われ、現在の主流であるジャズ・フュージョン系の音楽に適したシステムが整えられた。
単コンシステムにこだわったのは、安請け合いなオーディオは安請け合いな音楽を呼び込むという考え方によるものであり、必然の選択でもあったということである。

表題のゴーストライターというのは、敵が捩じ込みたがっている、或いは過去に捩じ込んできた種類の音楽に関係がある。
敵一味は、私が高尚な音楽をメインとすることを妨害せんと様々な捩じ込みや謀略をこれまでも尽くしてきた。

昨年、当家執行部は敵に不当に捩じ込まれたとして或るアコギ女の破却を命じた。
上記ツイートは、それに関連して投じたものだ。
敵一味は、過去に引き裂いた相手を奇貨としてこのmを捩じ込み、約2年に亘って私を愚弄してきた。
しかし、当のm自体が綻びを見せたことによってこの捩じ込みは破綻した。
ツイートにもあるようにその煽動的な歌詞が問題となったのである。
このmをはじめとして、今流行の「ギター女子」の類は殆どがゴーストライターによる贋作であると私は見ている。これが表題の訳である。
折しも当家ではジャズ・フュージョン系の大躍進の時代に突入しており、この流れに押し出されたことも粛清を早めたといえる。

ギター女子だけでなく、ガールズバンドの類も私は怪しいと思っている。
そもそもがあれらは向こう側に決まっているわけで。
で、mが破却された後敵一味が或るガールズバンドの捩じ込みを謀ったのだ。
これはさすがに怪しさ満載で、一家執行部として認可しない旨通牒を発した。
その前には某sを捩じ込もうとして失敗するなど、どうしても印象を変造しようという意図が見て取れる。

それ以前にはアイドルの類を数次にも亘って捩じ込んでは破却されるということが続いており、いかにして印象を変造し貶めようとしてきたかが伺える。
更にその前を云えば、アル爺(2003年非合法化)とやらも敵による捩じ込みだし、反面自分で選んだ者に対しては貶め・引き離し工作まで行われたという経緯があったのだ。
勿論近年においてもそれは行われており、流石に引っ掛かりはしなかったが敵一味にとって如何に都合が悪いかということが露になったことがあった。

要するに敵が演出したいのは龍神のような【キモヲタ】のイメージな訳で、それが解っていれば引っ掛かることは皆目無い。
その龍神はキモヲタ路線驀進中であり、S.SやらK.Nやらとキモさ満載なわけである。
読モバンドとか誰が見ても向こう側だろうが。
mのアンチを批判している時点で向こう側だし。
龍神は関係しないがS.Fとかドラマに出るに至っては向こう側に決まってんだろーが。あれもゴーストに決まってる。

元からJPOPの殆どがキリスト教的価値観の産物とあっては最早取り合う理由もない訳で、今後において斯様の輩に引っ掛かる訳は無いのである。
歌詞があるということは歌詞に洗脳されるということでもあり、その意味でも器楽曲の意義は大きい。また器楽曲特にジャズ・フュージョンは大人の音楽としての認知度も高い。だから敵は引き離したかった訳だ。何とかしてジャズ・フュージョンへの流れを押し止め従前の敵一味による捏造路線に引き戻したかったというのが敵一味の偽らざる本心だったのだ。
それが叶わず、敵一味が誘導した究極の陰謀論者もカットされたことが相当気に食わないようで、またしても洗脳誘導による嫌がらせ事犯が惹起した。同じことは二度起こせないと解っているのか、次から次へと新手の手口を編み出してくる敵一味の邪悪さには反吐が出る。

今年はその敵一味を引き離し真の意味での解放を果たすための戦いの年である。
如何なる妨害があろうとも必ずや前進を果たし、来るべき時代への礎を築く。
邪魔する者は容赦なくこれを殲滅するから覚悟しておけ。

桶川の記憶

先日失敗移住地として槍玉に上がった桶川の画像をお目にかかる。
殆どが後年の撮影である。

桶川駅東口
桶川駅東口。こちら側が旧来の市街である。
駅前にロッテリアがあったが、20年経ってもロッテリアだった。

東口駅前
東口駅前。

東口駅前の道路
東口駅前の道路。

筆者が住んでいたのはそちらではなく、新たに拓かれたほうの西口であった。

駅西口
駅西口。

後年に殺人事件のあったショッピングセンターに通じる橋
後年に殺人事件のあったショッピングセンターに通じる橋。

ショッピングセンター
ショッピングセンター。

西口駅前
西口駅前。

当時住んでいた高層住宅
私が住んでいたのはこの高層住宅の14階だった。
ここには約2年住んでいた。

若かりし頃の筆者
若かりし頃の筆者。
写真からもわかるように、物件だけいえば歴代でもぶっちぎりの格を誇った。
この頃は収入も十分あり、あまり問題にはなっていなかった。
しかし、後年のことを考えるならば低廉な物件に住んでカネを貯め、将来に備えるべきであったといえる。
その意味ではこの後移り住むことになる東坂戸のほうが身の丈にも合っており適していたのではないかと思えた。

当時は大宮が近く、そこが遊び場になっていたがこれが災いしたのかとも云える。

上野の影

史実の地、上野の影を今月撮影した画像を中心にご覧いただく。

黒門公園
黒門公園を別アングルから

上野二丁目の夜
上野二丁目

上野広小路交差点付近
上野広小路

中央通り
中央通り

さくらテラス駅側
さくらテラス駅側

さくらテラス裏側
さくらテラスの裏側

上野公園ライトアップ
何故この時期に桜色なのか?

以上、今月撮影

上野中央通り
この右側が当時の担当エリアだった。

上野一丁目
SG現場のあったエリアの入口付近

一方通行路
エリア内を横切る道路。
左側が千ラシ裏女のテリトリーだった

恥辱の跡地
SG現場が嘗てあった付近。
撮影時点で既に更地であり、少し離れた場所で細々とやっていたようだ。

以上、2015年4月撮影

この上野の地は、2005年から2009年にかけて隷属させられた、通称「SG現場」の担当エリアだった。
このSG現場で私は苛烈なハラスメントの数々により心身ともに疲弊しきってしまいその多大なストレスの影響で後の大病につながる一因を作ることとなった嘗ての恥辱の地である。
私の人生に少しの光と大きな影を落とした、これが史実の舞台である。
かの地におけるハラスメントは、敵一味が裏で根回しをした結果惹起したものだ。
何度か、抜けられそうなチャンスはあった。
しかし、それを妨げていたものがある。
その一つが敵一味の焚き付けた鉄道趣味であり、当時はこれがマキシマムに煽られていた状態であり抜け出す余裕を奪う大きな原因となっていたのである。
しかし、もう一つが少しの光と大きな幻影であったとはいえないか。
いずれにせよ、何があっても早くに抜け出さなければならなかったものであり、鉄道趣味と宗教に煽られたことが今でも許し難い。
それと、SG現場の前に居た現場で私に対する嫌がらせをしていた男が法華講員だというではないか。
龍神と醜い内ゲバをしていたようだが、そんなことは関係なく、この事実は大きい。

このSG現場への誘導の前には薄汚い辺境の地への誘導があり、その前には移住強要の為の下地作りがあったのだ。
敵宗門が私を引きずりこんで最初にやったのが、一家の財政を崩壊させることだった。
それは、信心の名の下に行われた薄汚い謀略だったのだ。
それは、杉並の地に安住することを妨げ悪辣な誘導に引きずり込むために行われ、杉並に残るという選択肢を奪うものだった。
当時の状況を考えれば、鉄道趣味どころではなかったはずであり一家財政を立て直すことが先決だったはずである。
それをさせなかった悪辣な策謀は何があっても言い訳できるものではなく、許されざるものだ。
その意味においても鉄道趣味を一度でも破却したことは大英断であり、負の連鎖を止めるには絶対に必要なことだったのである。

今日、これまでに誘導先のうちH悦院とTクリニックの二つからは既に脱出を果たしているが、これをガス抜きで終わらせてはなるまい。
というのも、最後の一つがまだ残っているからだ。
それが、この恥辱の薄汚い辺境の地なのである。
ここからは、「自分が間違えない」ということがとても重要になってくる。
そのためにもこの先足手まといになりそうな者は切る必要があった訳である。
当家としては、財政再建と移住へ力を蓄えることが何よりも第一であるのだ。
現実の運営として、一家運営が他に優先することは当たり前すぎるほど当たり前なのであり、それを尤もらしい理由付けで切り崩そうとする輩は当然に一家の敵となるのである。

-完-

最終四半期に向けて

現体制に移行してから初めてとなる四半期が終わろうとしている。
しかし、的ずらしや煽動を行う者共の影響により、計画の一部が達せられずに終わってしまった。
しかも年末には偽陰謀論者との連携で余計なカネを使わせる事件まで惹起し、敵一味とこれに連なる者どもの邪悪さを改めて浮き彫りにしている。
恐らく力を蓄えられることが敵一味にとって余程都合が悪いのだろう。
被害を出すような陰謀論者がまともな訳はなく、即座に切るべきだという判断が働いたのは云うまでもない。

過去のハタカセ策動においては「欲しい」を「必要」にスリカエる手口が使用されてきた。
これは御用メディアも使う手口であるが、私に対するケースの多くでは御用メディアではなく、敵一味の仕業である。
今般惹起したハタカセ策動においては、これとは違う全く新しい手口が使われた。
それは、何も無いところから「必要」を創造するという手口である。
何もないというのは、欲しいとも思っていないということである。
そのために、ヒモ付き陰謀論者が起用されたということであるが、それに引っ掛かるように誘導したのは敵一味である。
影響力の大きい陰謀論者なので、被害者は私以外にも多数居ると思われる。
偽陰謀論者は真実に気付いた人を再洗脳するためにあると云った張本人が同じことをしているのである。
この、何も無いところから「必要」を創造する手口も御用メディアが普通に使う手口でもあり、日ごろから注意警戒が必要である。
御用メディアと同じ手口を使うのは御用陰謀論者であるということである。
敵一味がこれまで使ってこなかった手口であることについては、ハタカセるための方策が尽きた時の切り札として隠していたということであろうと推定する。そのため、過去にもこの手口が使われた可能性があり、今後精査する。

最終四半期においては、改めて当初に取り決めたことを確認・徹底し斯様の事態が惹起されないよう取り組んでいく。
なお、計画の未達成に対するペナルティを課されるため、第4四半期において新たな物品の購入等は一切なされない見通しである。
今後においては「先に買うな・先に殖やせ」の大原則を貫き、不要不急のものに関してはびた1円たりとも出さない。
ハタカサれない環境づくりには予てから取り組んできたわけであるが、必要最低限以外の物は買わないことが、特に何か大きな目標を持っている時には非常に肝要であるということができる。

電球については、消費電力の兼ね合いから電球型蛍光灯の電球色を使うことになる見込みで、現在予算の折衝をしている。1個数百円のものなので、全部替えても二千円程度にしかならず、2ヶ月程度で代替できる見込みである。
試作品1個を投入して様子を見ることになると思う。
そのほかに認可された購入品は無い。
現在ノミネートされている増強及び代替候補については、配当金で買うこととしているので本予算からは出さない。

私は特別の事情を抱えており、一発逆転を必要としている。したがってこれを妨げる輩は何人であっても敵となるということをはっきりさせておく必要がある。
他に手段があれば、当の昔にやっているということだ。

年末年始も当家は通常体制であり、週末に競馬がないだけであり、特別なことは一切認可しない。
また当家ではキリスト教の祝日である元日を祝うことは一切禁止である。
伝統と謂うなら江戸時代までは立春を以て新年としていたので、これに従うべきである。
よって新年の挨拶の類いは年始に於いては一切固辞させていただく。

スタートダッシュは3ヶ月遅れで改めて仕切り直しということになる。
稼がせないためのハタカセであると云え、兎に角ハタカサレないことが最も肝要である。
本来ならば今頃成果を出していなければならなかったのであり、これを妨げた連中を絶対に許さない。
今度こそはしっかりスタートダッシュを決めて、未来の礎をしっかり築いていけるようにする。

浅草地下街

浅草地下街というのは銀座線浅草駅とつながっている小さな地下街である。
いつかその姿を記録したいと思っていたところこのたび機会を得て撮影が叶ったものである。

浅草地下街1

浅草地下街2

浅草地下街3

浅草地下街4

浅草地下街5

浅草地下街6

改札口そばの焼きそば屋はあいにく休業日であった。
次に機会があれば食べてきたいものである。
その隣にATMが出来ていたところに時代の流れを感じずにはいられなかった。

敵宗門の動向について 2016.12.24

敵宗門における人事において、不倶戴天の敵人ふたりが日蓮正宗の管長たる早瀬日如から幹事に認証されていたことが判明した。
幹事に認証されるということは工作員の中でも精鋭であると認められたことを意味することで、当家としては予想の範囲内であるもののその持つ意味は決して小さくない。

2016年11月1日付録事

また、この録事からこれまた不倶戴天の敵人である山崎が講頭職を降り、傀儡である秋山が講頭になったことが判明。
秋山は直接の敵人でこそないものの、石之坊講員である時点で私にとっては敵であるので、ここでも敵として扱う。
講頭を降りた山崎がかなりの高齢であり、Xデーに備えた人事であるとも取れるが、いまだ役員として認証されている状態であり、実質的には山崎による院政であると見ていい。
ここで謂う不倶戴天の敵人ふたりとは、謂うまでもなく龍神と門外漢女のことである。
門外漢女は実権こそ持たないものの石之坊における謀略の鍵を握る人物であり、山根、山崎らの命によって私に対する謀略の実行に当たったと当家では見ている。
私が引きずり込まれたよりも後から来た人物であるので、それ以前は山崎が直接手がけていたもの、山崎では出来ない交際類似行為などをこの門外漢女にやらせるようになったのであろう。
いずれにしても、これらの者が認証されたということ自体が日蓮正宗という宗教の謀略性を雄弁に物語るものであり、脱退の判断が正しいものであることをも証明するものである。

もう一つこの録事で重要なのは、龍神の本名が載っていること、および龍神のウソが白日の下にさらされたことである。
龍神はあの忌まわしき迫害の日、偽名を使って迫害を行い更に門外漢女が幹部でないとウソをついたのであった。
幹事に認証されるということは単なる役職とは意味が異なる。つまり、長いこと役職になければ幹事としては認証されないからである。つまり、門外漢女は2010年4月1日に横浜支区長に任ぜられて以来今日まで石之坊で役職の座にあったということであり、龍神はあの日ウソを使って私を脅したことになるのである。
なお、石川と中村については私の知らない人物でありここで語れることは無い。

門外漢女は私に対する謀略の功によって役職に任じられたというのが私の見方であり、石之坊脱退の日私が門外漢女の証人喚問を要求したにも拘らず石之坊サイドがこれに応ぜず、結論だけを押し付けて紙切れ1枚で追い出し門外漢女に証言をさせずこれを守った理由に通ずるものである。
つまり、石之坊におけるすべての事件は決して個人では起こされておらず、そのすべてが寺ぐるみ、講ぐるみ、宗門ぐるみであったということである。門外漢女が威迫によって真実をポロッとしゃべってしまうという事態を石之坊は恐れていたということになる。つまり、この真実がわかってしまえば直ちに石之坊のみならず日蓮正宗からの脱退につながってしまうからであり、2010年4月の時点での(宗門からの)脱退は何としても防ぎたかったというのが宗門側の偽らざる意向であったということになる。翻って当家の視点から見れば、この時点で宗門からの脱退を果たせていれば今日のような惨状は無かったし以後に惹き起こされた交際類似事犯も無かったということになる。
龍神による迫害が石之坊サイドの狼狽を表しており、石之坊サイドが私の筆に狼狽するということは私の推測が図星であることの表われであり、決して私の類推が的外れではないということになる。
それと、門外漢女は工作の任に任ぜられた時点で私から追及の矛先を向けられる危険性を承知していたはずであり、また石之坊サイドからいざという時には守ってもらうという約束を取り付けていたはずである。そうでなければ、あとから追及の矛先を向けられるようなリスクのある任務を易々とは引き受けないはずである。また、宗門に追及の矛先を向けられないためのデコイとして利用することを予め承知していたはずで、したがって門外漢女は決して傷ついてもいない。何故なら最初から謀略のための色仕掛け、交際類似事犯であり、相応の報酬、キックバックを受け取っていたに違いないからである。傷ついた振りをして涙で支配するのは悪いハラサーのやり口だ。
無論門外漢らは加担者や与同者の類であり首謀者ではない。また、門外漢女は全体構図から見れば最下級の戦闘員、ザコでしかない。龍神でやっと中ボスクラスである。
首謀者は宗務院の中にいるのではないかというのが当家では専らの見立てとなっている。

問題の旧回顧録ブログの内容は、敵宗門による創作であり、これを汚い手段で思い込ませて書き急がせたものである。再三に亘って見直しが行われ、一度は内容に疑義ありとして削除が敢行されたが、敵一味は再度焚き付けてこれを書かせ、これがあとで敵工作員の龍神によってカモにされたということである。
いまだ宗門に隷属する間は宗門に矛先が向かないための的ずらしとして最下級のザコをデコイとして叩かせることでガス抜きとしてこれを利用していたものであり、また(宗門にとって)不本意にも脱退された際には迫害の理由作りとしてこれを利用することが予め予定されていたものであると見られている。
他にもヒモ付きの偽被害者などによる的ずらしのための情報が当時はまかり通っており、これも併せて敵一味のために利用されていたということである。
実際問題、いまだ宗門に隷属させられていた間には宗門も石之坊も問題のブログに対してアクションを起こすことは無く、宗門の意に反して私が脱退してからそれが行われた訳でもある。
なお、迫害事件の詳細については追ってポータルにて扱う予定である。
したがって、旧回顧録ブログについては公益に適わないばかりか私にとって害悪でしかないとして、永久に削除することになったものである。
その後の新しい回顧録についてはその後に判明した最新の史実によるものとして鋭意執筆中である。

話を録事に戻すと、この録事を見る限り龍神は石之坊においてナンバー4かそれ以上の地位にあるということになり、会計職が大した意味を持たないことと併せても現在の石之坊における中心的人物になっているということになる。
したがって、このこと一つ取っても石之坊、しいては宗門そのものが私にとっては相容れない輩であり敵であるということを意味するものである。
よって、あの日石之坊が取った龍神を派遣して脅迫し強引に引き戻しを謀るという手段は私の心に消えようの無い大きな傷を付けたという点で大失敗であったと言わざるを得ない。少なくとも功徳なる物がただのまやかしであることを知った人物に対して取るべき手段ではなかった。
石之坊は後々大きな代償を払うことになるであろうから覚悟しておけ。

いずれにせよ、すべてを遮断し分断し潰えさせていたのは宗門を首魁とする敵一味であり敵一味の外に責任はないということである。勿論加担者や与同者どもはそれと同罪であり今でもそれらに対して強い憎悪の念を持っていることは書いておかねばなるまい。特に自分を守るために迎合し私を見捨てた連中が特に許せない。それは宗門隷属時代の加担者や与同者にも同じことが云える。勇気を持って間違いを正すことをせず自分の保身のために迎合して村八分を恐れた者は例外なく苛烈な憎悪の対象になるということをここではっきりさせておかねばならない。これら加担者や与同者に限っては敵一味と同じであり共犯者としての責任を負う者であるということをだ。

奴らが罰だ罪障だとしているものの正体は単なるこじつけであるか、或いは奴等自身が裏で手を回したことによる奴ら自身による自作自演、マッチポンプの産物でしかないから騙されてはいけない。
そもそもが罰論を先としている時点で罰だ罪障だといってありもしないもので脅しをかけて煽る脅しの宗教であり、キリスト教とやっていることが違わないのである。
その宗門はキリスト教的価値観をいくつも受け入れており、代替キリスト教であるといって差し支えない。
キリスト教の祝日である1月1日を祝っている時点でキリスト教に与しているものであり、宗門刊行の破折書(つまりディベート指南書)にキリスト教の破折が載っていないことが、キリスト教の子分であることを雄弁に物語っているのである。