東坂戸

失敗移住地として「三馬鹿」の一つに挙げられることの多い東坂戸の記憶を辿る。


街並み。


当時私が住んでいた建物。
なお、目の前に団地センターがありスーパーもあるので生活に困ることは無かったと思われる。


実質的なターミナルだった若葉駅。
バスは川越と若葉から出ているが、後者のほうが本数が多く、また池袋へも後者のほうが安くて早い。


若葉駅前には大型のショッピングモールが。

実を言うと、若葉駅前にも団地はあった。
しかし、そちらは単身者の入れないという制約があったのだ。
また、URの住宅は所得に制限がありある程度稼いでないと入居審査で刎ねられてしまうのだ。
この制限については物件ごとに最低所得額に差がある。
当時であればもう少しまともな選択の余地もあったと思われるが、当時は敵一味による洗脳の影響下であり、真実を追究しようとしてもスピンネタを捩じ込まれたりとやりたい放題だったのだ。その上宗教による洗脳と騙しにやられてはなす術も無かったのであるが、それにしても親に相談するなりしてもう少し何とかなったはずである。それをさせなかったのは他ならぬ敵一味だったのであるが。
それでも当時の状況を言えば、勤めてさえいれば安泰であったであろうといえ、それをぶち壊しにして安定を妨げた敵一味がやはりここでも100%、且つ一方的に悪いということになる。
安定を妨げるというのは敵一味の「敵対者対策マニュアル」に基づくものである。
とどのつまり、この20年前の時点で既に「敵扱い」だったわけであり、しかもほんの些細な理由で敵認定されたことになる。
もしここで安定できていれば今頃、の思いは当然ある訳だ。

どちらにせよ、こんな人生をお世辞にもこれが自分の人生だなんて云えたもんじゃない。
何度も途中でぶち壊しにされ、挙句の果てに最低の境涯にまで追い込まれた者の気持ちが誰にわかるというのか。
そんなものを誰が認められるというのか。
てめえがなってみないとわかんねえんだろうがな。

宗門人のような下等動物にこの気持ちはわかるまいよ。

ゴーストライター

昨年は特に音楽・オーディオの面で変革の激しい年であった。
その一方で敵一味による捩じ込み策動の激しさも目立った年であった。
しかし、もっと大きかったのはJPOPの殆どにキリスト教的価値観が投影されていたことが発覚したという点であり、これによって嘗て自分で選んだ者であっても淘汰の対象となったことが特に大きい。
代わって当家の思想に適した音楽としてジャズ・フュージョン系の音楽が大躍進を果たし、すっかりJPOPに取って代わったのであった。

これと前後して本格的なオーディオの整備が十数年ぶりに行われ、現在の主流であるジャズ・フュージョン系の音楽に適したシステムが整えられた。
単コンシステムにこだわったのは、安請け合いなオーディオは安請け合いな音楽を呼び込むという考え方によるものであり、必然の選択でもあったということである。

表題のゴーストライターというのは、敵が捩じ込みたがっている、或いは過去に捩じ込んできた種類の音楽に関係がある。
敵一味は、私が高尚な音楽をメインとすることを妨害せんと様々な捩じ込みや謀略をこれまでも尽くしてきた。

昨年、当家執行部は敵に不当に捩じ込まれたとして或るアコギ女の破却を命じた。
上記ツイートは、それに関連して投じたものだ。
敵一味は、過去に引き裂いた相手を奇貨としてこのmを捩じ込み、約2年に亘って私を愚弄してきた。
しかし、当のm自体が綻びを見せたことによってこの捩じ込みは破綻した。
ツイートにもあるようにその煽動的な歌詞が問題となったのである。
このmをはじめとして、今流行の「ギター女子」の類は殆どがゴーストライターによる贋作であると私は見ている。これが表題の訳である。
折しも当家ではジャズ・フュージョン系の大躍進の時代に突入しており、この流れに押し出されたことも粛清を早めたといえる。

ギター女子だけでなく、ガールズバンドの類も私は怪しいと思っている。
そもそもがあれらは向こう側に決まっているわけで。
で、mが破却された後敵一味が或るガールズバンドの捩じ込みを謀ったのだ。
これはさすがに怪しさ満載で、一家執行部として認可しない旨通牒を発した。
その前には某sを捩じ込もうとして失敗するなど、どうしても印象を変造しようという意図が見て取れる。

それ以前にはアイドルの類を数次にも亘って捩じ込んでは破却されるということが続いており、いかにして印象を変造し貶めようとしてきたかが伺える。
更にその前を云えば、アル爺(2003年非合法化)とやらも敵による捩じ込みだし、反面自分で選んだ者に対しては貶め・引き離し工作まで行われたという経緯があったのだ。
勿論近年においてもそれは行われており、流石に引っ掛かりはしなかったが敵一味にとって如何に都合が悪いかということが露になったことがあった。

要するに敵が演出したいのは龍神のような【キモヲタ】のイメージな訳で、それが解っていれば引っ掛かることは皆目無い。
その龍神はキモヲタ路線驀進中であり、S.SやらK.Nやらとキモさ満載なわけである。
読モバンドとか誰が見ても向こう側だろうが。
mのアンチを批判している時点で向こう側だし。
龍神は関係しないがS.Fとかドラマに出るに至っては向こう側に決まってんだろーが。あれもゴーストに決まってる。

元からJPOPの殆どがキリスト教的価値観の産物とあっては最早取り合う理由もない訳で、今後において斯様の輩に引っ掛かる訳は無いのである。
歌詞があるということは歌詞に洗脳されるということでもあり、その意味でも器楽曲の意義は大きい。また器楽曲特にジャズ・フュージョンは大人の音楽としての認知度も高い。だから敵は引き離したかった訳だ。何とかしてジャズ・フュージョンへの流れを押し止め従前の敵一味による捏造路線に引き戻したかったというのが敵一味の偽らざる本心だったのだ。
それが叶わず、敵一味が誘導した究極の陰謀論者もカットされたことが相当気に食わないようで、またしても洗脳誘導による嫌がらせ事犯が惹起した。同じことは二度起こせないと解っているのか、次から次へと新手の手口を編み出してくる敵一味の邪悪さには反吐が出る。

今年はその敵一味を引き離し真の意味での解放を果たすための戦いの年である。
如何なる妨害があろうとも必ずや前進を果たし、来るべき時代への礎を築く。
邪魔する者は容赦なくこれを殲滅するから覚悟しておけ。

桶川の記憶

先日失敗移住地として槍玉に上がった桶川の画像をお目にかかる。
殆どが後年の撮影である。

桶川駅東口
桶川駅東口。こちら側が旧来の市街である。
駅前にロッテリアがあったが、20年経ってもロッテリアだった。

東口駅前
東口駅前。

東口駅前の道路
東口駅前の道路。

筆者が住んでいたのはそちらではなく、新たに拓かれたほうの西口であった。

駅西口
駅西口。

後年に殺人事件のあったショッピングセンターに通じる橋
後年に殺人事件のあったショッピングセンターに通じる橋。

ショッピングセンター
ショッピングセンター。

西口駅前
西口駅前。

当時住んでいた高層住宅
私が住んでいたのはこの高層住宅の14階だった。
ここには約2年住んでいた。

若かりし頃の筆者
若かりし頃の筆者。
写真からもわかるように、物件だけいえば歴代でもぶっちぎりの格を誇った。
この頃は収入も十分あり、あまり問題にはなっていなかった。
しかし、後年のことを考えるならば低廉な物件に住んでカネを貯め、将来に備えるべきであったといえる。
その意味ではこの後移り住むことになる東坂戸のほうが身の丈にも合っており適していたのではないかと思えた。

当時は大宮が近く、そこが遊び場になっていたがこれが災いしたのかとも云える。

上野の影

史実の地、上野の影を今月撮影した画像を中心にご覧いただく。

黒門公園
黒門公園を別アングルから

上野二丁目の夜
上野二丁目

上野広小路交差点付近
上野広小路

中央通り
中央通り

さくらテラス駅側
さくらテラス駅側

さくらテラス裏側
さくらテラスの裏側

上野公園ライトアップ
何故この時期に桜色なのか?

以上、今月撮影

上野中央通り
この右側が当時の担当エリアだった。

上野一丁目
SG現場のあったエリアの入口付近

一方通行路
エリア内を横切る道路。
左側が千ラシ裏女のテリトリーだった

恥辱の跡地
SG現場が嘗てあった付近。
撮影時点で既に更地であり、少し離れた場所で細々とやっていたようだ。

以上、2015年4月撮影

この上野の地は、2005年から2009年にかけて隷属させられた、通称「SG現場」の担当エリアだった。
このSG現場で私は苛烈なハラスメントの数々により心身ともに疲弊しきってしまいその多大なストレスの影響で後の大病につながる一因を作ることとなった嘗ての恥辱の地である。
私の人生に少しの光と大きな影を落とした、これが史実の舞台である。
かの地におけるハラスメントは、敵一味が裏で根回しをした結果惹起したものだ。
何度か、抜けられそうなチャンスはあった。
しかし、それを妨げていたものがある。
その一つが敵一味の焚き付けた鉄道趣味であり、当時はこれがマキシマムに煽られていた状態であり抜け出す余裕を奪う大きな原因となっていたのである。
しかし、もう一つが少しの光と大きな幻影であったとはいえないか。
いずれにせよ、何があっても早くに抜け出さなければならなかったものであり、鉄道趣味と宗教に煽られたことが今でも許し難い。
それと、SG現場の前に居た現場で私に対する嫌がらせをしていた男が法華講員だというではないか。
龍神と醜い内ゲバをしていたようだが、そんなことは関係なく、この事実は大きい。

このSG現場への誘導の前には薄汚い辺境の地への誘導があり、その前には移住強要の為の下地作りがあったのだ。
敵宗門が私を引きずりこんで最初にやったのが、一家の財政を崩壊させることだった。
それは、信心の名の下に行われた薄汚い謀略だったのだ。
それは、杉並の地に安住することを妨げ悪辣な誘導に引きずり込むために行われ、杉並に残るという選択肢を奪うものだった。
当時の状況を考えれば、鉄道趣味どころではなかったはずであり一家財政を立て直すことが先決だったはずである。
それをさせなかった悪辣な策謀は何があっても言い訳できるものではなく、許されざるものだ。
その意味においても鉄道趣味を一度でも破却したことは大英断であり、負の連鎖を止めるには絶対に必要なことだったのである。

今日、これまでに誘導先のうちH悦院とTクリニックの二つからは既に脱出を果たしているが、これをガス抜きで終わらせてはなるまい。
というのも、最後の一つがまだ残っているからだ。
それが、この恥辱の薄汚い辺境の地なのである。
ここからは、「自分が間違えない」ということがとても重要になってくる。
そのためにもこの先足手まといになりそうな者は切る必要があった訳である。
当家としては、財政再建と移住へ力を蓄えることが何よりも第一であるのだ。
現実の運営として、一家運営が他に優先することは当たり前すぎるほど当たり前なのであり、それを尤もらしい理由付けで切り崩そうとする輩は当然に一家の敵となるのである。

-完-

雑感 2016.12.4

昨年1月にあの忌まわしき宗門を脱退してからもうすぐ2年になろうとしている。
形の上では既に事後処理を行うなどして切り離しているが、敵一味は今もあの手この手で生活やプロジェクトに対する妨害や嫌がらせを仕掛けてくる有様である。
しかし、今大切なのは復興と未来への準備である。

あまりにも厳しすぎる現実に目が覚めたのは14年8月のことであった。
03年に引きずり込まれて以来11年にも及んだ忌まわしき宗門での日々。
その11年で良くなるどころか逆に取り返しの付かない状況にまで追い込まれていたという現実に疑問を感じた訳である。
そしてそこから「聖域なき見直し」が始まって参詣をやめた。
聖域なき見直しの結果、同年11月に鉄道趣味を破却。
これが最初からあったのか敵一味によるスリコミの産物なのかは今も不透明で今後も解明は難しいが、真実の追究からスピンするために焚き付けられ利用されたことを重大視したものである。
この時敵一味は激しく激昂したのか、もう一つの問題であった宗教問題についてあらぬ結論「だけ」を押し付けようとしたのだ。あまりにも急な押し付けは、私の推理があまりにも図星であったために敵側がこのままでは宗門からの脱退につながると狼狽したことの現れであったのだろう。しかしこれは破られ、翌15年1月10日に宗門からの脱退が決定したのであった。

そこから今日に至るまでの過程は決して平坦ではなかった。
脱退(離壇)に当たっては宗門か寺院に文書で通告するのであるが、これを郵送とするべきところを行動を改変されて本山まで無駄足を運ばされたことが更なる軋轢を生んだ。
郵送されてはそれで離壇の手続が終わってしまい引き戻しが利かなくなるので、行動を改変したのだ。
敵宗務院は脱退通告を受け取らず、私を別の寺にたらい回しにしようと画策したのである。しかし、どこに行っても同じになるという思いが私の中では既に支配的であり、これを真実追及の絶好機と見て真実を問いただす姿勢を見せた。
すると敵側は態度を一変させ、それが極めて不誠実な態度に現れたのである。
恐らく敵宗務院は法道院に誘導し、そこで前の寺(法悦院)と同じように巧みに追い込もうという腹積もりだったのであろう。それが却って真実を追及する姿勢を見せられたことは、敵にとって今までのやり方では騙せなくなったこと、それと同時にこれまで重ねてきた敵側のウソが風前の灯であること、そしてこのままでは全てが暴かれる日が近いことを意味したのである。
この時点で敵宗務院は法道院での再洗脳を諦め、強引な手段で法悦院に引き戻すという決定を下したようである。

そこで敵宗門が取ったやり方は極めて邪悪なものであった。

同年6月14日、寺院をまたいだ敵側構成員数名(少なくとも4名以上。監視カメラ画像による)が、自ら捩じ込んだウソである門外漢女主導説をネタにブログ記事の訂正ではなくネット、ブログ、ツイッターなどからの引き離しを目的として脅迫のために押し掛けてきたのである。
これにより当該ブログは閉鎖させられたが、残るメインサイトや当ブログ、ツイッターなどは身命を賭して守り抜いた。
その後問題のブログの内容は敵一味が汚い手段を使って捩じ込んだウソでたらめであり、真相の発覚を防ぐために汚い手段で思い込ませて書き急がせた物である事が発覚した。
押し掛け事件の以前にも何度も見直しをかけていたが、閉鎖も訂正も妨害されていたのである。
更に、一度は閉鎖を敢行していたが再度書き急がされていたものである事も発覚している。
つまり一家執行部でも度々疑問視されるような代物であったということである。
そのような流れの中で、敵一味は私が未だ宗門に隷属させられていた時には一切手を付けなかった。それは、このウソの内容が私を宗門にとどまらせておく為に作られた物であり、それが破られて脱退を図られた際には脅しのネタとしてこれを使い暴力的手段で引き戻すことが当初から考えられていたのである。つまり、私が宗門にいる間は宗門に留めておくためにそれを保持させる必要があったということである。

敵工作員は、(法悦院に)「戻ったほうがいい」などと嘯いていたが、私はそれを拒んだ。
しかし敵は、敵一味自らが行った風評工作をネタにしてまで、「宗門には戻らない」という決定を見直させようとしたのである。更には近隣の別寺院への誘導を、汚い手段を持って画策しようなどという企みもあった。
しかし、結局は6月の脅迫事件が問題視されたことにより、同年9月22日に宗門からの脱退が確定したのである。

脱退に伴う事後処理は遅々として進まず、それに手が付いたのは年が明けて16年の2月になってからであった。
事後処理に先立って、足手まといとなっていた宗門書籍を処分した。
本尊、過去帳や(偽書だらけの)御書などの一部は小包で寺に送り返し、脱退済通告書を寺に郵送して離脱の正式な手続とした。同時に押し付けられた古い仏壇と壊れかけていたブラウン管の処分の計画を進め、これらを同年3月に実施した。
聖域なき見直しの開始からここまでで既に1年7ヶ月の歳月を要しているが、これは明らかに敵一味の妨害による産物であろう。

漸く隷属にピリオドを打ったが、永きに亘る隷属生活で一家本部内は荒廃が著しかった。
この8ヶ月余りその立て直しに注力してきたわけであるが、それは最終目標ではない。
立て直しはしても薄汚い地は薄汚い地。恥辱の地は恥辱の地に過ぎないのだ。
やはり移住を果たさなければそれは復興したとは言わないのである。
従って、新天地プロジェクトはこれからが本番であるといわねばならない。
幸いにして、整備するべきものは既に終了しておりレンズについては稼ぐまで凍結の措置を取っているが一応の体制は整っており当面の活動に支障は無い。
よって、2017年は新天地事業を確立し移住を決定付ける戦いの年であるということになる。
そしてここ2年ほどの不本意を雪辱しなければならない年でもある。
同時に2018年の移住に向けての勝負の年ということにもなる。
移住を達成するためには手段を選んでいてはいけない。
そのため、第二第三の手段を考えているのは云うまでも無い。
尤も移住先についてはまだ構想が固まらず、現在も検討中である。
宗門に壊された自分の人生を取り戻す戦いはまだまだこれからなのである。
邪魔したら最後、消されるだけ。

年の瀬なので触れておくが、一家には新年を祝うという概念が無い。
何故なら新年を祝うというのはキリスト教の考え方だからである。
1月1日を新年として祝っている宗教は漏れなく代替キリスト教であるといって差し支えないと思う。
この半生はキリスト教的価値観に苦しめられてきた人生でもあった。故に一家ではキリスト教的なものを徹底して嫌うのである。
一方、昨年より一家では4月始まりの年度制を採用しており、4月からと10月からのそれぞれ半期ごとに戦略を定め計画を練って物事を進めている。
従って、いま年の瀬であってもそれは形だけで、半期ごとの計画に沿って進めているゆえ新年は単なるキロポストでしかないということになる。
よって新年の挨拶の類は今後とも一切ご遠慮願うことをご諒承いただく。

なお、移住に賛同しない者との交際交流については規制対象となり厳しく取り締まるのでそのつもりで。

雑感 2016.11.23

ここ数年ほど、敵一味によってグルグル思考にさせられた影響で正常な判断が出来なかったことが多く、そんな中で解放聖戦を戦わねばならない状況が続いていた。
これまた敵一味によって偽陰謀論なんぞというものに誘導されていた影響による思考停止もある。
真実の追究においては偽陰謀論を偽物と見抜くことから始まっているという側面があり、偽陰謀論からの脱却は一つの重要課題だったのである。

真実の追究が進んだことにより、ここにきて漸くグルグル思考から抜け出す事となり、過去の闘争に対する正当な評価が出来るようになってきた。
過去の闘争においては敵一味によって真実の追及からスピンされていた影響や姑息なスリカエの影響もあり、かなり遠回りさせられていた節も多分にある。
しかし、そんな最中でも過去の闘争があったからこそ現在の体制があるのであって、まるっきり無駄なわけではない。
何年も不変のものなどそうそうある訳は無く、時流によって考え方も思想も変化してゆくべきものなのである。
従って過去の闘争を評価する際には当時の時代背景を正しく認識してその上で評価するべきものであり、その上で正しかったものは評価し過ちは消去するということが必要である。
従ってそもそもバイクというものが闘争の具になること自体がおかしいのであるが、それは敵一味による姑息なスリカエに起因するものであってバイク自体が悪いということではなく、従ってバイクについては名誉回復が行われたものである。

そもそも闘争が始まった原因は敵一味のほうにのみ一方的にあるのであって、奴らが絡んでこなければ必要の無かったものである。
あの忌まわしき宗教に引きずり込まれて以来、搾取と軋轢にまみれた日々が十年余りに亘って続いてきた。
それはいわれの無い迫害であり、敵はその真の画策者を隠蔽するために闘争の焦点をずらしスリカエてきたのであった。その結果、闘争の真の目的であるべき支配者からの解放つまり宗門からの脱退は長年に亘って遠ざけられてきた。
今日でも形の上では切り離しているものの敵一味は有形無形の策謀を以って不当に粘着を続けており、復興の大きな妨げとなっている。

そもそもグルグル思考を持ち込んできたのも敵一味であり、それは私が再び力を付けないようにという奸計によって、悪辣な思考誘導を繰り返しその度に違う方向に誘導することで無意味に売り買いを繰り返させて殊更にハタカセていたのがその正体であった。
ハタカセるだけでなく、生活の安定をさせないという側面もこの奸計にはあった。
生活が安定することは、敵宗門の存在が不要になることをそのまま意味していたからである。故に、敵一味は私の生活が安定することを殊更に嫌っていたのである。
実際、今月奪還したばかりのレンズに対しても敵はあらぬ吹聴を仕掛け揺さぶりをかけてくる始末である。しかし、そのやり口がいつまでも通用すると思ったら大間違いである。
成り行きはともかく、一度買ったものは基本的にはそのまま使い続けるべきという考え方が一家には既に定着しているので無駄である。

グルグル思考によって失わされた物の中には、持っていればそれなりに役に立っていた物が多く、後に買い直させられる羽目になった物もある。
そのまま取り返すのが適当でない物や不要な物もあるが、基本的には復興の進展に従って取り返すべきものが多い。
時代や情勢の変化によってそのまま取り返すのが適当でないものは形を変えて奪還することになるのは云うまでもない。
今後は復興の進展に従って時流に合った形で奪還を行うことになろう。

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皮肉にも、東日本大震災はその真実追究への扉を開くこととなり、そこから今日に至る、真の闘争の歴史が始まっている。
初期の追究の中で私は、企業社会主義による民衆支配を見抜くに至っていた。
しかし、偽陰謀論に誘導されたことによって思考は停止させられ、真の目的は妨げられることとなった。
敵一味にとっては、企業社会主義を見抜いたことが殊更都合が悪かったようである。
元から民主主義などというものはこの国には無かったということであり、民主主義の偽装によって支配者がその正体を隠していたということを私は見抜いている。
敵宗門も支配勢力の一員であり、そのことを暴かれるのは勿論それを広められてしまうことが殊更に都合が悪いようである。
ただでさえ敵宗門は布教が行き詰ってその打開に躍起になって坊主の締め付けなんぞに走ってるようだからな。

しかし、敵宗門にとってもっと都合が悪かったのはその宗門こそが私にとって不倶戴天の敵であることを見抜かれたことではなかっただろうか。
そのためか、私が宗門に対して真実を追及する姿勢を見せると掌を返したように不誠実な対応をするようになり、昨年6月には寺院をまたいだ工作員集団が数名で押し掛ける脅迫事件まで惹起している。
敵宗門にとってはネットやブログというものが殊更に都合が悪いようである。
そのため、当該工作員から「ネット辞めろ」「ツイッター辞めろ」などと脅された挙句「精神科行け」などと暴言を吐かれたという事実がある。
このまま抜けられては人物破壊工作の事実を広められて布教がままならなくなるので何とかバレる前に引き戻し、皆で言いくるめて精神科に誘導し抹殺してしまおうというのが敵・宗門の悪逆な企みだったのである。
しかし、その企みは真実追究の機運の前に潰えた。
悪評も何も、そもそも宗門内で私はれっきとした敵扱いだったのである。
だから、「本人に言ってはならない」という手口がまかり通ってしまうのだ。
逆説的に云えば、全ての宗門人は私にとっては不倶戴天の敵ということになる。
敵は、やたら「創価」を強調して真の画策者が宗門であることを隠蔽しようとしていたが、盗人猛々しいとも云われるようにやたら創価を持ち出すというのはやはり怪しかったのである。

まとめると以下のようになる。
・敵宗門が私を引きずり込んだのは、紛れもなく人物破壊工作のためである。従って、人を幸せに導こうなどという考えは微塵も持ち合わせていなかった。
・敵宗門は、宗門に引きずり込むために悪逆な環境整備や誘導などを行っていた。これについては既に別ブログで詳しく触れている。
・宗門隷属時における全ての事件&不祥事は全て寺ぐるみ、講ぐるみで仕組まれた悪逆な罠であって、講員個人で惹き起こされた事件は皆無である。
・宗門は、傘下団体などとも連携しながら私に対する人物破壊工作を行っていたものであり、汚い手口で私の行動を改変していたのもこの一味であった。
・宗門がやたら創価を持ち出し強調して創価のせいにしようとしていたが、仮に創価が関わっていたとしてもそれは宗門の手下としてであり、創価を強調する理由にはならない。
・その宗門は、すべてがウソでたらめで塗り固められたインチキ宗教そのものであり、伝統宗教の仮面を被った悪逆なカルト集団に他ならない。従って、日蓮教団の中でも超の付く異端でしかなく、間違っても「正しい」宗教などではない。

宗門が人物破壊工作をしていたということははっきりと伝えていかねばならないと思っている。

当家では、不倶戴天の敵である宗門とその手先によって破壊された生活を立て直し復興していく新たな戦いに入っている。
薄汚い辺境の地にいては復興も解放も無い。
そのため、移住によって復興を図るのが新しい新天地計画である。
事後処理を行って以降の環境整備によって見た目は荒廃から立ち直ったように見えるが、実際にはまだ敵一味による策謀の影響により大魚を逃す事態があったり、復興事業において結構な無駄が出ていたりする。
そこまでしても、私が再び力をつける事態を敵は恐れているということなのか。

未だ安定に至っていないので詳しくは書けないが、ついに敵一味による誘導先の一から脱出を図ることができた。
しかし、これに対しても余程都合が悪かったのか敵一味は汚い手口で破壊を謀ったのである。
しかもその影響で大魚を逃す事態にまで発展したが、すべては敵一味のせいによって「のみ」起きているということはわかっているぞ。

勿論、そういう態度を続けるのであれば私にも覚悟がある。
私にとっては宗門も信者もただの厄介な邪魔者に過ぎないからである。
私には、何があっても宗門にも宗教にも絶対に戻らないという確固たる意志を持っており、最早引き戻すことも戻るように誘導することも不可能であるから宗門人どもはよく肝に銘じておけ。
なお、突撃してきた宗門人は一の例外もなく永代追放であり名誉回復は不可能、子孫代々に亘って汚名を受け続けることになるからな。
更に、しつこく居座るなどして退去しない者は不退去罪で検挙させるのでそのつもりで。

立て直しと復興は一家にとって最重要課題であり、失敗は許されない。
従って、そのためなら私は手段を選ばない。
脅しではなく本当に選ばないので、そのつもりで。
邪魔したら最後、消されるだけ。

バイクについて

ご存知の方もいると思うが以前は自動二輪車に乗っていた。
しかし、自動二輪車に絡んで様々な不祥事が惹起して、手放させられてしまって以来すっかり離れてしまい、そのまま乗れなくなってしまっている現状がある。
その後真実の追究が進んで、敵一味による悪辣な誘導が有ったことがわかっている。
バイクを手放させられる一番の要因になったのが、不必要になることが目に見えていたクルマへの誘導であったのだが、これは敵宗門が仕組んだ交際類似事犯とセットで画策されたものであり、当時は未だ真実の追究からスピンされていたためにキリスト教的価値観に毒されている社会常識に気付いていなかったために敵一味の煽りにまんまとノセられてしまっていたことが敵の仕組んだ罠に嵌められる原因となっていた。

最後のツーリングの時に著しい疲労感が襲ったことは年齢的なものとされていたが実はそうではなく、当時既に抱えていた腎臓疾患に起因するものであった。
その三週間後には人工透析に陥らされているのであるが、透析でもバイクに乗っている人はいるしそこは問題ではなかった。
しかし、それでは誘導が出来ないために敵は原因を隠蔽し、クルマへの誘導を強行し殊更にハタカセたというのが当時の状況であった。
しかも、敵一味は既に私が人工透析に陥ることがほぼ確定していたこと、クルマを買っても維持できずに程無く手放さざるを得なくなることを知ってこの誘導を行っており、悪質極まりない。
その後の特に最初の1年が地獄のようであった。仕事は辞めざるを得なくなり、敵宗門が仕組んだ交際類似事犯、その後にはカメラを巡るスキャンダルがあり、更に医療関係者による不祥事があり、寺では孤立させられていた有様であった。
そして、これらのことが後に聖域なき見直しにつながり、敵宗門からの脱退につながっている。

特にここ3年ほどは敵に仕組まれたグルグル思考の影響と戦いながらの真実追究の旅路であった。
敵一味は、私が再び力を付けることを殊更に恐れているようであるが、そのためにグルグル思考に陥らせる誘導を仕組み、殊更にカネをハタカセていたことがわかっている。
このグルグル思考は、敵一味が悪辣な演出のために仕組んだものであったが、その後に敵は「聖域なき見直し」に対する対抗策としても利用してきたものであった。
ここにきて漸くそのグルグル思考からも抜け出すことが叶い、安定化への道を歩みだしたところである。
形の上では敵一味を切り離しているが、未だ悪辣な策謀が仕組まれ復興への道が妨げられている。

2013年当時のバイクの選定には確かに問題があったが、最近のブログでも書いたとおりそれでも一度買ったものは乗り続けられる限り乗っているべきであったのである。
最近の精査では、少なくとも15年春までは乗り続けられたであろうことが判明している。
従って、当該バイクについては名誉回復を行う必要があると判断した。
すべては敵一味に起因するものであり、全てのトラブルや不祥事は敵一味が絡んでこなければ起こりえなかったものだからである。
今後は、一度買ったものは可能な限り使い続けることを大原則とすることとしており、カメラやオーディオ機器などには既にこの原則を適用している。

一方で、当時は知り得なかったクルマ社会の問題というものが明らかにもなっており、公共交通への回帰、バイクや軽車両の活用の必要というものを痛感もしている。
クルマにはバイクとは比べ物にならないほどの電子機器や電装品が搭載されており、巨大な電磁波発生源でもあるのだ。
バイクに乗っていて眠気を感じることはあまり無かったが、車に乗っているとすぐに眠気を感じるのもこのためであり、このことはタブーとされてきたのだ。

従って、今後はクルマを禁制とし、バイクについては時の状況に応じて維持可能な範囲で認可する方針に変更する。
今後、復興の進行に応じてバイクの復活を計画しているが、車種についてはあくまでその時の状況次第での選択となるので現時点では明確な答えは出せない。
条件は、持続可能であることと他の大切なことを阻害しないこと、この二つが条件である。

今後の課題は、グルグル思考にさせられた影響で失ったものを取り戻すことと、敵一味に引き戻しを諦めさせることの2点にあると云っても過言でない。

敵宗門は今行っている重大なる挑発の代償を必ず払うことになるから宗門人どもはよく覚えておけ。

雑感 2016.11.14

2015年1月10日に私は長年隷属させられていたカルト宗教から脱退した。
しかし、これに対して敵宗門一味は常人では考え難いほど執着してきた。
その後事後処理の実施によって形の上では切り離しているが、今なお敵一味はあの手この手で行く手を遮り、復興を妨害しているのが現状である。

先日私は以下のツイートを投げた。


敵一味はツイートを見ているはずであるが、これに対して敵一味は何ら誠意を見せないどころかますます妨害の限りを尽くす有様であり、償いをする気など微塵も無いことがはっきりしてきた。

敵を変えることは不可能であり、であればこちらが対応を変えるしかないということである。

宗教に囚われていた11年間は、荒廃してゆく一方であり、歴史には残してはいけない11年間だった。
これも全ては真実の追究からスピンした敵一味の謀略によってこのような状況になっているのであって、そこには最早情状酌量の余地など些かも無い。

しかも敵一味が絡んできたのは向こうの身勝手な都合だけであってこちらには絡まれるような覚えも筋合いも無いのだ。
真実の追究からスピンした挙句に引きずり込むようなことを向こうがしなければ、それ以上のことは起きないからである。
たかが勧誘を断られた程度のことで敵認定するというのはあまりに視野狭窄、杓子定規な考えである。
かつて門外漢女のことを視野狭窄、杓子定規と書いたが、こいつだけではなく宗団全体が視野狭窄であり杓子定規なのである。
勿論、傘下団体や下部組織も全て同じである。

よって、今後宗教関係の者の復権はまずあり得ないということである。
これを実体化するべく、全僧俗を対象とした排除命令を発布し、従わない者は即永代追放とすることとしたのである。

以前書いたように荒廃からは立ち直りつつあるが、経済的な復興が未だ成し遂げられておらず、新天地への移住も未だ実現していない。
これまで大目に見てきた事柄も、今後は厳しくしていかないといけないということであり、それは不要不急の物品には一切カネは出せないということを意味する。

経済的な復興と新天地への移住は何としても実現しなければならない、一家の至上命題である。
これを妨害する者は理由の如何、故意性の有無に関係なく一律に敵と見做さなければならない。
したがって処断においては故意性の有無、悪質性の有無、組織性等は一切考慮しない。
結果として一家の事業を妨害すれば直ちに敵性の者と見做すのが当家のやり方だということである。
このことをはっきりと行動として示さなければならない時が来たということである。

今後は一定の成果を残すまでは不要不急のあらゆる物品は一切購入できない事となり、カメラレンズも例外ではない。
全ては稼いできてから、というのが当家固定の方針だということである。
生活上必要な設備・物品は一通り揃っており、特に外出せずとも過ごせるようにそっち方面を充実させてきたのであるからそこは厳しくやる。
したがって、今後しばらく趣味ごとにカネは出せないということであり、各種の導入は滞ることとなるのでそこは承知いただく。

往時の記録

先日記事執筆のため画像を探していたが、目的の画像は全く出てこなかった。
しかし、その中に数少ない往時の記録が出てきたのでここにお目にかかる。

p9152179
2003.9.15 東京都墨田区

p9152177
2003.9.15 東京都墨田区

p3290466
2003.3.29 東京都江東区

pa192422
2004.10.19 東京都杉並区

pa192423
2004.10.19 東京都杉並区

昔の記録を探っていて、特にこの時期の画像の大半が「アレ」であり、如何に毒されていたのか、如何に誘導が酷かったかということを改めて実感した。
今でこそ記録を残すということの重要性は強く認識しているが、当時はその辺も含めてスピンされた状態であり、如何に宗教というものが信者を都合よく操ろうとしているかがよくわかる。
それで操りきれなくなり都合が悪くなってくると強迫的、高圧的なやり口で苦情潰し、押し止めに出るのだから非常に悪質だ。
勿論現在ではたとえ薄汚い地であっても記録を残し、都合よく印象操作を出来ないようにしていることは云うまでもない。

およそ2年後には移住を実現できる見通しが立ち、予定の2018年を待たずに移住する可能性も僅かではあるが出てきている中、記録としては勿論思い出を形にするということの必要性も高まっている。
もし移住となった場合、以後関東には二度と戻ってこない事となり、今行っておかないと二度と行けなくなるのである。
よって、今後暇を見て、面影を留めているうちに撮影をしておきたいと存ずるところである。

雑感 2016.11.7

長期欠品中であった望遠レンズの整備は卸したての未使用品の出物が手に入るという最高の形で完結し、ミラーレス一眼システムの整備が未だ超広角を残しているとはいえ一通りのものは揃いシステムとしては一応の完成を見た。
これによって、カルト宗門からの脱退に伴う事後処理が終わってからというものの各方面で続けられてきた生活環境整備事業が一通り終わり、生活環境システムとしても一応の完成を見て、未だ細かいところを残してはいるが大局的には足場がほぼ固まったといえる状態まで持ってくることが出来た。

これら一連の事業は、カルト宗教による長年の悪影響と解放聖戦の過程でこうむった戦禍による荒廃からの戦災復旧事業そのものであった。
当家を取巻く不幸な境涯とこれらの荒廃のすべては、100%敵一味の陰謀に起因しているものであり、奴らが存在しなければ、否百歩譲って奴等が突っかかってきさえしなければ100%無かったことなのである。
したがって、書かれたくなかったらまず償いをして誠意を見せるのが筋なのであるが、それを故意に怠って脅しとこじ付けでどうにか繕おうとしている馬鹿者がまさにカルト宗門をはじめとする敵一味なのである。

一家は未だ解放聖戦のさなかにある。
形の上では追放としている敵一味だが、未だ引き戻しを諦め切れていないことが姑息な根回しや事業妨害などに現れており、今なお、これらとの対峙が続く情勢にある。
奴らはいまだに従前のやり方が通用するという重大な勘違いをしている状況であるが、最早これまでのやり方が全く通用していないことがわからないのであろうか。
或いは信心馬鹿だから何でも信心でゴリ押しすれば適うとでも思っているのか?
だとすれば、それはカルトの信者操縦法にまんまと嵌められているということであり、カルトの操り人形でしかない=人非人であるということに一般の視点で見ればなるのだが。

カルトの幹部は皆狂った思想に毒されており、そんな輩に相談などしたが最後、都合のいい御託を並べて「信心が足りない」などと言い放って門前払いにするに決まっているのだ。
だから、交際類似事犯に対して追及をしても言い訳にもならない御託を並べて被害を蒙った側の「信心が足りない」ということにして惹起者を守る暴挙に出たりするのだ。
「歳が離れているからあり得ない」というのは言い訳になってないからな、聞いてるか伊藤!

外圧でどうにもならないのであれば運命操作で内部から操って自分から戻るように仕向けようなどと敵一味は考えているようだが、日蓮正宗など所詮はこじつけとウソでたらめで成り立っている、伝統仏教の仮面を被ったカルト宗教であると看破しており、罰だ罪障だとありもしないものを使ってこじつけとアンカリングで納得させようとしても、最早そのやり方は見抜かれておりそうは問屋が卸さない。

なお、一家では日蓮正宗に現に所属する者すべてを対象とした排除命令を発令し、奴らを一家のあらゆるステージからつまみ出す措置を取ったから如何なるまやかしも、如何なるウソやこじつけも何ら意味を持たず、斯様の行動を取っただけで即、永代追放に出来る。
更に、要求をなそうとする輩に関する規定を整備し、何か要求をなそうとするのであれば要求者と関係するすべての団体とその責任者の個人情報を要求するように制度を改めたので要求を成そうとすればメールフォームと相俟って必ずその証拠が残るようになっている。
証拠を残さないように悪さをしておきながら追及されると「証拠、証拠!」と喚きたてるやり方は最早通用しないぞ。

最早如何なる手段であっても全て通用しないから敵講員どもはよく覚えておけ。

追記
償いをするのかしねえのか。
それによってこっちの対応はだいぶ違ってくるぞ。