宗教について

管理者シングスピール(金城修一)は無宗教である。
何故か?答えは簡単である。
宗教ほど馬鹿馬鹿しい物は無いからである。
宗教の教義などという偏頗なものに囚われること自体が馬鹿らしい。

2015年1月に、私は不本意にも11年間身をおいた宗教から脱退し、本来の姿である無宗教者に戻った訳である。
この記事では、その経緯について説明する。
既に過去の記事で触れた部分もあるが、改めてここで詳細を明らかにする。

私があの宗教に引きずり込まれたのは2003年9月のことである。
入信させられてからの6年半で、いい事は何一つ起きなかったどころか、巧妙なハラスメントで追い詰められ、結果2010年4月にこの寺院を脱退することとなった。
それだけではない。この間に父親を亡くしたのであるが、このときの対応がまた酷かった。
大切なことには何一つ触れず、「祈れば治る」などという「安心できるウソ」で私を騙し、以って必要な対応を何一つさせなかったばかりか、金銭的に余裕のない中で本山への参詣を強要するという暴挙にまで及んだのである。その一方で迫る死期とその前にするべきこと(アルバイトをやめて正規就職をするべきこと)には触れさせないようにして、ケツに火が付いてもそれに気付かせないように仕向けていたのである。このことが、今日まで尾を引き社会復帰への大きな障壁になっているのである。
それだけではない。父の死後、宗門などが私に対する離間工作を裏で仕掛けていて、兄弟親族に悪評を吹聴して分断していたのである。
なぜ宗門側が分断孤立工作を行うのか?
答えは簡単である。
そのことによっていつまでも信者を引き止めておくことができるからである。
よりどころを無くしておけば、その信者は自然と寺のほうに足が向き、頼るようになってくれるからである。
2010年の石之坊脱退に際し、寺院サイド住職・講頭は不正追及の件には一切触れず、「地元寺院云々」ということに姑息にもすりかえられてしまい、それで一方的に移籍の指定をされてわずか20分で追い返されたという経緯があった。私が用意していた不正追及は件の女工作員の件についてのものであったが、寺院側はこの女が当日寺院に来る予定があったにもかかわらず、当該の女との直接対決を回避する姑息な手配を取って、私が本山を後にするまで到着させないようにしていたのである。
なぜ石之坊サイドは不正追及に対して姑息なスリカエを行ったのか?
答えは簡単である。
奴らこそが不正の当事者であったからである。
これについては後の事件とともに後述する。
また、この移籍の指定には邪悪なロジックが仕込んであった。
石之坊を脱退することとなった、この「最後の日」は敵寺院側が一方的に指定したものであり、この日は御講の前日であった。つまり、一方的に移籍先を指定して次の日にはそこの御講に参詣させ考える暇を与えないために敵坊主が考え抜いたものであったものであったのだ。
そこで考える時間が2日でも3日でもあったらどうだったか。
悪くなる一方であった現状に気付いて離壇することが出来たかもしれないのだ。
かくして、本来ならば離壇するべきが敵の指定した地元寺院でずるずるとやらされることになってしまったという訳である。

そして、その寺院でも交際類似事犯が発生することとなったのである。
しかも、敵一味が画策した人工透析への転落に合わせてそれが行われ、厳しすぎる現実に目を向けさせず「まだ望みがある」と思わせるためにそれは行われた。
最初の寺でも交際類似事犯があり、その惹起者が脱退時に問題となった門外漢女であった。
ここでは詳細を省くが、これらの交際類似事犯は、いずれも寺側が仕組んだものであり、惹起者個人の勝手な行動によるものではない。
腎臓の病状が悪化しつつあったある御講の日、講の役員だった男が自分で帰ろうとしていた私を「無理に」引き止めて車に乗せたのであるが、そこに乗っていたのが問題となっている藤代の女講員だったのであった。
つまり、そこで私がそれを振り切ってしまえば企みは不成立に終わってしまうので断る私を無理やり引きずりこんで車に乗せたという訳である。
この交際事犯が寺ぐるみ・講ぐるみであって惹起者個人の勝手な行動によるものでないことは、この一件に明らかである。
私が人工透析に陥ってすぐ、退院後にお会式が行われたが、その後件の女は疎遠になり、この件を役員の男に追及したが、この男は誤魔化しに終始しはっきり言って話にならなかった。
宗門に対する不信は、この時点で既に始まっていたものであるともいえる。
その後、私はこの寺への参詣を停止し、「聖域なき見直し」に入った。
そしてその結果、鉄道趣味の破却と宗門からの脱退、つまり離壇を決定する(当時は「脱退」と発表)。
かくして2015年1月10日を以って私は宗門から脱退したのである。

その後宗務院は私を別の寺に誘導して続けさせようとしたが、私が真実を追及する姿勢を見せると掌を返したような対応をされ、そして6月に寺院をまたいだ講員数名で押し掛けてくるという脅迫事件が発生したのである。
その後も敵一味は何とか宗門に引き戻そうと画策を続けたが、当家は9月22日に脱退を確定する決定を下した。
その後手続き上の不備があったことが判明し、2016年2月に脱退通告と本尊の返還などの事後処理を行い、その後役員の男から押し付けられた仏壇の処分を敢行し、以後宗門とは無関係となっている。

その後当家は宗教の弊害によって疲弊しきっていた生活環境の整備に乗り出し、設備の更新と拡充を行ってきた。宗教の弊害は多岐に亘り、整備には多額の金員を要した。これらは宗教の弊害が無ければ当の昔に出来ていたものばかりであり、今でも怒りが収まらないのが本当のところである。
宗教の弊害による被害は少なく見積もって数百万円、それでも地方なら家が持てるレベルの金額である。

その後の真実追究で、日蓮正宗は教義の面でも教える歴史もウソでたらめばかりで、好んで使う御書も他門では偽書確定、または偽書の疑い大とされているものばかりだということが判明している。
更に、正宗は日蓮教団の中で異端であるだけでなく、富士門流系統の中でも異端であるということまで解っている。
つまりはウソでたらめで塗り固めた典型的なカルト宗教であり、正統というのは口だけだったというわけである。だからそこから出てくるカルトも一様に悪質になるわけだ。
これだから日蓮正宗は世間一般からもこれほどまでに嫌われるのである。

まとめとして、この宗教を辞めて無宗教に戻った理由を記しておく。
・触れ込みに反していくらやっても効果が無く、ただ搾取されコマとして使われていたに過ぎないこと。
・二度にも亘る交際類似事犯が、寺側が仕組んだものであり当初から敵扱いであったこと。その一方で本来あるべき交際の縁は狭められた選択肢の中で潰されていること。
・幸せにするためではなく、人生を破壊するために宗教に引きずり込んだものであったこと。
・触れ込みに反して講員の性格が一様に悪く自己中心的で最悪レベルであり、偽善と恫喝体質が染み込んでいること。なお、日蓮系の宗教は皆そのような傾向があるとのこと。
・すべてがウソと謀略で塗り固められており偽りに満ちた宗教であったこと。
・当家は元来無宗教であり、無宗教の時代には生活を保てていたことが後の検証で明らかになっていること。
・そもそも宗教の教義に縛られて生きること自体が馬鹿らしいこと。宗教のせいで人生の選択肢が狭められ悔しい思いをしていること。

当家は、2015年9月22日付の決定で宗教そのものに関わることを厳しく禁止するに至っており、如何なる種類の如何なる宗教であっても一律に禁止することとなっている。
したがって筆者においても今後宗教にかかわるということは金輪際ありえず、引き戻しや強要などに対しては一の例外も無く刑事対応とさせてもらうのでカルト講員どもはよく覚えておけ。

なお、地域交流上必要な場合は祭りなどへの参加を容認する方針であり、神社等への立ち入りは宗教行為を含まない限り同様に容認することとしている。
大石寺の総代が神社に参詣しているのだから人のことは言えまいよ。

未来へと続く橋

辺境の町は川の左岸にある。
当家の仮本部から目と鼻の先に、未来へと続くべき橋が架かる。

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未来にかかる橋を見上げる

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国境方面を望む

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対岸からの眺望

近い将来に予定している辺境の町からの脱出・移住に際しては必ずこの橋を渡って新天地へ向かうことになる。鉄道橋ではない。

将来予定している移住に向けた枠組みは既に固まっており、今後はそれに基づいて下準備と資金調達を行っていくことになる。
新しい枠組みにより、2年後までにはほぼ確実に移住できるように計画を策定し、そのために運営の根幹から改革を行った。
凡そ貧窮化の時代に何か新しいことをしようとするには緻密な戦略と立案が必要になってくる。
今回より、1ヶ月毎に戦略と立案を行っているが、半期で戦略をまとめた上で6か月分の行動計画と予定表を予め作成してある。
したがって、この予定表にないことは原則として出来ないということになる。
勿論辺境の町住民との交際交流など論外であるのは云うまでもない。なぜならそのようなことは移住の妨げ、移住の足を引っ張る結果にしかならないからである。
今までには無かったことではあるが、敵が私をコントロールできなくなっている今日に於いては今までに無かったようなことに対しても予想して警戒してゆかねばなるまい。
なぜなら、これまでがそうだった様に、敵一味は私を辺境の地から逃さないようにするためにはあらゆる手段で押し止めてきたからに他ならない。
それは、今まで散々煽っておきながら実際には行われることの無かった、交際型交際事犯であり、それは交際類似行為とは異なる。
他のあらゆる手段が通用しなくなったときには、敵一味と雖も孤立化の崩壊というリスクを犯してでも交際型交際事犯によって移住を押し止めなくてはならなくなるのだ。それは利権勢力間というより敵一味の内部においてそのような取り決めがあるからに他ならない。
現に、当家の状況としてはプロジェクトの開始に先立つ足場固めが行われ、一家内においてほぼすべての環境整備が終わり、今後に関する取り決めも行い煽りネタと呼べるものがほとんど無い状況にまでなっている。音源購入は新譜を除いて凍結が決定し、それに伴う緊急整備も終わった。唯一残っているカメラレンズ問題についても、既に枠組みを定めた上で織り込み済みであり、それにしたがって行うまでである。

同じ失敗を何度も繰り返すと思ったら大間違いである、なぜなら体は同じでも中身が入れ替わっているからである。それを理解しない謀略の類は、死んだ人間に対してムキになって狼狽しているのと同じであるから良く覚えておけ。

対岸の町

幾分きれいな対岸の町

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幾分と書いたが、薄汚い辺境の町との違いは火を見るより明らかである。
敵一味は当初から現在の薄汚い辺境の地に誘導する計画で事を進めていたようだが、当家としてはそういう計画ではなく、杉並に残るという選択肢も取れたし、茨城など眼中にも無かったのが本当のところであり、実際に当初行動に移したときには別の地で探して申し込みまでしていたという経緯がある。勿論この話は今日まで公開をはばかられていた話であり本邦初公開である。
なお、杉並に残るという選択肢が潰されたのは敵一味の手回しによる不動産会社社員の恫喝行為の影響であり、これによって心理的反発及び心理的外傷を負わせて再起不能にしてしまおうという小汚い謀略であった。仮にこの者が少しでも誠意ある態度で話をしていたなら、何とか挽回して再起を図ろうという気持ちが湧いていたはずであり、それをさせずに都合の良い誘導を行うための環境整備であったというべきなのである。

敵一味の謀略により最初の候補地が潰され今日の薄汚い辺境の町へと誘導された経緯があったが、敵は事もあろうに汚い手段で私の行動を改編し、書かなくてもいい事を申込書に書かされたことが大きく影響している。
裏を返せば、それほどまでに日蓮正宗は世間一般からも嫌われているということに他ならず、謀略でしか教勢を拡大できない正真正銘のカルト教団であることの証左に他ならない。
かつて敵工作員故・岩下容疑者の工作によって入信の話が来たときにも、当然調査はしていた。しかし、敵一味の誘導によって都合の悪い情報は隠蔽され、相談するべき親とも当時疎遠にさせられておりそのような情報を記載したサイトも無かった(設立は後年のことであった)ために引きずり込まれてしまったという経緯があったのだ。
杉並移住後に親と疎遠にさせたのも、宗教に引きずり込んで私の人生を破壊するためであり、それをやり易くするための薄汚い環境整備だったのである。入信前に親に相談することが出来ていれば拒むことが出来、こんな人生にはならなかったはずである。何故なら、父は創価が宗門の傘下団体であることを理解しており、断固として入信を拒んでいたからである。そのプロセスを踏ませないための薄汚い謀略を宗門はやっていたのだ。

いずれにしても、移り住んだのがこちらであれば、こんな悲惨な結末ではなく違ったものになっていたであろうことは明白なのであり、人の人生を平然と食い物にした日蓮正宗を決して許してはならないということであるし法華講員どもを許さないことには相応の意義が存ずるのである。

ふたつ前の記事でも明らかにした通り、当家はごく近い将来に移住を敢行する計画を進めており、現在はその前段階として足場固めを進めているところである。
移住後は関東人ですらなくなり、二度と関東には戻ってこないため都合の良し悪しを度外視して現状の記録に励んでいる訳である。

なお、シングスピールの砦サイトでは法華講工作員による不当干渉や引き戻し工作に対しては一の例外も無く刑事対応するからよく覚えておけ。

おことわり
本記事においては、現在最新の思想信条と異なるものを一部に含んでいます。予めご了承下さい。