忘れじの面影、忌まわしの記憶 Pt.4

シリーズ第4回目は、平成の3バカと謂われ、我が人生に大きな汚点を残す三大失敗移住地のうち過去の2つである桶川と坂戸の特集である。
ことの経緯は本記事の巻末に記すのでぜひ続きを読んで貰いたい。

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忌まわしの記憶

先の記事で出てきた「ラ・チーカ」事件は、それまで水商売に縁のなかった私の人生を悪しく変質させた許せざる事件のことであり、その後の風俗地獄に私を引きずり込んだ忌まわしい事件である。言ってみれば、今日の屈辱的な境涯につながる端緒となった事件でもあった。
勿論この事件を画策したのは宗門を首魁とする敵一味、宗創医連合軍以外にない。

この事件はまだ私が板橋にいた当時の事件であり、桶川時代よりも前のことである。
問題の「ラ・チーカ」は規制が緩かった当時に違法に営業していたフィリピン・パブのことである。
この店は池袋の東急ハンズの裏手、その立体駐車場の近くにあった。
当然事件が惹起したのもハンズで買い物を終え、自宅に車で帰ろうとしていた時のことであった。
件の「ラ・チーカ」の従業員の女が突然絡んできて、腕をがっちり掴んで離さない事態が惹起した。
何度断っても腕を離さず…根負けさせられて店に引きずり込まれたのだ。
そして、持っていたカネを殆どハタカサレてしまったのである。

今であれば、あまりしつこい奴には「警察を呼ぶぞ」とやればそれ以上はしつこく出来ないはずであり、当時でもそうだったはずである。何故なら向こうは違法営業である以上警察沙汰にはしたくないはずだからである。
しかし、このときに限ってそれが出来なかったのである。これはおかしい。
つまり、敵一味が汚い洗脳を発動して「警察を呼ぶ」ということを考えられないようにしていたということであり、とどのつまり女も店側もグルであったということである。
通常であれば「警察を呼ぶぞ」を発動してそれで終わるところがそれをさせず、根負けしなくてもいいものを根負けさせられるというのは敵一味による汚い洗脳以外に考えられない。
汚い洗脳というのはBMI機器による洗脳ということである。つまり平たく言うならば人間リモコンということであり、これをできるのは敵一味以外に考えられない。
BMIはあくまで手段であって、機械で操るという点以外においてはその手法は通常のヒューミントによる洗脳と何ら変わるものではない。ヒモ付き偽被害者はこの点を面白おかしく脚色しているので警戒が必要である。

而してその後もこの問題の女はしつこく私に絡んできて思わせぶりを続け、途方もない金額をハタカセたのであった。
とどのつまりは交際類似事犯であり、この女には私と交際をするつもりなど毛頭なかったのである。その過程にもBMIが絡んでおり、汚い洗脳なくしては成り立たない事件だったといえ、これを敵一味の画策である証左とする。

向こうにそのつもりがない、つまり思わせぶりの交際類似事犯であることを薄々感づいた私が一方的に関係を切ったことで事件は終わったが、その後に敵一味は「風俗地獄」などというくだらないハタカセ策動を用意していたのである。
つまり、「ラ・チーカ事件」は風俗地獄への導入を意図した惹起事犯であり、悪質な運命操作事件であるということが言える。

本件事件とその後の風俗地獄を併せ、途方もない金額をハタカサレたことによってその後の経済崩壊と貯えのない状態を強要されたことによって不本意な選択を幾度も強いられる原因となっており、まさしく「作り出された不幸」であり悪質な運命操作事件であるということが出来るのである。

本件事件の当時には改正風営法も改正ストーカー法も無かった。
つまり敵一味はやりたい放題だった訳である。
無論今日においては本件事件のような強引なやり方は許されないものであり、処罰の対象となることは云うまでもない。

本件事件が惹起した時は、まさにこれから蓄えを作って将来に備えようとしていた矢先のことであり、それを潰して後の不幸の原因を作り出すことが敵一味の目的であったということである。
その後も事あるたびにハタカサレて大魚を逃させられ、以って蓄えを作らせなかったことがそれを証明しており、後の風俗地獄とあわせ汚い洗脳が無ければ成立し得ない事件でもあり、敵一味特に宗門の邪悪さが浮き彫りになる事件である。

このような汚い手段で運命操作をしておきながらそれを隠蔽しつつ罰だ罪障だといって人を脅し宗教に引きずり込んで更に破滅にまで追い込んでおきながらそれに対して全く償いもせず、殊更に離間工作と暗殺で孤立化させて追い込んだ敵一味とそれに連なる連中を私は絶対に許さない。たとえ直接は加担していないヒラ講員であってもそれは同じである。

今日の極めて不本意な境涯にはこのような経緯があり、後の数々の運命操作の策謀と併せて極めて不本意な経緯があるのであり、どうまかり間違ったとしてもこんな不本意な不当に改変された人生をこれが自分の人生であるとは間違っても言えない筈である。
まして敵一味の予期せぬ手段での策謀と攻撃があってのものであって、私にはいささかの責任も無い。それどころか、ここでも敵一味だけが100%且つ一方的に悪いのである。
敵一味によって、自滅したかのように装い追い込まれたのであり、これは謀略であって自滅では断じてない。自滅したかのように装って追い込むのは宗門を首魁とする敵一味の常套手段なのである。
それでもこの屈辱的な人生を受け入れろという人はさようなら。

東坂戸

失敗移住地として「三馬鹿」の一つに挙げられることの多い東坂戸の記憶を辿る。


街並み。


当時私が住んでいた建物。
なお、目の前に団地センターがありスーパーもあるので生活に困ることは無かったと思われる。


実質的なターミナルだった若葉駅。
バスは川越と若葉から出ているが、後者のほうが本数が多く、また池袋へも後者のほうが安くて早い。


若葉駅前には大型のショッピングモールが。

実を言うと、若葉駅前にも団地はあった。
しかし、そちらは単身者の入れないという制約があったのだ。
また、URの住宅は所得に制限がありある程度稼いでないと入居審査で刎ねられてしまうのだ。
この制限については物件ごとに最低所得額に差がある。
当時であればもう少しまともな選択の余地もあったと思われるが、当時は敵一味による洗脳の影響下であり、真実を追究しようとしてもスピンネタを捩じ込まれたりとやりたい放題だったのだ。その上宗教による洗脳と騙しにやられてはなす術も無かったのであるが、それにしても親に相談するなりしてもう少し何とかなったはずである。それをさせなかったのは他ならぬ敵一味だったのであるが。
それでも当時の状況を言えば、勤めてさえいれば安泰であったであろうといえ、それをぶち壊しにして安定を妨げた敵一味がやはりここでも100%、且つ一方的に悪いということになる。
安定を妨げるというのは敵一味の「敵対者対策マニュアル」に基づくものである。
とどのつまり、この20年前の時点で既に「敵扱い」だったわけであり、しかもほんの些細な理由で敵認定されたことになる。
もしここで安定できていれば今頃、の思いは当然ある訳だ。

どちらにせよ、こんな人生をお世辞にもこれが自分の人生だなんて云えたもんじゃない。
何度も途中でぶち壊しにされ、挙句の果てに最低の境涯にまで追い込まれた者の気持ちが誰にわかるというのか。
そんなものを誰が認められるというのか。
てめえがなってみないとわかんねえんだろうがな。

宗門人のような下等動物にこの気持ちはわかるまいよ。

桶川の記憶

先日失敗移住地として槍玉に上がった桶川の画像をお目にかかる。
殆どが後年の撮影である。

桶川駅東口
桶川駅東口。こちら側が旧来の市街である。
駅前にロッテリアがあったが、20年経ってもロッテリアだった。

東口駅前
東口駅前。

東口駅前の道路
東口駅前の道路。

筆者が住んでいたのはそちらではなく、新たに拓かれたほうの西口であった。

駅西口
駅西口。

後年に殺人事件のあったショッピングセンターに通じる橋
後年に殺人事件のあったショッピングセンターに通じる橋。

ショッピングセンター
ショッピングセンター。

西口駅前
西口駅前。

当時住んでいた高層住宅
私が住んでいたのはこの高層住宅の14階だった。
ここには約2年住んでいた。

若かりし頃の筆者
若かりし頃の筆者。
写真からもわかるように、物件だけいえば歴代でもぶっちぎりの格を誇った。
この頃は収入も十分あり、あまり問題にはなっていなかった。
しかし、後年のことを考えるならば低廉な物件に住んでカネを貯め、将来に備えるべきであったといえる。
その意味ではこの後移り住むことになる東坂戸のほうが身の丈にも合っており適していたのではないかと思えた。

当時は大宮が近く、そこが遊び場になっていたがこれが災いしたのかとも云える。