忘れじの面影、忌まわしの記憶 Pt.3

今回は、前回に引き続き写真特集となっている
吾輩がこの不本意すぎる生を受けさせられた忌々しい東武練馬の地を特集している


これが東武練馬駅南口(a)
旧板橋本部跡地へは北口が近いが利便性に難があり、南口でも大した違いがないため南口が使われていた


南側、線路沿いの道を東に進んでいく(a)


途中にあった小さな公園(a)


この小道を左に折れると踏切で、北側を線路に沿う道に出るがどちらからでも変わらない(a)


やがて線路に張り付いていた建物が途切れ道は線路に沿うように(b)


この付近に忌々しい生地があったが取り壊されて久しく面影は皆無だ(f)


そして踏切を渡る(a)
この踏切は北行きの一方通行になっている


徳丸望郷公園(a)


公園向かいの小道を入ると(a)


その場所はあった(a)
写真は取り壊された直後の画像である


旧東京本部、後年には旧板橋支部がその建物の2階にはあった(a)
こちらは取り壊し直前の頃の画像である


右の階段を上がった2階が旧東京本部、及び後年の旧板橋支部であった(a)
失地回復闘争開戦の地でもあった
あれから25年、いまだ志半ばの状態で仕切り直しを余儀なくされている


2022年の徳丸望郷公園(f)


踏切まで戻り、忌まわしき側に戻る(f)


商店街の方に歩を進める(f)


同じ付近の2015年の姿、この建物2階に一家が入っていた時期がある(a)


これがあの悪名高い北一商店街だがこの時すでに衰退が激しく(f)
やはりあの敵宗門傘下の巨大カルトの害毒が染みついていることが元凶だろう


北一商店街出口だが、この付近に忌々しい場所が(b)


これがその忌々しい場所の跡地に建てられた集合住宅だ(b)
ここに何があったか?そうだ病院だ
我が尊父を騙し増がん剤で無残に殺害したあの忌々しい病院があったのだ
吾輩が敵宗門を脱退し、真実追究に動くとやおら閉院して逃げおおせやがったのだ
気付いた時には既に取り壊しが始まっており、時すでに遅しだった
真実に気付かれたと思いきや逃げる、これがあのカルトのやり方だ


病院のあった場所から南へ、川越街道の方に進むと小学校がある(b)
世を忍ぶ仮の姿の吾輩が出たことになっている


駅に戻り、今度は西へ(b)


旧街道を西へ進む(e)


そしてその場所はあった(e)
あの忌まわしき中学校である

この学校で吾輩は忌々しい偽大仏女(創価学会員)に搦めとられ酷い目を見た
奴は所謂「天使と悪魔」の天使役だったのである
後年、奴の居場所を探るプロジェクトも起こされたが敵一味の忌々しいスピンにより不発に終わっている
そもそも奴は出身小学校が吾輩とは違い北町西小の出だったことが失念されていた
つまり自衛隊基地の西南側だったのだ
なお、この中学校からは2年の中途で退くこととなっている
あの、これまた忌々しい島流しに遭ったためである

編集後記

島流し時代の4年半の間にその首謀者でもある超毒親の母親には非ざるクズ元が身罷り、本来なら即刻本土に復員するべきがこのクズ元の関係者によって妨害され、結局あの忌まわしきジャーヒリーヤ島の学校を卒業させられたのであった
その半年間たるや地獄の極致という他なく、これがなければそれだけでどんなにかマシな人生を送れていたことか!
吾輩は敵一味宗創医連合を終生、許すことは絶対にない
云うまでもなく島流し首謀者の一人であるクズ元は云うに及ばずである
吾輩がこの地に戻ることは最早皆目あり得ず、所縁の地からも除外されることが2022年に決議されている
今後の新しい失地回復プロジェクトは、これまでの履歴にはない地に新たな安住の地を得ることで完結することとしている
その実現にはあと数年を要する見通しになっている(2025年度末予定)

なお、今後徳丸望郷公園以外を訪れることは一切ない見通しである
徳丸望郷公園では、失地回復プロジェクト完結奉告イベントのみが今後予定されている
その日まで、Long Goodbye

撮影年
(a)…2015年
(b)…2016年
(e)…2021年
(f)…2022年

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