忘れじの面影、忌まわしの記憶 Pt.7

シリーズ第7回、取り敢えずの最終回である
ここでは敵対者関係、及び実現せずに終わった構想関連を巡る
今後は有力な史跡等の写真が得られた時に公開していく予定である


東京都北区滝野川某所、それはここから小道を入ってゆくとある


これは何か?狐女が居城としていたとみられる付近である※1


敢えて多くは語るまい
狐女は短期間で逃げるように去ったようだが、建物は当時のまま存在している
逃げる、ということは追及されたくない疚しいことを抱えているということに他なるまい
逃げた先の東長崎については不明な点が多いが、調査は行っていない
最早これ以上追及したところで狐女が罪を認める可能性も低く、却ってこちらの動向を掴まれる恐れがあることから断念している


こちらは朝霞台の浜崎の団地になる
ラ・チーカ事件終息後に検討されたが、都合が悪かったのか実現は妨害された
構想ではここに尊父と吾輩の住居をひとまとめにして都心からの程よい近さを保ちつつ住環境の改善を図ったものである
彼の平成の3バカの一である桶川への誘導に真っ向から逆らうものであったために潰されたといわれる
当時の吾輩は収入基準を満たしていたものの、この住宅は単身で入ることができなかった


その最寄り駅にして東上線と武蔵野線が乗り入れる朝霞台駅
利便性は申し分なかったはずであるが…
その妨害の結果、平成の3バカの二つである桶川と坂戸という黒歴史が生じてしまった


これは何か?言わずと知れたショッカシワである
勤めていた会社を不本意に去らせられた結果誘導され住まわされたのがこの地である


気付いた時には往時の建物は取り壊され、新しいアパートが建とうとしていた


これはその誘導された忌々しい新聞専業の店である
この店では筆舌に尽くし難い屈辱を受けさせられ、ボロボロにされた
当然、それに対する復讐も修正失地回復プロジェクトには含まれている

朝霞台の2枚と※1は2022年に、それ以外は2021年に金城修一が撮影

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