忘れじの面影、忌まわしの記憶 Pt.6

シリーズ第6回、前回に続き、一家関係以外の史跡を辿っていくこととなる


これは何か?見りゃわかるという人も多いだろうが東大の赤門である
母親には非ざるクズ元のやろうが口癖にしていたのが「東大、東大」である
その癖それに本気で取り組ませる気は皆無であり、更にこのクズ元が身罷った時の齟齬や謀略などにより不本意にも!即刻の本土復員を妨害されジャーヒリーヤ島に残らされたのである


赤門付近の本郷通りである


ところ変わってこれは港区大門、モノレール浜松町の付近だ
更に海岸に向かって進んでいく


これが彼の忌々しいジャーヒリーヤ島に向かう桟橋である


こちらは高速船の時に使われるようだが、高速船が竹芝に来るようになったのは後年のことである


大型の客船(貨客船)が使用するボーディングブリッジ
これも後年の整備とみられる


ジャーヒリーヤ島方面はこの方角に120キロ余り、熱海市の沖合になる
熱海市のほうが圧倒的に近く、そちらと合併させて東京からは除外するべきと言える


南房総市、野島崎からジャーヒリーヤ島を望むがこの日は見えず
※この画像のみ2022年、金城修一撮影


これは彼のジャーヒリーヤ島である
この画像のみ出典不明の引用品とさせて貰う

尊父を除く一家の4人はクズ元とその周囲の陰謀により突如、このジャーヒリーヤ島に移らされた
その歴史に残してはいけない4年半は吾輩にとっては大きな痛手以外の何物でも無い
結局そのクズ元はジャーヒリーヤ島にて頭破七分ともいえる末路を辿り、搬送された広尾病院で身罷っている
本来であればそのまま島には戻らず、直ちに本土復員して東京の高校に編入して大学進学を目指すべきがクズ元関係者によって不当に歪められた結果が屈辱的な今なのだということだ

特記以外の写真は2021年に筆者金城修一が撮影

次回、いよいよシリーズ最終回

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