忘れじの面影、忌まわしの記憶 Pt.5

シリーズ第5回、今回は主たる居住地以外の有力なジャーヒリーヤ史跡等についての記録となる


これは嘗て薄汚い誘導で就職させられたが結局諸般の事情により短期間で去ることとなった某運送会社の本社の跡地になる
向かい側には営業所と寮もかつて存在し、入社直後の短期間入寮させられていたことがある


これは大田区平和島、トラックターミナルの付近の海岸通りの陸橋である
最寄り駅は京浜急行の平和島か、モノレールの流通センターになる


これは海岸通りからトラックターミナル方面を俯瞰している
このトラックターミナルには寮を併設しており、食堂、商店などもあった


これは我が尊父が入っていた印刷の仕事での元請け先である
後に競合他社に移り、末期には警備の仕事に就いていたようだ


こちらは競合他社のある地になる、尊父も市ヶ谷に詰めていたようである(g)
旧交際問題特別協議会(シングスピール会の前身組織)の代表であった我が尊父は2007年に崩御、現在は埼玉県内の永代供養墓に眠る
実質的にほぼすべての活動を担っていたのは吾輩で、ほぼ全権委任されていたが崩御に伴い2009年に吾輩が代表の座を継いでいる


これは吾輩が1991年頃から瀬戸事件の戦後処理に伴い1994年に板橋に戻るまで約3年の月日を過ごしたアパートの跡地付近である
現在は既に取り壊されて跡形もない


当時の最寄だった高松2丁目バス停


これは1991年当時吾輩の不倶戴天の敵である狐女が居城としていた寮の跡地(右側付近)


当時の我が一家が時折夏季にキャンプに来ていた富津公園
1994年頃?を最後にキャンプには来ていない


そのキャンプ場は今でも現存、面影を今に伝える


これは海水浴場に続く道


富津の海水浴場


これは富津岬の先端にある展望台、吾輩は上段に上ったことはない

1990年代には幾つもの邪悪な誘導、邪悪な謀略によって然るべき道に戻ることはできなかった
食べるのに精いっぱいの状況に追い込むことでその「然るべき道」について考えさせないようにしてそこから邪悪なスピンの数々に繋がっていく前夜の記憶たちである
然るべき道とは?仕事を辞めて実家に戻り、勉強をして適度にバイトなどで学費を稼ぎつつ進学を目指すことだった
間違っても箱物幻想や車などの儚い夢などではなかったのだ!
当時は遠隔による思考操作、洗脳操作について殆ど知られておらず、敵一味宗創医連合の思いのままだったのだ
母親に非ざるクズ元は既に身罷っており、追及もままならなかったが大方奴は宗創医連合側であり、奴等の言いなりだった
そんなことだから遊ばれて頭破七分の末路を辿ることになるのだ!敵一味宗創医連合の側についた罪業は途轍もなく大きいものだと知れ!

次回はシリーズ第6回、その他のジャーヒリーヤ史跡を辿っていく

写真撮影年:総て2021年内、gのみ2023年撮影

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