雑感 2016.11.23

ここ数年ほど、敵一味によってグルグル思考にさせられた影響で正常な判断が出来なかったことが多く、そんな中で解放聖戦を戦わねばならない状況が続いていた。
これまた敵一味によって偽陰謀論なんぞというものに誘導されていた影響による思考停止もある。
真実の追究においては偽陰謀論を偽物と見抜くことから始まっているという側面があり、偽陰謀論からの脱却は一つの重要課題だったのである。

真実の追究が進んだことにより、ここにきて漸くグルグル思考から抜け出す事となり、過去の闘争に対する正当な評価が出来るようになってきた。
過去の闘争においては敵一味によって真実の追及からスピンされていた影響や姑息なスリカエの影響もあり、かなり遠回りさせられていた節も多分にある。
しかし、そんな最中でも過去の闘争があったからこそ現在の体制があるのであって、まるっきり無駄なわけではない。
何年も不変のものなどそうそうある訳は無く、時流によって考え方も思想も変化してゆくべきものなのである。
従って過去の闘争を評価する際には当時の時代背景を正しく認識してその上で評価するべきものであり、その上で正しかったものは評価し過ちは消去するということが必要である。
従ってそもそもバイクというものが闘争の具になること自体がおかしいのであるが、それは敵一味による姑息なスリカエに起因するものであってバイク自体が悪いということではなく、従ってバイクについては名誉回復が行われたものである。

そもそも闘争が始まった原因は敵一味のほうにのみ一方的にあるのであって、奴らが絡んでこなければ必要の無かったものである。
あの忌まわしき宗教に引きずり込まれて以来、搾取と軋轢にまみれた日々が十年余りに亘って続いてきた。
それはいわれの無い迫害であり、敵はその真の画策者を隠蔽するために闘争の焦点をずらしスリカエてきたのであった。その結果、闘争の真の目的であるべき支配者からの解放つまり宗門からの脱退は長年に亘って遠ざけられてきた。
今日でも形の上では切り離しているものの敵一味は有形無形の策謀を以って不当に粘着を続けており、復興の大きな妨げとなっている。

そもそもグルグル思考を持ち込んできたのも敵一味であり、それは私が再び力を付けないようにという奸計によって、悪辣な思考誘導を繰り返しその度に違う方向に誘導することで無意味に売り買いを繰り返させて殊更にハタカセていたのがその正体であった。
ハタカセるだけでなく、生活の安定をさせないという側面もこの奸計にはあった。
生活が安定することは、敵宗門の存在が不要になることをそのまま意味していたからである。故に、敵一味は私の生活が安定することを殊更に嫌っていたのである。
実際、今月奪還したばかりのレンズに対しても敵はあらぬ吹聴を仕掛け揺さぶりをかけてくる始末である。しかし、そのやり口がいつまでも通用すると思ったら大間違いである。
成り行きはともかく、一度買ったものは基本的にはそのまま使い続けるべきという考え方が一家には既に定着しているので無駄である。

グルグル思考によって失わされた物の中には、持っていればそれなりに役に立っていた物が多く、後に買い直させられる羽目になった物もある。
そのまま取り返すのが適当でない物や不要な物もあるが、基本的には復興の進展に従って取り返すべきものが多い。
時代や情勢の変化によってそのまま取り返すのが適当でないものは形を変えて奪還することになるのは云うまでもない。
今後は復興の進展に従って時流に合った形で奪還を行うことになろう。

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皮肉にも、東日本大震災はその真実追究への扉を開くこととなり、そこから今日に至る、真の闘争の歴史が始まっている。
初期の追究の中で私は、企業社会主義による民衆支配を見抜くに至っていた。
しかし、偽陰謀論に誘導されたことによって思考は停止させられ、真の目的は妨げられることとなった。
敵一味にとっては、企業社会主義を見抜いたことが殊更都合が悪かったようである。
元から民主主義などというものはこの国には無かったということであり、民主主義の偽装によって支配者がその正体を隠していたということを私は見抜いている。
敵宗門も支配勢力の一員であり、そのことを暴かれるのは勿論それを広められてしまうことが殊更に都合が悪いようである。
ただでさえ敵宗門は布教が行き詰ってその打開に躍起になって坊主の締め付けなんぞに走ってるようだからな。

しかし、敵宗門にとってもっと都合が悪かったのはその宗門こそが私にとって不倶戴天の敵であることを見抜かれたことではなかっただろうか。
そのためか、私が宗門に対して真実を追及する姿勢を見せると掌を返したように不誠実な対応をするようになり、昨年6月には寺院をまたいだ工作員集団が数名で押し掛ける脅迫事件まで惹起している。
敵宗門にとってはネットやブログというものが殊更に都合が悪いようである。
そのため、当該工作員から「ネット辞めろ」「ツイッター辞めろ」などと脅された挙句「精神科行け」などと暴言を吐かれたという事実がある。
このまま抜けられては人物破壊工作の事実を広められて布教がままならなくなるので何とかバレる前に引き戻し、皆で言いくるめて精神科に誘導し抹殺してしまおうというのが敵・宗門の悪逆な企みだったのである。
しかし、その企みは真実追究の機運の前に潰えた。
悪評も何も、そもそも宗門内で私はれっきとした敵扱いだったのである。
だから、「本人に言ってはならない」という手口がまかり通ってしまうのだ。
逆説的に云えば、全ての宗門人は私にとっては不倶戴天の敵ということになる。
敵は、やたら「創価」を強調して真の画策者が宗門であることを隠蔽しようとしていたが、盗人猛々しいとも云われるようにやたら創価を持ち出すというのはやはり怪しかったのである。

まとめると以下のようになる。
・敵宗門が私を引きずり込んだのは、紛れもなく人物破壊工作のためである。従って、人を幸せに導こうなどという考えは微塵も持ち合わせていなかった。
・敵宗門は、宗門に引きずり込むために悪逆な環境整備や誘導などを行っていた。これについては既に別ブログで詳しく触れている。
・宗門隷属時における全ての事件&不祥事は全て寺ぐるみ、講ぐるみで仕組まれた悪逆な罠であって、講員個人で惹き起こされた事件は皆無である。
・宗門は、傘下団体などとも連携しながら私に対する人物破壊工作を行っていたものであり、汚い手口で私の行動を改変していたのもこの一味であった。
・宗門がやたら創価を持ち出し強調して創価のせいにしようとしていたが、仮に創価が関わっていたとしてもそれは宗門の手下としてであり、創価を強調する理由にはならない。
・その宗門は、すべてがウソでたらめで塗り固められたインチキ宗教そのものであり、伝統宗教の仮面を被った悪逆なカルト集団に他ならない。従って、日蓮教団の中でも超の付く異端でしかなく、間違っても「正しい」宗教などではない。

宗門が人物破壊工作をしていたということははっきりと伝えていかねばならないと思っている。

当家では、不倶戴天の敵である宗門とその手先によって破壊された生活を立て直し復興していく新たな戦いに入っている。
薄汚い辺境の地にいては復興も解放も無い。
そのため、移住によって復興を図るのが新しい新天地計画である。
事後処理を行って以降の環境整備によって見た目は荒廃から立ち直ったように見えるが、実際にはまだ敵一味による策謀の影響により大魚を逃す事態があったり、復興事業において結構な無駄が出ていたりする。
そこまでしても、私が再び力をつける事態を敵は恐れているということなのか。

未だ安定に至っていないので詳しくは書けないが、ついに敵一味による誘導先の一から脱出を図ることができた。
しかし、これに対しても余程都合が悪かったのか敵一味は汚い手口で破壊を謀ったのである。
しかもその影響で大魚を逃す事態にまで発展したが、すべては敵一味のせいによって「のみ」起きているということはわかっているぞ。

勿論、そういう態度を続けるのであれば私にも覚悟がある。
私にとっては宗門も信者もただの厄介な邪魔者に過ぎないからである。
私には、何があっても宗門にも宗教にも絶対に戻らないという確固たる意志を持っており、最早引き戻すことも戻るように誘導することも不可能であるから宗門人どもはよく肝に銘じておけ。
なお、突撃してきた宗門人は一の例外もなく永代追放であり名誉回復は不可能、子孫代々に亘って汚名を受け続けることになるからな。
更に、しつこく居座るなどして退去しない者は不退去罪で検挙させるのでそのつもりで。

立て直しと復興は一家にとって最重要課題であり、失敗は許されない。
従って、そのためなら私は手段を選ばない。
脅しではなく本当に選ばないので、そのつもりで。
邪魔したら最後、消されるだけ。

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