未来へと続く橋

辺境の町は川の左岸にある。
当家の仮本部から目と鼻の先に、未来へと続くべき橋が架かる。

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未来にかかる橋を見上げる

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国境方面を望む

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対岸からの眺望

近い将来に予定している辺境の町からの脱出・移住に際しては必ずこの橋を渡って新天地へ向かうことになる。鉄道橋ではない。

将来予定している移住に向けた枠組みは既に固まっており、今後はそれに基づいて下準備と資金調達を行っていくことになる。
新しい枠組みにより、2年後までにはほぼ確実に移住できるように計画を策定し、そのために運営の根幹から改革を行った。
凡そ貧窮化の時代に何か新しいことをしようとするには緻密な戦略と立案が必要になってくる。
今回より、1ヶ月毎に戦略と立案を行っているが、半期で戦略をまとめた上で6か月分の行動計画と予定表を予め作成してある。
したがって、この予定表にないことは原則として出来ないということになる。
勿論辺境の町住民との交際交流など論外であるのは云うまでもない。なぜならそのようなことは移住の妨げ、移住の足を引っ張る結果にしかならないからである。
今までには無かったことではあるが、敵が私をコントロールできなくなっている今日に於いては今までに無かったようなことに対しても予想して警戒してゆかねばなるまい。
なぜなら、これまでがそうだった様に、敵一味は私を辺境の地から逃さないようにするためにはあらゆる手段で押し止めてきたからに他ならない。
それは、今まで散々煽っておきながら実際には行われることの無かった、交際型交際事犯であり、それは交際類似行為とは異なる。
他のあらゆる手段が通用しなくなったときには、敵一味と雖も孤立化の崩壊というリスクを犯してでも交際型交際事犯によって移住を押し止めなくてはならなくなるのだ。それは利権勢力間というより敵一味の内部においてそのような取り決めがあるからに他ならない。
現に、当家の状況としてはプロジェクトの開始に先立つ足場固めが行われ、一家内においてほぼすべての環境整備が終わり、今後に関する取り決めも行い煽りネタと呼べるものがほとんど無い状況にまでなっている。音源購入は新譜を除いて凍結が決定し、それに伴う緊急整備も終わった。唯一残っているカメラレンズ問題についても、既に枠組みを定めた上で織り込み済みであり、それにしたがって行うまでである。

同じ失敗を何度も繰り返すと思ったら大間違いである、なぜなら体は同じでも中身が入れ替わっているからである。それを理解しない謀略の類は、死んだ人間に対してムキになって狼狽しているのと同じであるから良く覚えておけ。

対岸の町

幾分きれいな対岸の町

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幾分と書いたが、薄汚い辺境の町との違いは火を見るより明らかである。
敵一味は当初から現在の薄汚い辺境の地に誘導する計画で事を進めていたようだが、当家としてはそういう計画ではなく、杉並に残るという選択肢も取れたし、茨城など眼中にも無かったのが本当のところであり、実際に当初行動に移したときには別の地で探して申し込みまでしていたという経緯がある。勿論この話は今日まで公開をはばかられていた話であり本邦初公開である。
なお、杉並に残るという選択肢が潰されたのは敵一味の手回しによる不動産会社社員の恫喝行為の影響であり、これによって心理的反発及び心理的外傷を負わせて再起不能にしてしまおうという小汚い謀略であった。仮にこの者が少しでも誠意ある態度で話をしていたなら、何とか挽回して再起を図ろうという気持ちが湧いていたはずであり、それをさせずに都合の良い誘導を行うための環境整備であったというべきなのである。

敵一味の謀略により最初の候補地が潰され今日の薄汚い辺境の町へと誘導された経緯があったが、敵は事もあろうに汚い手段で私の行動を改編し、書かなくてもいい事を申込書に書かされたことが大きく影響している。
裏を返せば、それほどまでに日蓮正宗は世間一般からも嫌われているということに他ならず、謀略でしか教勢を拡大できない正真正銘のカルト教団であることの証左に他ならない。
かつて敵工作員故・岩下容疑者の工作によって入信の話が来たときにも、当然調査はしていた。しかし、敵一味の誘導によって都合の悪い情報は隠蔽され、相談するべき親とも当時疎遠にさせられておりそのような情報を記載したサイトも無かった(設立は後年のことであった)ために引きずり込まれてしまったという経緯があったのだ。
杉並移住後に親と疎遠にさせたのも、宗教に引きずり込んで私の人生を破壊するためであり、それをやり易くするための薄汚い環境整備だったのである。入信前に親に相談することが出来ていれば拒むことが出来、こんな人生にはならなかったはずである。何故なら、父は創価が宗門の傘下団体であることを理解しており、断固として入信を拒んでいたからである。そのプロセスを踏ませないための薄汚い謀略を宗門はやっていたのだ。

いずれにしても、移り住んだのがこちらであれば、こんな悲惨な結末ではなく違ったものになっていたであろうことは明白なのであり、人の人生を平然と食い物にした日蓮正宗を決して許してはならないということであるし法華講員どもを許さないことには相応の意義が存ずるのである。

ふたつ前の記事でも明らかにした通り、当家はごく近い将来に移住を敢行する計画を進めており、現在はその前段階として足場固めを進めているところである。
移住後は関東人ですらなくなり、二度と関東には戻ってこないため都合の良し悪しを度外視して現状の記録に励んでいる訳である。

なお、シングスピールの砦サイトでは法華講工作員による不当干渉や引き戻し工作に対しては一の例外も無く刑事対応するからよく覚えておけ。

おことわり
本記事においては、現在最新の思想信条と異なるものを一部に含んでいます。予めご了承下さい。

最後の定期巡回

9月13日に、最後となる定期巡回を挙行した。
既に前回の巡回において元本営がおかれ、実父の逝去後も長く往時の姿を留めていた建物が取り壊されていたため巡回を実施する予定はなかったが、その後の顛末を確認するため再度、現地を訪れたものである。
取り壊しから5カ月余りではあったが、既に現地には新しい建売とみられる戸建て住宅が完成し、入居者も決まっているとのことであった。

最後なので、現地近くにある、島流し前に筆者や兄弟が通っていた学校の画像を貼り付けておく。

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筆者や兄弟が通っていた小学校

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生家近くの商店街

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筆者が中2まで通っていた中学校

これによって、当家と当地との縁が完全に切れたことを意味するものあるので、これを以って定期巡回は終了とする。

今後、新天地計画の施行によって1,000kmを越える距離の隔たりができることもあり当地を訪れることは困難となる見込みである。

旧実家の取り壊しについて

4月の定期巡回において、2007年まで当家の本営が置かれていた建物が取り壊されているのが発見されました。
この建物は、現代表の実父が居住していたもので2007年の逝去後は、無人となっていました。
2月の定期巡回では往時の姿をとどめていましたが、時の流れには勝てず今回の事態となりました。

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4月9日撮影 すでに更地となっています。
近隣の人の話だと、3月中旬頃に取り壊された、との話でした。

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2月10日の定期巡回では、往時の姿をとどめていました。
当家の旧本営は、階段を上がった2階にありました。

1960年代の築と推定され、既に50年を経過していましたが、貸主サイドの都合があり放置されておりまだ取り壊しにはならないだろうと見られていましたが、問題が解決したのか?今回の取り壊しとなりました。

当家関係の旧建築物では、旧杉並庁舎の入っていた建物がまだ往時の姿をとどめています。

今年の桜遠征の写真

4月2日に帰京祈念の桜遠征が行われました。
首都圏の桜は既にほとんど終わってしまっていますが、この時にはほぼ満開でした。

上野公園
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上野公園
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杉並区内
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杉並区内
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中野通り
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おまけ
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上野公園にて

なお、SP100EEはこの時が最後の使用となりました。

おことわり

帰京祈念は当時の情勢下のものであり、現在の計画とは異なります。
あらかじめご諒承ください。